ハンド・ヒーリングのススメ
どの記事だったか忘れてしまいましたけれど…
エーテル・バイタリティー(氣またはプラーナともマナとも言う)を、人から人に譲渡するだけのハンド・ヒーリングは出来ることが限られていて、それだけでは対応できないことが多いとか、ダメっポとかナントカカントカ…と書いたんですが (あ、スクールとかヒーラー養成講座に関係したことでしたっけ)
確かに、ハンド・ヒーリングだけでは限界があるのですが、それはそれでそれなりにハンド・ヒーリングにも有効性というか、使いようというか、実利性、良い面はあるのです。
一言で言って、
ハンド・ヒーリングって、「手かざし療法」「手を当てる療法」です。これは医学とかが無かった大昔から、唯一人間がしていた医療行為。いやさ、医療行為というとめちゃ弊害がありますね。
熱が出たときに「手」を額に当てて、様子見や冷やそうとしたり、怪我をしたところに手を当てて、おまじないよろしく「いたくなーい、痛いの痛いの飛んでいけー」とか・・・気分を悪くした人の背中をさすったりとか、お腹が痛いときに腹部に手を当ててたりとかとか。
ハンド・パワーbyミスターマリック
ぢゃ、ありませんけれど、人は「手」という体の一部を使って、怪我や疾患に対処しようとしてきたわけで。
別に最近つか近代になって、生まれた民間療法ではなくて、弥生時代とかそれ以前の縄文時代とか、そんな大昔からあった療法で、仏陀もキリストも、ハンド・ヒーリングで色んな人を施療していたんですね。
ハンド・ヒーリングと気功って本来は違うものだけど、
まあ、手の掌てのは、全身の中でももっとも強く「氣」が出ているところでもあり、この「氣」を人に当てる(譲渡する)ことで施療しようとする行為が
ハンド・ヒーリング、だったりします。
クリスチャン・サイエンスとか、宗教でそれをやってるとこもあるし(手かざしとか)、臼井レイキ(および発展系)とかクォンタム・タッチとか、仙道とかヨガとかタントラとかでもそういうのあるし、カフナとか、ドルイドとか、インディアンのシャーマンとか治療師とか、原始的な文明の中ではお約束である治療法だし、まあ、世界中どこでも見られます。珍しいもんじゃないのです。
ただ、言えてるのは、その昔はこうした「手」を用いて、他人に「氣」を与えることの出来る人っていうのが、そうそうはいなかった、ってことです。
ハンド・ヒーリングが生まれつき出来る人っていうのは、手のチャクラが大きく発達していてなおかつ、自らの身体の中にたくさん氣を貯めておくことの出来る人、もしくは、何らかの修行をして、そうした能力を会得した人…のいずれかになってしまうので。
こういう手の持ち主のことを欧米では、「癒しの手」の持ち主、または「緑の手(GREEN THUMB)」の持ち主といいます。どんな植物も育てるのが上手で、枯れかけた植物を生き返らせる人とか、そういう人も同じ称号を持って呼ばれますけれども。手先が器用で、手を用いた仕事をしている人は、やはり手のチャクラが発達していたり、訓練されてきますから、徐々にそういう力が知らずと開発されている人もいますね。
普通の人はなかなか、自分の「手」をそんな風に使うことはしてないから。
「手」を使った、氣の譲渡行為・・・は相手の身体に直接触れる分、デメリットもそれなりにあるのだけれど(邪気を吸ってしまうという)、「手」を触れない施療法よりも、イージィで修得しやすかったりします。
相手の身体に手を触れないで、氣を譲渡する方法もあるんですけれど、それはやっぱりそれなりのトレーニングが必要なことなので。
それに何より、「手」を触れるというのは(ヒーリングタッチ)、「氣」だけでなくて、人の持つ温もり、優しさを伝える行為でもあるので、たくさんの「氣」を相手に譲渡できなかったとしても、相手の心に安心感や、人肌を通じてしか伝えられない「何か」をギフトできる方法なので、リスクヘッジを差し引いたとしても、それだけの価値のある施療方法だと思います。
ちなみに、私は「手」を使わない療法、イメージによるヒーリング(セラピー)もしますけど、セッションではハンド・ヒーリングが主流になります。
でも、ハンド・ヒーリングだけでは、「取ったり」「上げたり」は出来ないので、氣の補充をしながら、イメージによる施療を同時進行で行っているわけです…私の場合は。
ハンドヒーリングによる「氣」の譲渡は、例えて言うならば、輸血というか、点滴とか、栄養注射をするようなものかと。(あくまで比喩としてのイメージです) でも、まぁ "輸血"が一番近いような気がします。
「血」、は人間の身体の組成と維持修復に必要なもの(酸素とか各栄養素)を
身体各所のセル(細胞)へと運搬するもので、それを含むものなわけですが、「氣」もまたしかり。この場合、「氣」は物質的な肉体にも必要なものでもあるけど、心とか精神とか魂にもっとも必要なものとして理解してもいいかと。
「血」を送るだけでは、すべての問題が解決するわけでないように、「氣」を送るだけで万事OKってこともないけど、でも、健康な「血」が足りていることで解決する症状もあるように、「氣」が足りていれば、解決したり、避けられる問題もあったりします。
「氣」の譲渡は、そういう意味で「氣」不足で起こる症状?問題に対処することが出来るし、ヘルスケアサポート全般として、健康管理の分野で役立たせることも出来るのです。
なので、対処できる範囲は限られているけど、
まったく使えない方法ってわけじゃないのです。
ものはなんでも使いようで。
で、前述したように、昔は、ハンドヒーリングは、(日本だと山伏とか行者とか密教系僧侶とか、神通力を奇跡的な体験や過酷な修行によって会得した人や、あと…生まれつきそうした能力が備わっている人とか、長年、人々の治療行為に携わってきた結果、手のチャクラが発達した人とか、そういう人しか行うことしか出来なくて、「特別」な人しか出来ない施療法だったのですが…
そんな修行なんかしなくても、誰もが修得して出来る方法ってのはないんかい?って、模索した人とかはやっぱりいたわけです。
私はたまたま臼井レイキというハンド・ヒーリングをするようになって、
ティーチャーでもあるんですけれども。(レイキだけでなくて、似たような手法・テクニックは他にも世界中いろいろある)
例えば、この臼井レイキの場合、臼井甕男氏という僧侶の方が、世の、人の苦しみを憂い、万民を救いたいという気持ちを持っていて、そういうことを考えながら修行に励んでいたら、あるとき、「ひらめいた」つーか、まあ、天啓を得て、修行をしなくても、こうした方法でハンドヒーリング!みたいなのを編み出した、そんな感じ。(一般的に表立って知られている事実とディティールは違うけど、そんな感じ)
彼が生きていた大正から昭和の初期は、日本はまだ貧しくて、貧富の差も激しく、医学も遅れていたわけで。医者に掛かれたり、高い薬を買えるのは金持ちばかりなり、な時代。家族の誰かが病気になってしまったら、とくにそれが父親とか母親とか働き手が倒れたら?一家離散というか、娘は売られたり、の時代ですから。
病気=貧乏=不幸、の単純な図式が成り立ってしまう。
そういう意味で、健康であることが何より大事で、医者にかかったり、高い薬代を払えない人が病気にならない、あるいはなったとしても、自己治癒力で回復できたら・・・ハンド・ヒーリング(当時は手かざし)がもっと簡単に出来るようになったら、そして一家に一人、そういう人がいれば・・・
皆が救われる。
なんて、臼井氏がそう考えたことが、レイキ誕生と普及の背景。(この辺りは氏の死後、コンタクトを取った人からの氏のメッセージ情報ということで) どちらかと言うと、私的な好奇心と理由から、習得するに至ったものの、後にそのような崇高な目的にて普及を考えるに至ったとのこと。
それまで、日本にも伝統的な手かざし療法はあったのですが、会得するのがとにかく大変でしたから。
山に篭ったり、大変な修行してってんじゃなくて、アチューンメント(霊授)という都会の一室でも出来る方法と初歩的な勉強で、誰もがハンド・ヒーリング(他者への氣の譲渡)が出来るようになる…そういう手法が今はあります。
臼井レイキだけでなくて(ちなみに西洋式と直傳と二つの流派?があります)、他にも、海外から入ってきた方法とか、色々あります。臼井レイキから生まれた方法(発展系と言われています)もたくさんあるし。その場合、臼井レイキを会得していることが基本条件のものがほとんどです。
ハンド・ヒーリングを習いたい、出来るようになりたいという人は、自分に合ってる方法をまず探して、あるいは、この人って先生(師匠?)を見つけてから、学ぶといいんじゃないでしょうか。
どのやり方が優れているとか、優越はないと思うんですね。どの方法にも得手不得手というか、得意不得意分野はあるし。各施療法には個性や特徴があるので、合う合わないもあるだろうし、どんなことをしたいかという目的にもよるでしょう。
学びやすいもの(価格が手ごろ、学ぶ場所が多い)がいいとか、一般的に認知度のあるものがいいとか、逆に目新しいものがやりたいとか、そういうので選ぶのもヨシと思いますし。
私の場合、もともと占いの仕事をしていたその関係で、スピリチュアル・ブーム以前のニューエイジ・ブームに触れていたり、幼少期にはオカルト・ブームがあって、その種の人などと接する機会もあったわけですが、どちらかというと、ニューエイジの分野は苦手でした。
その存在は、結構昔から知ってたのだけれども、「レイキって、なんか胡散臭い」というように、実のところ、食わず嫌いで敬遠していました。
今から十数年前、愛猫がリンパ腫になり、どうにも酷い状態になったとき、先輩占い師のエトワール舟黎先生が「遠隔でペット・ヒーリングしている人がいるのでプレゼントさせて」と仰って下さったので、その時に藁にもすがる思いでご好意に甘えさせて頂いたのでした。その行為は、とてもありがたい申し出で、ホントに。
その後、ペットロスに陥り、腑抜けで廃人化していたら、
占星術師でもあり作曲家でもある友人が、「そういうの好きじゃないかも知れないけど、他人の力を借りるのも今は必要なことだと思うよ」と、彼女の音大時代の友人でピアニストの傍ら、レイキ・ヒーラーをされているある方を紹介し、背中を押してくれたんですね。
それまでは毛嫌いしていた世界だったけど、その時は反発することなく、
なんか受けてみようかな・・・という気になりまして。
実際、自分で体験してみて、「これは有効だ」みたいな? そして、もっと早く受けていれば、いやさ自分が出来るようになっていたら、愛猫にも普段から「氣」を分けてあげて、病気になんかさせなかったのに、いや、治してあげたり、もっと症状を楽にしてあげることできたかもしれないのに・・・とも思ったり。
それもきっかけのひとつで、まあ、動機としては他に不安定で色んなことに折れやすく、ブレやすい自分をナントカしたいな、とか…こういう仕事をしているのに霊媒体質であるが故の憑依体質で、色々困ったことにもなっていましたので、そうした部分の改善に役に立たないかな…というのもありました。
別にそれを仕事にしようという気持ちはまったくなく、
自分の健康維持にもいいな、とか・・・そういうことも考えて。
私にとっては、実際ものすごい人生の転機となりましたけどね。
ヒーラーになるつもりも、ヒーラーの仕事をするようになってからもティーチャーになる気もなかったし、臼井レイキ以外のメニューも「別に」って感じだったのに、気がついたら、「何故?」です。
発展系レイキのエネルギーメニューは、そんなにたくさんとったって、ねぇ・・・と思ってたのに、たまたま「他の人からでなく、あなたから受けたいので、先払いするから受けてきて」と仰って下さった方がいたので、成り行きでいろいろと増えてしまいましたwww
今となっては、クライアントさんによって、必要なエネルギーが違うので、
薬を使い分けるように、それは必要なものだった、と、無駄にはなってないと・・・取得しといてよかったと思っています。
プロとして、それが必要なクライアントさんに備えようと思ったら、取っといて、損はないかな、って思いました。でも、そうじゃない人はお金を出してまで取得する必要はないかと。自己の成長のために、アチューンメントの機会を利用したいという、そういう人は別でしょうけど。
単なる自分自身のヘルスケアや、家族や友人へのサポートとしてハンド・ヒーリングを考えるなら、どれかひとつ持っていれば充分でしょうね。
でないと、お金かけて投資しても、元が取れませんから(笑)
で、ハンドヒーリングに関しては、私は天人氣功と臼井レイキ(西洋式)しか修得していないので、他の手法については語れませんが、
そんなこんなで修得するメリットはあると思います。
誰にでも、とは勧められませんが、「健康でありたい」とか
「家族や友人のために何か出来ることがあれば」とか
そんなふうに考えている人には勧められるかと。
周囲の役に立ちたい、誰か困った人がいるときに何かしてあげたい、と…
そのような気持ちがある人でないと、上達したり、使いこなすことは出来ないわけですけれども。
たまーに、ハンド・ヒーリングの技術を身につけることを、超能力や霊能力を身につける近道な方法のように勘違いしていたり、アチューンメントを受けた人の体験談を読んで、自分の人生が画期的に変わることを期待して受けたりする人もいますが、そういう人にとっては、大変な期待外れな結果に終わるでしょうね。利己的な目的だけで、期待をして受けるなら、ヒーリングのテクニックは、その人の役には立ってくれないし、むしろお金の無駄使いに終わってしまうことでしょう。
得てしてそういう人は、「全然効果がなかった。期待したような変化がなかった」と、次から次へと、魔法の薬や奇跡を求めて、ジプシーしちゃうんですよね。
さてさて。ハンド・ヒーリングは医療行為ではないので、病気を「治す」ことは出来ませんけど(それを目的としてはいけない)。自然治癒力を高めるサポートをしたり、精神や心の安定をはかるお手伝いはできます。怪我や病気の人に対して、せめて自分が出来ることを「何か」してあげたい、と考えたときのその「何か」にはなりますから。
臼井レイキのキャッチに「万病の霊薬、招福の秘法」とかいう言葉が出てきますが、これはJAROに通報されそうな誇大広告というか、今の時代では、はっきりいって薬事法違反になってしまいますね(笑)
事実、万能ではないです。出来ないことのほうが多い、です。
でも、役に立つように使うことは出来ます。有効的な使い方という意味で。
ヒーリング能力は超能力でも奇跡を起こす魔法でもないけど、愛する家族や大切な友達や言葉の通じないペットに対する、彼らを守ったり、助けたり、力になりたいという気持ちの源泉、ひとつの「愛情表現」として機能するかと・・・。
で、臼井レイキでもその他のハンドヒーリングのテクニックでも、学ぼうと思ったら、先生との相性とかを図ったり、その先生の知識とか技術、説明が理解しやすいか、納得できるものか、が大切だと思います。
ホントは、万民に流通させたい・・・という創始者で僧侶だった臼井氏の考えを尊重すれば、無償で伝えられるべきものなんでしょうけど、今の社会システムを考えたときに、対価が生じてしまうのは仕方ないかと。
レッスンを行うための場所、提供する時間、修得するのに費やした金銭、
そういうものがかかってるわけですから。
もちろん、私もちゃんとお金頂いてます。
なので、価格も学ぼうと思ったときに判断の基準にはなると思いますが、安いからというより、自分が納得いくことを教えてもらえるか否か、かと。
ちゃんとその後のサポートをしてくれるか、質問に答えてくれるか、使い方についてきちんと手ほどきしてくれるのかどうか、とかとか。
あと、臨床例というのかな、実際にそれを使ってきたか、っていうケース(事例)をたくさん持ってるか否か、経験値って大事だと思います。
いきなり、他人をヒーリングした経験もないのに、ティーチャー取って、他人にアチューンメントする人もいらっしゃるけど、アチューンメントの後に、その人の精神面や肉体面の変化に対して、それがどうして起きるのか、こういう場合にはどのように対処すればいいのか、副作用(ヒーリング・クライシス))に対応する技術も知識もないのに、それをしているのは、無責任というか、ちょっと困りものです。
臼井レイキで言えば、アチューンメントしました。さて、後はこれ、読んでね。と、簡単なテキスト渡して済ましてしまうケースもあるとのことで、それはとても残念なことだと思ったりします。
で、住んでいる場所の近くに、通える範囲かどうかも大事だと思いますが、だからって、遠隔で済ませるのは私はお薦めしません。本来は臼井レイキって、遠隔では出来ないものなんですね。直傳では確か遠隔は無いですし。
たまたま、日本からハワイ、アメリカやカナダの大陸の地に渡ったとき、アメリカって広くて、直接それをするにも、何しろ距離の問題があるというわけで・・・無理やりというか必然的に遠隔という方法が編み出されたって方法らしいですから。
レイキの回路って、遠隔では作れないわけではないけど、ちょっと難しいですね。やはり対面がベストです。遠隔で受けたという人にも何人かお会いしたけど、頼りなくて不完全な出来方をしている人が多かったです。(アンテナでいうならグラグラ)。
発展系は、このレイキの回路を基礎として、オプションで付け足していくようなものだから、遠隔でも問題ないの多いけど、臼井レイキの元の基礎がちゃんとしているのが前提だったり。
なので、出来るだけ対面で、直接その方のところに行って受けることをお薦めします。そして、事前にその人のハンド・ヒーリングを受けてみて、相性とか、やり方や説明が納得できる、好感持てる、とか、人として、先生として尊敬できるとか、そういうところで選ぶべきかと思います。
良き出会いがあるか否かは、タイミングですけどね。
そうした意味で、私は関東の人間で東京に住んでいて、情報も、出会いも、何か受けよう、学ぼうと思ったときにとても便利な場所なわけで、選択肢の豊富な環境にいることは、恵まれていることだなあと痛感します。
さて、つらつらと書いてきましたが、まあそんなわけで、
家族が怪我をしたり病気になったりしたとき、元気をわけてあげたい・・・とか、友達が精神的にまいっていたり、鬱になってしまったことに対して力になりたい、物言わぬ愛するペットのために、その心を感じ取れるようになりたいとかとか、看護師とか民間療法師とかの仕事をしているから、その仕事に役立てたい、とか・・・いつも「氣」が不足しているように感じるから、それを補充する方法を身につけたい、とか…
日ごろから、そう思っている人には、ハンド・ヒーリングのスキルを学ぶこと、オススメしたいですね。他のヒーリングの手法よりは、簡単に会得できるので。価格的にもまあ、安くもないけど、高くもない(他のよりは)。
このブログを読んで、ハンドヒーリングに興味を持ったくれた貴方が、良きティーチャーとの良き出会いに恵まれてくれるといいな、と思います。
さて、余談として、ティーチャーから見て、時おり、困った受講者の方もいるというお話を一言。
「ハンド・ヒーリングを学びたい」
として、アチューンメントを来てくださったものの、
(うちだと臼井レイキのアチューンメント)
実際はご自分の悩み相談というのかしら・・・終始それを訴えられて、全く受講にならなかったケースがあります。その結果、必要なことを口頭で教えられなくて、とりあえず後はテキストをよく読んでください・・としか伝えられず、中途半端な受講になってしまったことも。
個人セッションと受講レッスンはまったく別のもので、アチューンメントはあくまで、品物を渡して取り扱い説明をするようなものです。
なので、自分の問題を他人の力を借りて解決しようという行為と、ある問題を解決するためのツールをもらうという行為は、まったく別であるということを理解していただかないといけません。
それから、たまーに・・・ごく稀に、ですけど、
「レイキのアチューンメントを受けたなら、私も先生みたいに、浄霊や除霊が出来たり、他人の過去生のこととかアカシック読んだりとか、色んなことが判るようになるのですね!」
というように仰ってこられる方がいるんですけどっっ汗
いやさ、ハンド・ヒーリングはあくまでハンド・ヒーリングですから。そのテクニックを身につけて、それが出来るようになったからといって、サイキック的能力が開発されるなんて、そんなこと「無い」ですから。
ヒーリングと、透視能力(リーディング等)を含む、サイキック能力はまったく別モノなので。はい、まったく異なる別のスキル、テクニックです。
くれぐれもそのあたり、誤解されませんよう、ご理解下さい。
まあ、たまに素養のある方の場合、それがきっかけでそうした部分も開花することがありますけど、100人に一人くらいの確立だと思ってください。また、それを目的に、ハンド・ヒーリングを学ぶのも、動機が不純だと申しておきましょう。
また、アチューンメントを受けたり、それを学ぶのは個人の自由意志だけれども、その結果までは絶対的に保証されるものでは無いということも理解して欲しいのです。どんなことも個人差っていうのはあるわけですから。