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輪廻転生~転生サイクル③「幽霊の正体と輪廻転生のゴール」
転生サイクルの話題から逸れてしまっていますが、
続きと言えばそうなので、補足の知識をば。
ノーマルで一番多いパターンだと、転生サイクルは20年前後と説明してきました。一部の例外を除いて、ですが。
ここで疑問に思う人が少なからずいると思うのです。
20年前後でほとんどの人が生まれ変わるというのなら、では一体、幽霊と呼ばれる存在たち…何千年、何百年も前の霊たち、地縛霊とか主護霊(守護)とか背後霊とか、先祖の霊って何よ?
土地に住まう悪霊とかそうした現象とか、何代もわたって続く因縁とか祟り(障り)とか、そういうのって何?…と。
何処か以前の記事にも書いている話だから、ここでは詳細に書くことは省略しますが、人間は三つの身体を、(肉体・サイキカル体・ノエティカル体)
三つの次元(物質界=三次元、サイキカル界=四次元、ノエティカル界=五次元)に所有して、同時にその三つの次元に生きている存在です。
通常、私たちは物質界をベースとして生きていて、この三次元に意識の中心をおいています。
"死"というのは、この三つの身体が滅するということ。
まず物質界に存在する肉体が、生物としての活動を停止してしまうと、意識も含めて、その人間として生きた、すべてのデータは次のレべル=四次元に移行します。
そして四次元の身体も滅する時が来て、やはり意識とデータはさらに次のレベルの五次元の身体に移行します。この五次元の身体もやがて滅するときが来てしまいます。それは転生の時期が決まったときです。
転生の前に、直前で生きた人格、人生のデータはいったんある場所に回収されます。それは私たちの本体ともいうべきホームグラウンドです。神でありワンネスであり、本当の自分ともいうべき存在。唯一無二のオリジナルの自分です。魂が帰還するマザーシップのような、故郷のような、ですね。
ここには人として生きたすべてのデータがあります。これまでの転生のすべての記録がある。でも、アカシックレコードとは違うものです。
グノーシスでは、パーマネント・パーソナリティと呼んでいます。ハイアーセルフとかエターナルセルフとか、そのように呼ばれている意識と同等といっていいでしょう。
五次元の身体、ノエティカル体が滅して、そこから回収されたデータは、
すべてパーマネント・パーソナリティに統合されます。その後で、また転生の際、新たに三つの身体が創られ、一部のデータが新しい肉体に移行されるのです。(三次元にて誕生し、母体にて成長中の物質体に、サイキカル体とノエティカル体、そしてここでは詳しく述べませんが、もう一つ俗に魂とよく呼ばれる、サイコノエティカル体という六次元の身体が合わさって、新しい人格が創られるのです)
ようするに、今使用している三つの身体は、永遠の存在ではなく、使い捨てと言えばそう。
ただ、その身体の使い方、受けたダメージなど、そういうのは持ち越すことになります。(病気やケガで受けたダメージ、入れ墨なども)
で、ここまでが前置きで…
この一回きりの人生、今生で使い捨てされちゃう身体ですが、パーソナリティとしてのコピーが創られます。これもまた種類としてはエレメンタルなんですが。
ちなみに今生の人生の人格をプレゼント・パーソナリティといいます。
ですので、プレゼント・パーソナリティのエレメンタルが、一つひとつの人生で作られるわけです。
100回生きていたら、100体のプレゼント・パーソナリティの、エレメンタルが存在するわけです。
このエレメンタルは死にません。永遠に生き続けます。
このエレメンタルが存在するがゆえに、ある人がもう転生をしていたとしても、その死なないエレメンタルとしてのプレゼント・パーソナリティは、別の存在として生きているので、それを視ることが出来る人には視覚的に捉えられるし、存在を感じることも出来る人がいるのです。
また、それだけでなく、第三者がその過去生の人格の情報にアクセスしたり、呼び出して、話をすることも可能なのです。(例えばイタコみたいに)
この過去生のコピーとしてのエレメンタルは、土地に居ついてしまったり、
誰か特定のモノや人に執着することもあります。
戦国時代の武者の霊とか、当時の合戦や戦争とか、事件や当日の出来事を延々と再生・再現しているような、古~いものは、たいていコレです。
霊といっても、もう霊じゃないんですけどね。
サイキカル体が幽体で、ノエティカル体が霊体なんで、幽霊というのは、三次元の身体だけ死んで、四次元と五次元の身体だけで生きている?存在している状態の人のことですので。
なので、幽霊とプレゼント・パーソナリティのコピーとしてのエレメンタルはまったく別モノです。
元の素材が違うというか、視え方も違います。でも、見分けることが出来ない人のほうが多い。あと、それぞれにアクセスしたとき、持っている情報も違います。同じ人物とそこから派生したものであるのにも関わらず。
(エレメンタルはその人生の記憶しか持ってませんし、死んだあとの四次元と五次元の記憶を持ちません。幽霊=サイキカル体とノエティカル体の存在は、六次元の身体すなわち魂の霊的成熟度によっては、三次元の視野が外れたこともあり多角的な視野や今の自分に対する知識を持っていたり、四次元や五次元の世界で日々体験することで、成長します)
見分け方としては、幽霊のほうが光度が高いというか明るいっていうか、精妙なんですよ。粒子が細かいというのかしら…説明がとても難しいんですけど。でも、人としての重量感、存在感がちゃんとあります。
ただ、両方とも足はありますので、足がないのはこれまた別の存在で、大体
生前に当人か他者が創った"生霊"的なエレメンタルです。人としての形骸が不完全だったり、造詣がおかしいのでこれは見分けがつきやすいです。
(デッサンが狂ってるっていうか大きさもヘン)
そして輪廻転生のゴール。
タイトルに入れたにも拘わらず、おまけ程度の説明になっちゃいますが…
すごろくやゲームじゃないですけど、この条件を達成できたら「あがり」という、ゴールに行き着くための、"神聖なる計画"のルールがちゃんとあります。
それは三つの身体をきちんと使って、この三つの次元で自己表現と自己実現をして生きて、永遠に死ぬことのない第四の身体(六次元の神体)を、どの次元にも存在できる完全体ともいうべき完成形へと、育てることかできたら、です。
それがゴール。輪廻転生の終わりです。
元のオリジナルであるパーマネント・パーソナリティとほぼ同じ、神と等しいキリスト・ロゴスと同じって、そのくらい慈愛と慈悲を持った、愛の塊になれたら、ですかねー
なれない人は輪廻転生卒業できません。
本能と欲望で生きる動物みたいな状態から出発して、たくさん経験して、喜怒哀楽の感情を知って、挫折して、苦悩して、人として目覚めて、感情を豊かにして、考えて考えて、創意工夫して生きて、知恵を身に着けて、愛を育んで、色んなことを知り、無意識的に生きるところから意識的に生きるようになり、理性や倫理観を育てて、視野も認識も広がって、霊的に成長して、自分のことだけでなくて、家族や他人のことを考えられるようになって、世の中や社会のために自分が何ができるかを、他人の幸福のために生きる喜びを知って…
一歩一歩、一つの人生で人格を成長させて、霊性を高めていったなら、
いつかゴールには届きます。
でも、その「成長すること」を怠ったなら、いつまでも無限ループの輪にはまって、運命のメビウスの輪、らせん階段を行ったり来たりし、何度も似たような人生のパターンを生き、課題をクリアできるまで何度も追試を受けされられ、人生という学校の中で学んで学ばされて、彷徨って、カルマのレッスンと対峙させられます。タネを蒔いては刈り、刈っては蒔いて、の繰り返し。(でもそれはそれでとても楽しいことです)
とりあえず この辺でさっくり終わっておきます。
何か質問があればコメントもしくは勉強会のほうでドゾ。
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