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病気とカルマと身体のこと(後半)
生物学では死が不可避だという証拠は見つかっていません
これは死は不可避ではないこと、
そして科学者が私たちの健康を害する物が何かを
発見するのは時間の問題だということを
意味していると私は思います
by リチャード・ファイマン
病気のことばかり考えないようにできるだけ注意しましょう
強さやパワーを考え、それを自分に引き寄せるのです
健康だと思いなさい
そうすることによって、健康が回復します
by プレンティス・マルフォード
「魂のブループリントとカルマの違い」
「運命の創られ方」
の記事中でも、カルマの法則について触れました。
※こちらの記事は過去blogからの転載になります。2015年以前
さて、
病気という現れ方をするカルマ(学び)に関していえば、自分の肉体を大事にしてこなかったという意味で、やはりこれも、自分の肉体に対する愛の欠如も一因で、正しい肉体の使い方をしてこなかったことによる、その人の生き方や考え方に対する「誤り」への指摘以外のなにものでもありません。
とはいうものの、
すべての病気の原因が、ソレというわけでもなく、中にはカルマの負債の返済のために「病気」や「肉体の障害」を負うということもあるので、全部を同じに量ることはできません。
自分のカルマではなく、他者への愛から、自分の身体に愛する人のカルマを背負ってくる人もいますし、一度の人生の行動や経験だけでは気づきに達することが出来ず、到底解消しきれそうもないないカルマを、ほとんど無理やりに近いのですが、一気に返済するべく無謀かつベリーハードな人生を選ぶことがあるからです。この場合、誰か第三者に強要されたわけではなく、
①魂のブループリントでの計画での当人の選択の結果
・・・になりますが。
例えば、そうですね・・・
カルマのレッスンの解消を、借金の金額とその返済に置き換えてみましょう。(あくまで比喩、例えですので)
ある人が、30歳の時点で、三千万円の借金を背負ったとしましょう。
住宅ローンでもいいんですが。
これを実際の利息とか税金とか、本来の計算法は無視して、単純に、30年返済にして、頭金なし、ボーナス払い無し、年間300万円÷12=月々25万円の支払いををする、としてみます。
ふつーは、「一ヶ月に25万ローンの支払いなんて、無理!」
となって、「支払えるのは月5万かな」とか、年収300-400万だとそんなところ?(そもそも年収300-400万で三千万円のローンの審査はおりんか、というわけでギャンブルで作った多重債務、借金としておこう)
するってーと、月5万なんて利息にも全然足りません。
頑張って、サガワでお兄さんして、月70-80万稼ぎ、毎月頑張って、生活を切り詰めて、給料の大半(50万位)を支払いにあてれば、15年ほどで借金返せる計算になります。
けど、月100万以上の収入でも無い限り、あるいは宝くじあたったり、高額の遺産でも入らないことには、なかなか支払いが進まない。
毎月せっせと支払い続けても借金はなくならない。この場合、自己破産の選択はナシ。
一ヶ月の支払いが少なければ少ないほど、支払い年数は嵩んでくる・・・と。無理せず支払えるものの、減らないわけです。
下手したら、支払いきれず、次の人生に持ち越し、も多々。次の人生でも無理で、次の次の人生にも負債は追いかけてくる。。と。
そんなこんなで、チャラにする方法。
残り二千万のところで、「もうコレ以上、ちまちまと払い続けるの無理! 苦しい!ヤダ! なんか別の方法ない?」
とか何とかで、一括返済の代わりに、ベリーハードな仕事を引き受ける。例えば、現実の世界だと、腎臓かたっぽ売っちゃう・・・とか。漫画なんかだと、傭兵に志願するとか、ギャングの片棒かつぐとか。女性で若くてキレイな人だと、「借金ぜんぶ払ってくれたら、狒々爺でも変態でもなんでも、愛人になります」なんて具合。
で、話戻して・・・
この借金、毎月払いつづける多額の借金をカルマと置き換えると、一度の人生ではどう考えても、死ぬまでに払い終えるのか?的なもの、来世でも無理じゃね? あと何回人生生きれば終わるの?的なそういう負債とします。
この場合、払い終えるというよりは、どんだけの痛い思いと経験をすれば、
いったいいつになれば何度繰り返せば「身につくのか」・・・的な本人の経験値と人間力のことになるんですけれど、カルマのレッスン。
そこで、中間生で・・・ブループリントと称される、「人生の予定」と言うノルマを立てるとき、「もーやだー 何度繰り返してもクリアできないし、次の展開に進めないし、いい加減ヤダ、一回で学び終わらせたい」
というブータレに対し、ガイドさん曰く「無いこともないよー 一回の人生で返済できるけど。でも、滅茶苦茶しんどいよ~ それでもいいのかな?」となり、「うん、それいく! いっちゃう! もう一回で全部終わらせたい。いいっ! 後悔しないから、それでいく、やる、やります!」
「後で文句いったり、弱音はいても知らんからね」と、自己責任で、ハンデを背負ったりなんかして。
そして、ベリーハードな環境、超絶な浮き沈みの激しい人生を経験しなくてはいけない、国や文化や両親のもとに生まれることになったりして。他人のカルマを背負うことも含めて。
カルマの一括返済は、生まれつきの治癒困難な病気であったり、身体的障害であったり、過酷で幸い薄い生育環境に生まれることもあるけれど、人生の途中で、大事故で大怪我して半身不随になったり、順調にいってるとこで奈落に突き落とされることになったり、それこそ多額の借金背負ったり、身内を全員失う悲しみを味わうことになったり、誰もが眉をひそめて同情するような事件の被害者になったり、何かや誰かや社会の犠牲になったり、自分の「命」をもって、社会を変え、人を動かすための死に方をしたり…
それはもう、いろいろです。積み重ねてきたカルマにもよるので。
自らの意志の主人となり自らの良心の奴隷となれ
by リーブ・ラズロー
人皆生を楽しまざるは死を恐れざる故なり
by 吉田兼好
最大の病はハンセン病や癌や結核などではありません
人間にとってもっとも悲しむべきことは病気でも貧乏でもありません
朽ちかけている肉体と見離された魂にこそ慈愛の心が必要です
by マザーテレサ
しかして、「病気」を考えるとき、
それをヒーリングでサポートしていこうというとき・・・
関与してはならない領域があるということをヒーラーは知らなくてはいけません。他人にヒーリングを施すとき、「治してはならない(解決してはいけない)」病気や状態というものがあったりする(民間療法の領域で治すという言葉は使用してはいけないし、治すというより、この場合は治る方向性には関与してはいけないという感じでしょうか)
気づくべきことがあっての問題示唆としての疾患の場合、治るべき時期が来ているかどうかの問題もあるのだけれど、それだけではなく、大きな「病気」や問題を抱え込むことで、人としての成長の機会を得たり、カルマの返済をしていたりする人もいるから。
当人の問題が「肉体の問題」として表れることで警告を発していて、当人がそれに「気づき」さえすればいい場合も多々あるけれど、それが大半ではあるものの、そうではなくて、カルマの返済のためにわざと病気や障害を抱えこむことになった人もいるので、そういう人に対しては、「治す」ためのサポートとしての介入は余計なお世話になります。
そして、「病気」であること、「病人」として生きることで一休みの人生を生きるべくして生きている人もいるので、これもまた、病名と問題のある部位を指摘して、「その病気ということは、あなたはこういう改めるべき問題がありますね」と誰しもに指摘することはできません。
例えば、病気を理由に働くことができずに、生涯を家族や福祉的な世話や援助によって生きなくてはならない人の場合、前回の人生で肉体にダメージを受けたことにより、リハビリ的な、周囲に優しく守られる人生を過ごす期間が必要が故、というようなケースも考えられるのです。
あるいは、両親のどちらが病気や病人に対する理解の無さ、愛の無さからのカルマのレッスンを負っているので、その学びを教える相手として、愛を養うための存在として、相手のカルマの一部を背負って生まれた可能性もあります。またその両方が引き合ってのことも。
過去生でアヘン中毒やアルコール中毒、ドラッグによる中毒で後年廃人になって、家族の世話を必要とした人は、前世での後遺症で自分自身がその立場に生まれることもあるけど、知的障害や身体障害者の子供などを持つことによって、自分が過去生で家族に味あわせた苦労や、介護の大変さを経験させられたりすることも少なくないのです。
過去生で放蕩というよりは行き過ぎた性欲を持ち、その性欲を利己的に他人に対して用いた人で、強すぎる性衝動を解消したくても、自分の意志では叶えることの出来ない身体に生まれていることもあります。これは自分に対しての枷として。
病気にしても、障害にしても、ハンデはその人が自分に選んでいる結果でもあるのです。
だから病気を見るとき、その人をまず見なくてはいけない。
その病気の本当の原因、そこにカルマの法則が働いているのか否か、治してもいい病気か、関与してはいけないものか否か、自分自身のカルマなのか、引き受けた他人のカルマなのか否か。治る時期が来ているのか、どうなのか。それとも、まったくの別の要因なのか。(当人やカルマの問題ではない、環境など別の問題の可能性)
その人が「改めるべき」生き方や態度、他人に対して抱いている感情など。
いろんな要素を考えて、それを考慮した上で、アドバイスもヒーリングもしないといけません。
いずれにしても、治すのは当人であって、お医者さまでもヒーラーでもないけれど。
すべて治す力は、内部の生命エネルギーの働きからくる。
私たちが心や身体の不調を治したければ、
自分の態度を変えて、
生命力を破壊的にではなく、建設的に働かせなさい。
憎しみ、悪意、妬みは、
人々の心や魂や身体に毒素を作り出すだけである。
すべて治ると言うこと、すべての助けは、
建設的な考え、建設的な行動、そして何よりも第一に
建設的な生命エネルギーよりの
インスピレーションからやってくることを知って、
忍耐強く働くことである。
身体の不調は、
よりよい偉大な自覚へと押し上げる踏み石とするようにしなさい。
悪を思わず、悪を言わず、悪を耳にしない。
そのとき、
真理が生命エネルギーの流れとなって心のすみずみを浸し、
やがて肉体を浄らかにして活力を与え、
失われた生気をとりもどしてくれる。
親切を語り、やさしさを語れ、忍耐強くあれ、
人のあら捜しをするな、他人を非難するな。
あなた方がこれから歩む道筋に、
あとで困るようなものは置かないことだ。
他人の避難を浴びるような無駄口を叩くな。
このことが身体の状態の前途を変えるかもしれないのだ。
by エドガー・ケイシー
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