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レッスンとセッションの違い

先日、久しぶりにレイキのアチューンメント(伝授)をしまして、やっぱり楽しいなと、はい。去年からのこのご時世ですから、個人セッションはともかく、長帳場になるレッスン(対面でのアチューンメント)はほぼ皆無に等しかったので、ほぼ一年ぶり以上なんですけど。やっぱり、レッスンはワクワクしますし、自分が知っていることを他人に教えるのってものすごく楽しいし、大好きなんですよね。

個人セッションも勿論好きですけど、セラピーとかカウンセリングですから、楽しいというのとはちょっと違います。やりがいはあるし、好きなことには違いないけど、真剣勝負で気が抜けないというのがあります。とくに霊的な事象や問題に関しては油断大敵だし、読み間違いや取りこぼしがあったらいけないので、全神経集中していますから。

その点、レッスンはゆるゆるかも知れませんww  ただしゃべりまくっているだけという気もしないでもないのですが、とにかく「教える」だけですから。いやさ、指導も伝授も真剣に取り組んでいますけどww

そうそう。レッスンもレイキの伝授(霊授/アチューンメント)とヒーリングのフォローレッスンとエソテリック・ティーチングではまたそれぞれ異なりますけどね。

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ここからは回想録。

占い師をしていた時、短期間のうちに何度も何度も訪れては、一つの事象や物事に執着して、毎度同じ質問を繰り返されるお客さんに対して、辟易するというよりは…どれほど同じことを伝えても、説得しても、諌めても、執着も断ち切れず、最初のコマに戻ってしまって、気付いてもらえず、先に進むことへと誘導することが出来ない現実に、己が無力さを思い知れされ、虚しさを覚えたもので…壁にぶち当たってしまったというか、限界を感じてしまったのです。

そんなとき、ヒーリングを始めて、
「ああ、これだ!」と最初は思ったんですけれども…

「私の前世は?」とか「私のガイドさんはどんな人ですか?」と言うような、ミーハー気分で来る方が多かったり、スピリチュアルなことに対して、過剰な期待をしてくる人もそれなりで、またしても行き詰まりも感じ。

それはセッションに対しても同じで。ヒーリングを受ければ、ヒーラー(セラピスト)が問題を解決してくれる…と言うように「セッション」に奇跡を期待する人もいらっしゃいましたし…

相変わらず、自分は何一つ犠牲を払うことはしたくないとばかりに、自らが変わることや気づきを得ることには逃げ腰で、積極的に人生を変えるために努力をすることにも消極的で、魔法が起きて、ある日突然に、自動的に問題が解決して、自分を取り巻く世界が、周囲が、他人(相手)が、望み通りに、思い通りに動いてくれてることばかりを期待し、求めている人は減らず。皆、自分の欲望に意識を向けてばかりで。

いやさ、みな無知が故の闇に囚われているというか、まだまだ本能的かつ無意識的に生きている段階なので、エレメンタルに翻弄され操られてるので、
これはもう、そういうものだから致し方ないのですが。

でも、じれったいものです。それを見ている方としては。

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むむむむ・・・とジレンマに悩まされること多々。その人のレベルや学びの段階で、こちらから言えない、伝えられないことも多く、時期が来てないことには手を出せないことばかりで。

なんていうか、これまたいくらヒーリングをしても、その時々の対処方法でしかなく。いくら「氣」を補充しても、「オーラ」や「エーテルセンター」を整えても、生霊やエレメンタルをどうにかしたり、コードを切っても、ほんと、その場しのぎで。その人が変わってくれないことには、気がついて、自らの生活や生き方を改めてくれない限りには、どうにもならないというよりかは、根本的な問題の解決には至らず。時期が来ていないといえばそうなんですが。

言葉で指摘しても、エネルギーに対してアプローチをしても、カルマのレッスンやその人の思考や想いグセによる問題は、他人が何とかすることではなくて、本人がそれを自分にとっての問題と捉えて、意識的に何とかしようと働きかけてくれないことには、ホントもうお手上げで。

そのようなジレンマのあった時期に、レイキを受講下さった方たちから、レイキの練習会以上の内容の講座…さらなる上のヒーリングスキルやテクニック、霊的な知識などを教えて欲しいという要望をタイミングよく頂き、魔女塾と称した私塾をスタートさせることになりました。それは後にスピリチュアリズム講座となり、今のグループ・レッスン、エソテリック・ティーチングへと至るものです。

最初の形態の魔女塾をスタートさせたのは今から15年前になりますかね。試行錯誤でああでもない、こうでもない、と何度か内容を見直しながら、結局いまのカリキュラムへと落ち着いて、細々と続けています。

ベースになっているのは、グノーシスや神智学からのエソテリックな教えと言うよりは、ダスカロスが20世紀にまとめあげてくれた霊的真理(エソテリック・ティーチングとプラクティス)が主で、そこに私自身の実経験から来る知識とか、ウィッチスクールで学んだこと、ネイティブアメリカンのシャーマニズムとか多方面のテクニック、エドガー・ケイシーやら他の知識も加えてるって感じですかね。

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ヒーリングという行為を用いていくのであれば(習得するのであれば)、やはり氣の概念にしても、目には見えない身体のことやその世界の仕組みなど、体系立てた知識を身に付けてもらった方がいいと言うのはありますね。知らなくても、ハンドヒーリングや氣による施療術(気功等)は出来るっちゃあ、出来ますが。

そして、生きていく上では別に知らなくても対して困らないけど、運命の不思議や創られ方に対して疑問を持ったり、この世の構成要素に対して探求心が騒ぐ人は、学んだ方が自分の問題に対処したり、意識的に人生を生きることが出来るから、知ってて損はないかもですね。

何でそうなってしまうのか、何故こういう状況を創ってしまったのか、ネガティブな状況を引き寄せている思考をストップさせ、その人が望んでいる未来を創造していくために、何をしなければいけないのか・・・

個人セッションのアドバイスだけでなく、実際に真理を学んでもらって知識として身に付けてもらい、自らが自分の人生を変えるために、積極的に自分の人生に参加して、問題に取り組んでもらったほうが、色んな意味で早いので。

個人セッションを受けてもらうことで、状況が改善されて、良くなったように見えたとしても、大抵は一過性の満足で一時的な問題回避でしかなく、また新たな問題が起きたとき、私でも誰かにでも、スピリチュアルやサイキックなことに頼って、いつまで経っても、ある一定の段階から抜け出せないままなので。

たぶん、そういうことに行き詰ったからこそ、スクールを開いて、生徒さんたちに教える場、機会を与えてもらったのでしょう。後、前回の記事で書いたように、過去生で幾度かこの知識たるエソテリック・ティーチングを学んだ土台があるので、初めて学ぶ人よりはそれなりに嚙み砕いて理解出来ているからってのがあります。

教えることは際限なく、基礎的なことから始まって、日々の生活や応用に至るレッスンまで、その歩みはゆっくりで先は長く、いつまで・・・といった終わりはなかなか見えませんが。

結局、知識やレッスン(エクササイズ)を通して、生徒さんたちが自分の人生で起きていることを自ら知り、自分で作り出している現実のレッスンに取り組み、自らの力で内面の世界を変えて行くことを覚えてもらうのが、一番ベストだったりしますから。

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そして、こういうことを学び始めると、途中必ずといっていいほど、自らのエゴイズムに邪魔されて、お試しが来たりとか、その人のレベルに合わせて、たくさんの試練(マーラの誘惑みたいなのとか)来るし、学んだ知識を使えとばかりに、カルマのレッスンも加速されて、現実化が早くなってくるので、それに負けてしまったり、呑まれてしまったり、エゴイズムに騙されてしまう人も出てしまうのですが。

でも、時間はかかるけど、地道にやっていれば、着実に歩みは進むので、知らずと結果は出るもんなんですけどね。得るものはあるし、誰かスピリチュアルなリーダーに頼らなくても、自分を頼りに生きていくことは出来るようにはなる。続ければ、ですけどね。

そんなわけで、学び始めると確かにお金と時間(年月)はかかっちゃうんですよ。たくさんお金を使わせてしまうというか…これは事実だからなあ。

うちの場合は、生徒さんが納得して通ってくれているからアレですけど、
詐欺みたいだといわれれば、価値を見出さない人にはそうなんでしょう。

それでも私は教えるのが大好きです。

みんなが知識と自分に対する理解力を身につけて、自分の問題を乗り越えていく様を見るのが好きです。一人ひとりが、欠点を克服して、広い視野と深い心を養って、思いやりを身に付けて、人としての美徳や長所を輝かせて、
グローバルに世の中のことを考えられるようになって、いい意味で変わっていくのを見るのがたまらなく嬉しく、その過程を手助けできることに、とてつもない幸せと喜びを味わうことができるので。

個人セッションも勿論やりがいがありますけれど、結果が出せるというか、
達成感と充足感で満たされるのは、レッスンの場だったりしますかね。  

提供したいのは、自立して自分の問題を解決していくための知識と力をあげること。クライアントさんには、自分自身と現実を受け入れて、本当の自分を見つけて、過去に苦しめられるのではなく、解放しつつ、そこから学んで、それらを生きる力と智恵に変えて、望む未来を創造して、いまを楽しんで生きる方法を手に入れて欲しいから。

最終的には、霊的に成長して、少しずつ階段をのぼって、人生での、この物質社会での苦しみや悩みから、あらゆる制限から自由になって欲しい。その手助けをするのが私の生きがいであり、お役目だと思っています。

出来れば、来世計画、今生以降も含めて・・・単純に今生でちょっと生きやすくなるためのお手伝いというより、無謀に今生だけのことではない、来世も含めたトータルな魂としてのその人のステップアップのサポートを、私自身が望んでいるって、それだけかも。

ええ、実際、それが一番したいことですし、燃えるポイントです。

一番いいのは、個人セッションもしてもらって、学びもしてもらうことなんだけど、来世に至るまでの自己投資、になっちゃうのかな。すると、お客さん、お金かかっちゃってしょうがないですがね(笑)

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ですが、自分で学ぼうと思えば出来るわけです。私自身に生きている人間で師匠と呼べる人がいなかったように、書物から必要な知識を得ることは誰だって出来るわけです。そこは今の時代、公平に道が開かれていますから。ネットで知識を公開してくれている人もたくさんいます。その中から、自分の学びに必要な情報を、自己責任と己が判断だけで取捨選択していかなければいけないという暗中模索な状態にはなりますが。

ダスカロスの著書やハリーさんの著書なんかを読んでいただければ、いまさら私のほうで解説することもないかな・・・というのはありますもんね。ダスカレの教えだけを学ぶなら、無料のサークルありますし。

シルバーバーチの教えとかは、霊的真理の枠組みの中でも、心霊科学(スピリチュアリズム)という初心者にわかりやすく諭すという初級編に位置するものなので、ここから入った方がいい人と、今の時代では追い付かないというのもあるから、読んでもいいし、読まなくてもいいってものかも知れません。神智学のテキストは誤解や曲解も多いから、きちんと整理整頓された原初の知識を学ぶという意味では、難しいと思う人続出でしょうけど、ダスカレが最高峰ですかね。この手の知識の中では。

そして、ヒーリング関係の本はいまいち参考にならないというか、使えない本が多いです。バーバラ・ブレナンもハリー・エドワーズもダスカレのサークルで不定期に学んだ人だけど、彼らの書物を読んだり、教えていることから判断するに、そのままでは伝えられないから、自分なりに解釈したものを提供しているんだろうなって思いました。

色々と読みましたけど、実用的で使えるなという書物は、キャロライン・メイス(メディカル・ビューイングをする看護師さん)の書いた本くらいでしたでしょうか。まあ、私自身があまりその手の本を読んでいないというだけのことかも知れません。

そうそう、レッスンとセッションの違いとは別に、アチューンメント(霊授)とヒーリングの違いについても、こちらに転載しておかないと、と思い出しました。過去log探してみたけど、まだ転載していないみたいなので、そのうちボチボチ。

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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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