過去に何度も書いていますけれども、
'カルマ'というのは、=宿業という意味ではなく、
「対峙して克服しなければいけないノルマ的状況(人生の課題)」のことで、
「態度や考え(意識)を改める必要性があって、
そのために、体験することで自ら応えを導き出し、
気付きを得るための学びのレッスン」…のことです。
世間的にも宗教的・秘教解釈でも最も誤解のある部分ですが。
神仏などの無形の存在、そして誰か第三者が与える懲罰ではなく、
その人の魂(内なる神)が、自らへと化す宿題(課題)であり、
この世・・・物質的次元の世界に存在する映し身としてのパーソナリティ(分身のような、アバターのようなもの)が、エゴイズム(自分至上主義)を無くして、本来の姿たる魂と一致し、ワンネスへと帰還して、その中で生きられるようになるために…余計な部分をそぎ落とし、愛の欠如を埋め合わせるために、自らに架す「経験」なんですね。
こう言っても、なかなかどうして解りにくいことかと思います。
愛が欠落している行動や思考が、すべてカルマのレッスンとなることは、
前回に解説した通り。
さて、問題はこのカルマの分量・・・
物質的なもので分かりやすいものに置き換えて例えると、
とりあえずお金になりますでしょうか。
カルマは「借金の返済方法とその支払計画」みたいなもの。
クレジットや住宅ローンでも、奨学金でも何でもいいんですけど。
この負債がどれだけあるか、ですかね。
よく「カルマの負債」という言い方をしますけれど、正しくは、人生の負債を返済するための行為(障害や痛い経験)がカルマになります。
とりあえず、ワンネスは「楽園」としましょう。
そして、そこが「実家」であり、戻るべき場所であると。
私たちはそこから旅立ちましたが、いずれは「実家」に戻らなければなりません。(戻ることは、輪廻転生という旅の終わりを意味します。解脱とか悟りを得た状態とイコールと思ってください)
ワンネスへと「帰還」すること。
これが人類一人ひとり、全ての人の「ゴール」です。
さて、神という状態を豊かさで表すとします。
神さま(魂)は億万長者で富豪です。
私たちは過去実家では10億円の資産を持っていました。
つまりは本来の魂、内なる神は10億円の資産持ち。
けれど、「楽園」から旅立つとき、この資産を一度手放します。
つまりは無一文となって、旅に出たのです。
そして、再び「楽園」という場所に戻るためには・・・
ここに入るためには、入場料といいますか、10億円の資産を持っていることが最低条件だったりします。残高証明でもいいのですが。
無一文で旅に出て、その状態からスタートし、「楽園」にいたときと同じように、10億円を稼ぐため、旅路において色んな仕事して稼いで貯めて、
貯蓄額がきっちり10億円に達したとき、ようやく実家へと・・・実家のある「楽園村」に入るための扉が開かれる。(入会資格が得られるみたいな)
転生の旅を短絡的に言うと、そんな感じです。
(お金は実際は豊かさであり、金額が示す価値は
その人の人としての「価値」そのものだと思ってください。
実際の金額というより、10億円の価値がその人に見出せるかどうか・・・
世の中に対して、10億円分相当の、価値ある資産を生み出すことの出来る創造性を備えているか否か。それだけの仕事をしてきたかどうか…とも言えるかな。
でもって、10億円というのは、その人自身の豊かさすなわち愛の分量と考えるべきで、10億円相当の愛のエネルギーを自らに蓄えている人か否か。
して、愛の欠如した行動や思考が借金を創り、
愛のある行動や思想が資産を増額する・・・
ンな感じ。
でも、実際は皆さん、資産を増やすより、どんどん借金して、借り入れの金額を増額するのに忙しい。10億円貯まるどころかマイナスばかり増えていく。元金減らず、利息だけ支払いするだけでは、いつまで経っても借金は減らない。
さて、どうしたものか・・・??
そして、カルマはマイナスになった借金を返済するために、いかにして支払うか・・・マイナスを目減りさせて、利益をプラスに転じさせるか・・・そうした苦肉の策です。
でも、みんなそれになかなか取り組もうとしません。いくら優秀な金融アドバイザー(守護霊さんたち)が確実な運用方法や元金を減らすための方法をアドバイスしても、聞く耳持たず、一攫千金などの安易な儲け話に飛びついては、不良債権を増やして、結果的に雪だるま式に借金が増えていく。
自転車操業だけを繰り返して。
残念ながら、それが実状。
さて、先日たまたま気になって訪れた某寺院で、
閉じられた厨子に手を合わせていると、とあるお姿が。
それはとてもふくふくと艶々して美味しそう(笑)・・・なお姿。
いつもだったら、そういう電波な話は内輪だけで、
胸にしまって、話すようなことはしないのですが、
その時はふと、何とな~く…つーかついつい、口に。
たまたま、そのお寺さんの方がお堂の中にいましたので、
「あのう・・・ここの神さんか仏さんで、○○のお姿の方、います?
こんな感じのこんなこんなの・・・」
(普段だったら、頭のおかしいヘンな人と思われるので、言いません)
したらば、
「それは○○様ですね、
修行をした位の高い僧侶しか見てはいけない秘仏で、
私もまだ見たことがありません」
とのこと。
(ちなみにその後、ご本尊様や寄贈された写仏像とか、あれやこれや案内して頂き、お茶とお茶菓子を頂いて、三時間くらいお話を聞かせて頂いたのでした。ありがたや、ありがたや)
その後、自宅で瞑想していると、いろんな服装バージョンのその仏さんがどうしても出てくる。物凄いボリュームのサラウンドBGMとともに・・・
(ガムラン音楽みたいなチンドン屋的ドンチャン音楽・・・謎)
なんだろアピられてる???
思い立ち、PCで調べてみると、
どんな願いごとも叶えちゃう、スーパーパワフルな仏様らしいのですが、
同時にとっても怖い仏さんであるとも書いてある。
私が見たビジュアルは、とても可愛らしくて美味しそうでしたが。
(雪見大福のよな、大根餅のような。。。)
検索して出てきた中に、この○○様に願掛けでお願いをしたものの、どんどん状況が悪くなるというか、悪いこと不幸続きで、これでもかってくらいで、なんでこんな目に?
みたいな人のお話を見かけました。
なんでなんだろうな?
と思ってたら、あっさり回答来た (はぇぇ!!)
つまりは、「願いごと」をする。
この場合、本来自分でしなければいけないことを
他力本願という、「神仏」の力を拝借する行為をするわけですが、
それをするからには、「借金の繰上げ返済」が起きてくる、とのこと。
神仏にお願いをして、ストレートにお願いが叶う人というのは、借金がなくて、資産がプラスの人に限るそう。もしくはカルマの少ない人。順調かつ滞りなく返済計画を遂行している人・・・らしい。
前述の例えで言うなれば、ですが。
借金がてんこ盛りのある人、マイナスの返済が滞ったり、支払わない時期がある人(つまりブラックや多重債務)なんかは、自分の努力ではなく、神仏のお力をお借りしようなんてとき、「ん~ その前に借金を最低でも○○○万円まで減らしてからね」・・・みたいに、一気に毎月の請求額が跳ね上がったり、一括請求の支払いを求められる・・・ってことらしいです。
月々の返済額が、5000円のところを毎月3万円に上げられたり、途中入金で100万円の支払請求が三ヶ月ごとに来る、みたいな。
あと、そればかりではなく、
お願いすることが「エゴイズム」に基づいたことだったりなんかすると、
その「エゴイズム」自体がマイナスなことなので、「カルマ」そのものにもなるし、ネガティブなエネルギーを引き寄せて、結果、良くないこと・・・不運を引き寄せるというのも多いので、全部が全部一括請求(繰上げ返済)というわけではないのですが。
その願い事が、エゴイズムからではなく、「人助け」とか「周囲を幸福」にする良いこと、善行であったり、「魂の要求」「天命」に沿った、ポジティブなことであるのにも関わらず、願掛けをした途端、「不運」「不幸」「良くないこと」が立て続けに起こったりするのは、かなりの高確率で「繰上げ返済」や「お試し」だったりするんですと。
ああ、なるほどなあ、と思いました。
そういえば、私数年ほど前、「金運アップ!」みたいなことに、ちょっと取り組んでみたことがあるのですけど、それをすればするほど、ビンボー?になって、金運が下がったんじゃん?てことがあったんで。
まあ・・・下心があったのがいけないツーか、確かにエゴイズムが核にあったからとも思いますが、スピリチュアル・ナルシズムを削ぎ落とすための働き掛けだったのだと、今にしては思います(トホホ)。
その願いごとや要求が、全人類的に「善きこと」であっても、自分という人間の資産(価値)が、マイナスだと、神仏の力加算して叶えることかなわん・・・なのですね。(この場合、物質社会での資産とは関係ありません)
だから、まず保留にしてあったカルマのレッスンを片付けんか・・・と。
1000年分あるカルマの内、一回の人生に割り当てられた100万円の借金を、「ほんじゃあ、まず1年で返そうね、にっ」となって、「1000年分をこの数年で返せるところまで返してからね」
となることもあると。
わかりやすいっちゃあ、わかりやすいですね。
なるほどです。
神仏、恐るべし。
だからこそ、神仏の力(パワー)借りるとき、マイナスのことであればあるほど、それだけ物質レベルでのお金も、高くつくわけですね。
そっかー と納得。
して、せっかく○○様のお姿を見ることができたというのにも関わらず、
ワタクシ、とくに宝くじとかは当たっておりません。
悪いことも別にないですけど・・・
うむ・・・。