Scatman John - Scatman (Ski-Ba-Bop-Ba-Dop-Bop) / スキャットマン - 1994
懐かしいなあ~流行りました。一時期のブームではありましたが…今から25年位前でしたかね。もう、そんなに経ったんか~って気もする。
当時、勤務していたコールセンターの同僚のママさんが、お子さんが吃音症という事で悩まれていたそうですが、このスキャットマンの存在と言うか、彼の活躍ぶりに勇気をもらえたと、明るい笑顔で話されていたのを見て、私まで嬉しくなったのを覚えています。
はい、彼スキャットマン・ジョンことジョン・ポール・ラーキンは、吃音症と言う障害を逆手に取って、他人が模倣するのが難しい、独特のスキャット(テクノ・スキャット)を開拓した人なのでした。※1回に4つ近く音の調子を変えるという珍しい歌唱法(このテクニックは、古いヒンドゥー教の喉で歌う歌唱法から会得したそう)
懐かしCM グリコ プッチンプリン 1994
そんな感じで、彼はミュージシャンとしての音楽活動だけでなく、吃音者団体との交流を図り、彼らを支援するためのスキャットマン基金を設立し、1996年に世界の吃音者に関して著しい功績を与えたという事で、アニー・グレン賞、チャールズ・ヴァン・ライパー賞を受賞しました。
デビューしたのが遅咲きの52歳で、57歳でこの世を去ってしまわれたから、実質5年ほどの活動、活躍期間でしたね。
「John Coltrane」1986
ジャズが好きだったそうで、ジョン・コルトレーンへのメッセージソング。
スキャットマンとしてデビューする前、ジョン・ラーキンとして発売したアルバムです。こちらレコードだけで、CD化はされていないそう。
「Scatman's World」1994
「Song of Scatland」1995
「Everybody Jam」1996
ちなみに彼はアメリカ人で、出身はカリフォルニア。14歳からジャズに親しみ、ジョン・コルトレーンやバード(チャーリー・パーカー)に影響を受け、ジャズピアニストとしてジャズクラブで演奏するように。
幼少期から、吃音を克服しようと努力したものの、有効的な手立てが見つからず、人と話せない内向的で寡黙な性格に。また言葉以外での、周囲とのコミュニケーションの方法を探す必要があったとのこと。この頃の彼のコミュニケーションの方法は、唯一ピアノだけでした。
成人してからは周囲と上手く話せないストレスで、アルコールやドラッグに溺れることに…しかし、ミュージシャンの仲間や友人がドラッグにより死亡してしまったことから、それらとの決別を決心し、妻のサポートもあり更生に成功します。
「Take Your Time」1999
1984年頃、ふと彼は…
「意味のない言葉なら、どもっても問題が無いのではないか?」と考え、スキャットを取り入れた歌唱法を演奏に盛り込もうと思いつきます。しかし、この頃はまだ実行するに至りませんでした。
1990年になって、アメリカを不況が襲い、貧しくなってしまったジョンは、妻とベルリンに移住。ベルリンのホテルでエージェントであるマンフィールド・ツェーリンガーと出会い、彼のところで仕事をすることになったのですが、このことがジョンの運命に幸運をもたらします。
妻ジュディが、ジョンが吹き込んでいたスキャットのテープをツェーリンガーに渡したのですね。このテープを聞いたツェーリンガーはジョンのスキャットを、テクノやヒップホップと融合させるアイデアを思いつき、不安からためらう彼を妻が説き伏せて、スキャットマンとしてアルバムを制作することになります。
「Scatman (ski-ba-bop-ba-dop-bop)」1994
こちらデビューアルバム「スキャットマンズ ワールド」からのデビューシングル。日本や全世界で600万枚を売り上げて、各チャートでNo.1も果たしました。そして、たくさんの賞も受賞しましたね<ベスト・ニュー・インターナショナル・アーティスト。 ビッゲスト・クロスオーバー・アーティストECHO賞。 ゴールドディスクやプラチナディスクなどその他…
そして、この曲は「吃音に悩む子供達が、逆境を乗り越えるため、元気を与えよう」と言う目的、テーマによって作られたもの。実際、冒頭に書いたように私の知り合いのお子さん、そして親であるその人たちに大きな希望を与えることになったのでした。
「Su Su Su Superキレイ」1996
カネボウのCMのタイアップでしたね。
鈴木保奈美さんでしたかー 忘れてた。この曲で一躍「時の人」になりました。
でもって、下記のようなパロディ企画も生まれたりして。
「加トちゃんぺのスキャットマン」1995
「スキャットウルトラマン 〜光り輝く未来へ〜」1996
「Scatmambo」1998
「The Chickadee Song」1999
「ICHI, NI, SAN... GO!」1999
この頃には咽頭癌が進行していたそうで、自分で作詞することも減り、他のボーカリストにpartの大部分を唄ってもらうことが多くなったとのこと。
で、1999年に咽頭癌もですが肺癌にて永眠することに…遺骨はカリフォルニアはマリブの海に散骨されたそうです。
John Larkin「Listen to the Scatman」2001
ですが、彼の死後も彼の曲はサンプリングされたり、オマージュされたりする機会もあったりして。
Mark'Oh「SCATMAN」2009
ドイツのDJが出したシングルで、PVの最後に…
「In Loving Memory of Scatman John(私の記憶の中にスキャットマン・ジョンは生き続ける)」という、テロップが流れるそうです。
「Scatman & Hatman」2019
「マンボNo.5」のヒットでおなじみルー・ベガが、スキャットマンをサンプリングした楽曲を死後20年記念という事でリリースしました。
彼はインタビューでこう答えています。
Alan Walker x Imanbek -「Sweet Dreams」2021
「スキャットマン」のフレーズが盛り込まれています。彼らはスキャットマンに対し、「自分が子供の頃、ユーロトランスとテクノが人気絶頂期だったから、僕の初期の音楽インスピレーションを思い出させてくれる」と語っていたりします。
そして、ジョンは「スキャットマン基金」と言う、吃音者を支援するためにスキャットマン基金(略称SF)を設立し、非常に熱心に活動して、日本ゴールドディスク大賞の賞金をそのまま日本の吃音者団体である全国言友会連絡協議会寄付する等、精力的に活動しました。※とは言うものの、今はサイトは閉鎖されているようです
そんな感じで一時のブームで終わってしまったのが残念ですが、願わくばいつか彼の曲が再度、世の中の注目を集めることで、彼自身や彼の障害であった吃音症とその活動、克服方法のことなど、もっと世の中に周知されて、吃音症で悩む人たちに再び希望を与えるきっかけになればいいなあ…なんて思ったりします。
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「My Favorites〜音楽のある風景」
2021/11/12 掲載記事より転載