占いや霊能者に頼ったり、私のような職業に相談に来る人の中には、自分にとって、何が「良く」て「悪い」ことなのか、
「どうすれば万事うまく解決するのか」ということを聞いてくる人も多い。
ベストな結果が出る未来があるのはどっち…? みたいな二者択一とか、「どうすれば私、幸せになれますか」といったような漠然としたものまで。
でも、大体みんな自分がどうしたいかは決まっているんだけど。
そして、「こうするとよい」とアドバイスしても、
それが"したくない"ことなら、ふてくされちゃうわけで。
ほとんどの人が努力を嫌がるものです。
自動的に転がってくる「幸運」とやらを、告げられたい人のほうが圧倒的なのです。伝えられるご神託的なメッセージやそれに基づいたアドバイスが、欲しいものが手に入る、思い描いた未来と少しでも違うと不服なんですわ。
なんていうか・・・寝ている間に小人さんが靴を作ってくれるように、自分の問題が自分が何もしなくても自動的に解決している…そういう未来を言われたくてしょうがなくて。もしくはもっともリスクの少ない方法で・・・
一番ラクで簡単なことをするだけで、魔法のように万事解決して思い通りの未来が開ける!
そんな期待をする人も未だ減らず、かな。
だから、他力本願的な霊感商法やアホみたいなスピリチュアル・ビジネスに引っかかる人が減らないんだな、コレが。
パワースポット行って運気高めてご利益~とか…そういう開運ツアーなら、まあさほど害もない。むしろ良い氣もらえて気分転換出来て、心身リフレッシュ出来るでしょうし。聖地含めてその周辺の経済も回りますし。神社やお寺にとってもお参りの人が増えることは良いことですから。
壺(あるいは水晶とか印鑑とか)を買えば~!とか…某神様に拝めば~! とか…これさえやれば、即! 問題解決~! (最近はやや廃れてきたのでヨシ)
みんなそういうの、求めてるのよね。
大好きっていうか、弱いっていうか、結局はソコなのよ。。。みたいな。
甘い戯言に頼って依存しちゃって、何百万もお金使っちゃったりとかね。
占いジプシーは中毒性高いメンヘラとしかいいようがないし、すぴヲタとかが行き過ぎて、私は選ばれしモノなのダー!と勘違いし、セミナーやワークなんかに多額のお金を突っ込み、DQNかはてまたキラキラみたいな名前つけて、成金コスプレみたいな恰好して写真撮り始めたら危ないかも(謎)
(あ・・・私もぼったくってはないけど、似たようなもんかっっっ汗)
うん。みんな苦労はしたくないし、変わりたくなんかないんだ。自分の悪いとこ、見つめたくないし、認めたくもないし、人生を改めたくはないんだよね。
何かのせいに・・・自分以外のものせいにして、外の出来事のせいにしておきたいんだ。自分の人生、自分で責任をとるのはイヤなんだ、皆。
だから、「コレをすれば、万事お悩み解決!」みたいな救ってくれる魔法を求めちゃうの。
だって、よしんばそれが上手く行かなくても・・・その方法が、モノが、自分を救ってくれなかったとしても、問題や悩み事が解決しなかったのは、自分のせいではなくて、その方法やモノのせいにできるからね。
あくまでも皆、自分では責任をとりたがらないのよ。
さて、本題。
もう20年以上前のこと。
外資マーケティング会社に派遣で在籍してた時、近所のH大の子がバイトに来ていて知り合いまして、で、その子を通じてその子のサークルかなんかの先輩の子と仲良くなったりした(ややこしい人間関係)。
仮にその先輩の子をHとする。ちなみに私からしたら、一回りも下の子。
六大学のひとつを卒業したにも関わらず、エロ系〇〇家というアナーキーな仕事をしていた自由奔放なH(♀)は、一緒にお酒を飲んだり、遊んだりするにはとても楽しい子で、いるだけで場を盛り上げてくれるし、親父受けするネタもたくさん。性格も裏表なくて、とてもいい子だったんだけど・・・
如何せん、約束や時間にルーズだった。本人は気づいてないつーか自覚ないんだろうけど、そういうところがマジに気マグレンてか、ちょっと周囲を振り回すとこがあって。
職業が職業だったから、というのもあるだろう。友達というかちょっとした知り合い程度だったからまだいいが、たぶん職場の同僚とか部下だったら、
かなーりアウトな問題児と思ってたかも新米。
さて、その破天荒なHにまともな恋人が出来た。それまでの相手は「え゛ー?」な人だったのだけど、しっかりとしたお固い大手企業に勤めているリーマン。
Hはぽっちゃり体型だし決して美人ではない。だが、彼女の尽きぬけた明るさや素直さ、中身に惹かれたようで。(絶対にOLにはいないタイプと断言できる) しかし、なんと! 彼の実家は戦前から続く老舗有名○○。
おぼっちゃまやん・・・
彼にプロポーズされたHから相談された私。(仕事としてね、そこはきちんとしてる子なの) 当時はまだ占い師として占いしかしていませんでした。
長男の彼と結婚することは、いずれ里に帰り、後を継ぎ、その○○の「女将」になるということ。
チッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッチッ(時計の針の音)
これが悩まないでいられようか!
して、出た卦は・・・(いやさ易でなくてタロットだけどさ)
「プロボーズを受け、結婚せよ! このチャンスを逃すべからず!」
で、決心したH。
プロポーズを受け入れ、めでたく結婚! しばらくは東京で暮らし、二人の子に恵まれて幸せなファミリーだった。(天真爛漫なHは子供の気持ちがよくわかる人でもあり)
ダーリンの故郷に帰るまでは・・・
はっきりいって、旦那さんのご両親は自分たちの息子が都会で見つけたお嫁さんに不満だった。跡取り息子には、それ相応の家柄の方、良家のお嬢さんを~なんてのを考えてた人たちだったから。
老舗ガー伝統ガー なんていう昭和のカビの生えたプライドを後生大事にしている、カタコチ頭の人たちには、Hの良さが決して分からない。型にはまらない彼女が宇宙人にでも思えたのかもしれない。
平穏無事な四人家族に強敵とも言えるラスボス登場。それはトメとウトメ。
そして始まる女将修行と称した嫁いびりの日々(細うで繁盛記みたい)。
確かに根っから庶民(私と同じ職人の娘)でしかも、かなり平凡とはかけはなれたHにはハードル高かったと思う。ふつーの大衆的なとこなら、合ってたと思うけど。高級と名のつく、敷居の高すぎるとこは水が違いすぎたとしかいいようがない。
最終的にそんな苦労が待っていたのにも関わらず、どうしてタロットは、
「結婚せいや」というアドバイスをしてきたのか・・・。
それは簡単。
彼女、Hは苦労しなくてはいけなかったから。
確かに人間的にも魅力的で面白くて楽しいし、人に好かれるところ、たーくさんある子だったけど、いかんせん、常識に欠けていた。人間関係にもルーズだった。
義理人情に厚いし、酒席では気配りも出来るけど、無意識に他人の気持ちを踏みにじる面もあった。欠点を覆うくらいの長所も持ってるけど、でもやっぱりそれではマズイっていうか、いつまでもそれではいかんだろうっていうのもあるわけで。
彼女は彼女で、自分が逃げてきた「苦手なこと」に、嫌がおうでも取り組まなければいけなかったんですよ。これまで人生で怠けていたこと、必要がないと思ってて、磨いてこなかった社会常識とか公序良俗におけるマナーとか対人スキルとか、まあ、あれやこれや。
どうしてもそこ、矯正しなくてはならなかったんです。結婚生活において、旦那さんに恋されて、子供に恵まれるという幸せを味わったけれども、同時に・・・古い格式ある昔ながらの厳しい人たちから、人としてのマナーとか、守るべき規則や約束の大切さとか、知らなくてはいけないこととか、そういうのを鍛えてもらわなくてはいけなかったんです。
これは今の人生ってだけでなく、今後の彼女(来世)にとっても必要な経験。
人って、今のままではいられないわけで、どうしても「成長」を求められる。ていうか、「成長」していかないと、先に進めない。万物が変化していく中で、人もまた変わっていかないといけない。
彼女にはとってもいいところ、心の優しさとか思いやりとか、美徳とか長所もいっぱいいっぱいあったけれど、それだけじゃダメだったんです。人として、親としても成長して、知らなくてはいけないこと、たくさんあって。
彼女にとってはとてもしんどくて辛くて、苦しい時期だったと思う。故郷を離れて、知り合いのいない土地で、旦那さんだけしかよるすべがなく、幼い子供二人抱えて・・・
努力をしても報われないというか判ってもらえなくて、出来ないこと、苦手なことをチャレンジしてもダメ出しばかりで。叩かれて叩かれて呆れられて、悔し涙も流したろう。
この結婚そのものが間違いだったんじゃないか?って、そもそも結婚するときに、家柄が違いすぎるし苦労が目に見えてると反対した人もいたかも知れない。
もっと彼女を鷹揚に受け入れてくれ、実の娘のように、可愛がってくれる大らかな、実家と差異のない価値観の家族・義両親のいるパートナーと出会えたかも知れないのに? 東京を離れずに済む相手だっていたかも知れないのに? もしくは独身のままだったとしても、それはそれで彼女らしく生きられる、苦労の無い人生を送れたかも知れないじゃないか・・・とも。
そんな風に考える人もいたかもしれない。
彼女自身もこの結婚を後悔したのかもしれない。
何が良かったのか、悪かったのか・・・それは誰にもわからない。本当のところはわからない。
だけれども、運命というものは、必ずしもその人が「安楽」に生きる方向を指し示すわけでない。
その人が思い描き、期待している「良い結果、幸せな未来」というものが、
その人自身を成長させる「必要な経験」であるとは限らないので。
その人が考える「幸せ」がある方向ではなく、その人が自分自身を「幸せ」にするのを邪魔している「考えの誤り」や「性格上の問題」を矯正させる方向で、運命の針というのは、常に「オススメ」の未来を指し示すんである。
それがその人にとっての「良い」になる。だから、その人が希望している未来と一致すると限らない。
得てして人は「苦労」を嫌がる。辛い思い、痛い思いをしたくないと考える。「苦労」そのものを良くないこと・・・「悪いこと」と捉える。そのような道を避けるべき運命として選択肢から外そうとする。
けれど、いつだって一番「痛いこと」の中に答えが隠れていて、避けている事柄の中に自分を成長させる経験が待っていたりする。
進むべき場所は天国ばかりではない。
自分が一番行きたくないところが「行くべき場所」だったりする。そこに成長と開運の鍵が置かれていて、「幸運」や「成功」のありかだったりする。
そして安楽を求める人ほど、痛い思いを避けるから、その痛みは、後になればなるほど痛みが増す経験となって、自分のところに戻ってくる。
そうなる前に、「若い頃の苦労は買ってでもしろ」ということか。
だから結果にこだわっても仕方ない。大事なのは過程であって、その冒険に挑戦することによって、自分に何が得られるか・・・なので。
冒険の先に、ゴールに待っている「お宝」の大きさを考えるのではなく、この冒険にチャレンジすることで、自分はどれだけ成長できるのか・・・最終的に何を捨て、何を得られるのか、自分が何を身に着けられるのか・・・どんな自分になれるのか・・・を考えるべきだ。
そこを考えればおのずと、今するべきこと、選ぶべき道が見えてくるはずである。