見出し画像

イエロー・マジック・オーケストラ - RYDEEN / ライディーン - 1979

ライディーンと最初聞いたとき・・・

これ??

「勇者ライディーン」1975

・・・を、思い浮かべてしまったのは何を隠そう私ですww

ちなみに勇者ライディーンのキャラクターデザインは、ガンダムでおなじみ安彦良和さんですね。イラスト集持ってました(ファンです❤️)。

そして、あの実写化(映画)は認められませんのでしたっっ

んでもって…肝心の、

「RYDEEN / ライディーン」1979

彼らの曲の中ではこれが一番好きです。

YMOの曲を一番最初に聞いたときは、聞き馴染みのない音で、まるで消化できない無味無臭の何か…を口にしたようなそんなイメージでww

聞いた後、しばらく無言になって、

「・・・・・・・・・・・・・・ん?」

みたいな、一拍置いてから「あ゛ー」って考え始めるような、どうにも判断しがたい感想のいいようがない…って、なんて表現したらいいのかって…そう思うくらい"新しい"聞いたことのない初めての音楽だったのですよ。

食べたことのない食べ物、味だから何に喩えて説明したらいいのか解らない。

そんな戸惑い。

いやさ、その前に電子音楽といえば、エマーソン・レイク・アンド・パーマーとか、クラフトワークとか…存在していて耳にしていたことはしていたんだけども。

Emerson, Lake & Palmer 「Mussorgsky - Pictures At An Exhibition」1971

Kraftwerk「Dentaku」1981

心を揺さぶる情緒的な感動はないし、ワクワクするノリノリな音楽でもないし、血を煮えたぎらせ肉躍らせる、そういう熱い衝動や本能を目覚めさせるものでもない。

本当に"音"だよね…っていえば、そう。

なので当初はとっつきにくいというか~流行っているけど、それが何か?的な…生理的に受け入れないということもないし、嫌いでもないけど、かといって好きでもないし~だったかなあ…

でも、そのうちに馴染んできた。新しい清涼飲料水の味に馴染むように。

最初に聞いたのは別の曲だったけど<たぶん「テクノポリス」かな?

「TECHNOPOLIS / テクノポリス」1979

「TONG POO / 東風」1979

「COSMIC SURFIN' / コズミック・サーフィン」1979

「中国女」1978

やっぱねー あっこちゃんありき、だったと思うですよ~
うん、紛れもなく、あっこちゃんはYMOの第四のメンバーだったとです。間違いない!

矢野顕子「春咲小紅」1981

「Solid State Survivor」1979

テクノポップっていうのは、未来を連想させる音楽だったよね<当時
未来都市構想っていうのかなー SF作品で描かれるような大都市の音楽。大友克洋の「AKIRA」の世界。

劇場予告編「AKIRA」1988

あの東京みたいな街。そういうのをイメージさせる音楽であった。

「君に胸キュン。 (浮気なヴァカンス)」1983

これ出たとき「え゛ーっww」って思いましたよね、うん。
でも、可愛いおじさんってイメージだったwww

はっぴいえんどの細野さん、サディスティック・ミカ・バンドの高橋さん、そして大滝詠一さんなんかのスタジオ・ミュージシャンだった教授。

三人の才能が集結して生まれたもの…って印象強いです。

どうでもいいトリビアですけど、細野さんの父方のお爺さまは「タイタニック号」に唯一乗船していた日本人で、生き残られた方。事実とは違う汚名を着せられて、とても苦労されたそうです。

なんていうか~YMOの功績って多大だと思うですよ。日本で初めて電子音楽(打ち込み)やって、ニューウェイブ&テクノを浸透させて、スタンダードなものに溶け込ませることに成功したバンド(ユニット)として、世界に通用するとかしないとかの手前でやめちゃったというけど(当人たち曰く)。

事実、YMOを足掛かりにして、教授は世界のSAKAMOTOになっていくわけですし…音楽だけでなく、多方面のアーティストに影響を与えてますしね。

この頃から、音楽技術や作曲法とかも、大きく変わっていったと思う。

まあ、アメリカでは全曲打ち込みってのは、ボストンとかも70年代中期に完成させてたし、ドイツのバンドとかの方が早かったんだけどもね。

して、YMOがいたからこそ、後のボカロなんかも生まれたんじゃないかな。はい、テクノで代表される電子音楽がホガロの生みの親でルーツと言っていい。その前にコムロさんの存在も忘れちゃいけませんけど。
とは言うものの、私はボカロ嫌いですけどね。生歌派なんで(一定の年齢を過ぎると、機械音の周波数は聞き取れないというか、耳障りな雑音&騒音にしか聞こえなくなるんですよ。なので、若い世代だけが楽しめる音楽って感じなのかな<電子音)

Boston「Don't Look Back」1978

ボストンは打ち込みで作った音楽(歌&曲)だったんだけど、当時はまだ受け入れられてないから、バンド形式にわざわざ置き換えられて、急遽間に合わせのミュージシャンたちに演奏させたって、そんな創られたバンドなんですよ。

ELOは、いちおうバンド形式ではあったけどさ。ジェフ一人でやれちゃったりなんかするって意味では、その系統かなあって気がする。

日本の音楽業界の流れを大きく変えたってのはあると思う。

そして…

トリオ・ザ・テクノ

これUPしてくれてありがたい❤️ 

TV-YMO

YMO モジモジくん

どてらYMO


F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。

「My Favorites〜音楽のある風景」
 2020/12/01 掲載記事より転載


いいなと思ったら応援しよう!

The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛