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易者身の上知らず

これも過去blogからの転載です。前半後半の2本をまとめました。

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易者身の上知らず(上)

占い師や予言者が自分のことが占えない、とはよく言われる。

それは自分の事を客観的に観察することが出来ず、感情が直観や視野を曇らせるからというのもあるし、自分自身に対して第三者的な立場に立って、アドバイスをすることが出来ないというのも大きい。

また、占い師だからと言って、
人生の一大事から日常の些細な出来事に至るまで、すべてを占いに頼り切っている人はいないし、霊能者や透視能力者にしても同じで、朝から晩までアンテナ立てて、感性を研ぎ澄まし、あらゆる事柄に対して何かをキャッチしようなぞと、常に非日常的な感覚で過ごしているわけではない。

もし一日中そんな状態でいたら、社会生活かつ日常生活はままならないし、対人関係を築くのも難しく、周囲からは変人だとか頭のおかしい人呼ばわりされ、下手したら通報されてしまうような、ハプニングとトラブルを招いてしまうような事態も起こるかも知れない。

日常生活と仕事の時間というオンとオフを使い分け、社会生活では一般市民としてモラルや法律を遵守し、公序良俗のマナーやルールに添った人間関係を築き、占いにしても霊能力にしても、それ以外のスピリチュアリティな資質も、あくまで何かを判断するときの観念の一つとして、日常生活に活用していくに留め、職業的場面において職能や知識を求められる時に、最大限にベストを尽くして発揮するのが理想と言えば理想。

何故なら、今はそういう時代なので。

大昔や原始的文明みたいに、巫女(シャーマン)やスピリチュアリティ性に特化した人物が、自分の個性というか、そうした特徴的で鋭敏な感性を24時間むき出しにして生活していたならば、単なる狂人かイタイ人になってしまいますもの。昔は…そういうのが許されたし、歓迎された時代もあったわけだけど、今は21世紀ですから。

だから、オンとオフって大切。

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実際、難しいなって思いますよ。例えば、一日中死んだ人が視えたり、声が聞こえたり、そんなのはとってもたまらないことだし、生きている人の心の中の声とか欲望が判ってしまったり、ああこの人はこうなるんだ、助からないんだとかとか、アンテナ立てた状態でいて、会う人会う人から色んな情報キャッチしまくっていたらば、ノイローゼになって、正常かつ健全な社会生活が送れなくなります。

人が創りだす欲望の想念=エレメンタルはね・・・キレイなものは少ないんですよ。醜悪なものの方が圧倒的に多いのです。とてもキレイな顔をして、ニコニコ笑っている人でも、皆に好かれている善い人と言われる人でも、欲望はそれなりにあるわけで・・・

ものすごい悪魔のようなもの、妖怪のようなもの、キメラのような恐ろしいもの、昆虫や爬虫類みたいなの、排泄物の塊みたいなの、生ゴミみたいなのとか、ディフォルメ化された巨大な人の顔とか、身体の一部とか、妄想の産物やら、その人が欲しい物質だったり、それはそれはとても汚いモノがいっぱいいっぱいある

とってもとっても気持ち悪いですよ。四六時中オンモードで、こんなん見続けていたら、神経衰弱して廃人になってしまう。

仕事じゃない限り、こんなの視たくないし、冗談じゃないって思います。
みんな聖人君子じゃないんだから、欲望の一つ二つはあるし、悪いこと考えたことが無い人なんていないわけで、くっ付けてない人なんていないのだから、こんなんくっ付けているのが視えてしまったら、引いてしまって、フラットに付き合えなくなります

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身内のことだって、友達やパートナーのことだって、いちいちそんな情報が入ってきたり、視えてしまったりしたなら、その人が言葉にしていること(建前)と視えているものの(本音)のギャップの狭間で、平常心で関わることが困難になります。

そして、それは同時に視られて(探られて)しまう側にとっても、しんどくなるし鬱陶しいことだと思うんですよ。

それが占いという予測方法を使っているだけにしても、自分とのことをいちいち占われている、すべてを占いで判断されているってのは、相手にとっても面白くなく、重いなって感じる人もいるはず。

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例えば、付き合う前とかに、「彼は私に対して好意を持ってくれてますかね?脈ありかしら・・・?」という程度の、アプローチしたいけど、関心のない子にコクられるのもイヤだろうし、どうなんだろう? アタックしてもいいかな?

みたいに…相手の負担とかを考えての占いだったらいざ知らず、

相手に直接聞けば良いようなことを猜疑心と執着心から、あれやこれや占いに頼りまくって、本人の態度や言葉よりも、占いの答えに影響されまくり、左右されすぎというのは、痛いメンヘラだなあ、と引かれる要素になったりする。(客観的意見が欲しくてちょっと相談してみた程度ならいいけど、何事も限度というのがありますので。スピ好き女子は男子には敬遠されますぜい)

私が男だったら、絶対イヤですもん。

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自分と関わる全ての人のこと(性格や人間性)、その人との関係性や未来、生じるであろうトラブル、自分にとって得な人か損な人なのかetcetc...

そんなこといちいち占ったり、透視したり、リーディングしたりなんだかんだやってたらきりがないです。誰にだって本音も建前もあるし、知られたくないこと…秘密もあるし、気持ちだって状況だって刻々と変化している。

いちいち周囲の人、新しく関わる人をそういう観点からチェックして見据えようとか構えてたら、今の世の中、誰とも関われなくなってしまうし、人間関係も日常生活もままならなくなってしまいます。

とは言うものの、そういうイイワケをしつつ、最初にその人に会ったときに働く拒否反応や自分に囁きかける本能の声や直観を無視した結果失敗してきたことは多々あるわけで、その度に反省している私だったりしますが・・・(過去からまったく学んでないし)

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話少し変わって、

ボディヒーリングやボディワーク系の職業の人、直にお客様の身体に触れることの多い、指圧や整体、アロマテラピーのトリートメントや、足裏マッサージ、タイ式マッサージなど、ハンドヒーリングに従事する人なんかは、

よく、お客さんから「吸ってしまう」って表現を使うんですけど、これは手を通じて邪気をもらってしまうことを言うんですね。

(ちなみに、昔ある占い師の人で、たまたまクライアントさんの身体のある部位をタッチしたら、インスピレーションが冴えたことから、その方法をずっと続けてた人がいるんですが、その方はそのせいか、体調を崩されてしまって、顔も酷く変形するほど腫れてしまったそうです<〇っ〇〇占いの人)

タイ式マッサージの人は、手だけでなく全身密着するせいか、日本に来ても、数年(1、2年)で病気になってしまい、帰国する方が多いとも聞きます。

これはハンドヒーリングをする際のリスクの部分で、邪氣を吸ったと言えばそうなんでしょうけど、邪氣だけでは無いってのもありますね。お客さんがお持ち込みするエレメンタルをそのままもらっちゃうことも原因ではないかと…邪氣にしてもエレメンタルにしても非科学的なものになりますが。

病院に行くまでもないけれど、ヘルスケア(民間療法)を必要としている状態の人は、実際問題、氣が淀んでいて滞っていることもあり、循環も悪くなっています。そして、体内・体外問わず、やっぱり陰の氣の強い、ネガティブなエレメンタルをたくさん抱え込んでたりします。それが病気の素にもなっているのですけどね。

邪氣を吸っただけだったら、外気に触れて、太陽の光に当たり、気分転換もして、陽の氣を補充すれば、体力気力ともに回復も出来るのだけれども、たちの悪い厄介なエレメンタルをもらってしまうと、その量や性質によっては簡単には離れていかないので、ダイレクトに体調を崩して、長期的に悩まされるケースも。

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なので、他人の身体に直接触れるハンドヒーリングをしている人は、それなりに自分のエネルギーフィールドを防御する習慣やテクニックを身に着けておいたほうがいいかなって思います。休日はアウトドアに出て、太陽に当たり、自然と触れ合い、日常のことを忘れて笑って過ごす・・・とかね。心のデトックスがものすごく重要かも知れない。

単なるカウンセリングだけの占いも、心療内科や精神科、メンタルヘルスの場においても、相手の身体にこそ触らないのだけども、似たようなことはあるんですよ。

精神科の先生なんかの場合、病んでいる人を365日毎日、相手にしているせいで、自分も引きずられて病んでしまい、自分で自分の診断書や処方箋書いている先生、多いって聞きますもん(友人がそっち方面の医療従事者)。

ええ、占いにしてもスピな職業全般に言えることですけど、問題を抱えている人がクライアントさんとして来るから、中には病んでいる人も少なからずで、前向きな気持ちや意図をもって訪れる人もいるけれど、どうしても切羽詰まった状態にいる後ろ向きな人もたくさんいて、問題を引き起こすネガティブなエレメンタルを、その全身いっぱい、てんこ盛りに所有している人が訪れることになるので、それらにやられることは避けられないリスクなんですね。

また、スピリチュアリティを含んだ仕事って、相手のカルマを一割はもらうことになるのが逃れられないお約束で宇宙の法則でもあり。

・お客さんが持つ汚れた邪気
・「持ち込まれた」厄介で始末に負えないエレメンタル
・そしてそのお客さんのカルマの一割(借金の一割)

これはその人が単なる占い師でも透視能力者でも、
チャネラーでも、霊媒でも霊能者でも等しく発生すること。

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霊が視えようが視えまいが、邪氣やエレメンタルに敏感であろうが鈍感であろうが、カルマの法則を知っていようが知っていなかろうが、霊的な知識があってもなくても、その人自身がお客さんから引き取ったモノの…それらの存在を認識していようがいまいが、その処理が出来ようが出来まいが、もらってしまうことには変わりが無い

その人のレベルに合わせて、「引き取るモノの量や質」が変わると言うことはないので。そんな風に、決してキレイな仕事では無いというのが実状。人によっては楽して儲けてるように見えるだろうし、全然苦労も何もしていないように感じるかも知れないけど。

まぁ、だから…知らず知らず消耗して命をすり減らしている人は多いし、毎日様々なお客さんとたくさん出会うことで、相手の邪氣を吸って、ネガティブなエレメンタルを御裾分けされてしまって、自分の内に取り込んでいき、段々と毒されていってしまう人は数えきれないほど。

体調を崩し、病になって寝込むくらいならいいけれど、ネガティブなモノをどんどんと取り込んでしまったあげく、当初その職業に就くことになった純粋な目的を見失い欲望の虜になってしまう人も。下手をすれば元々優秀な霊媒であるがゆえに、下位の霊的な存在につけ込まれ、段々と道を踏み外して性格も人生も歪みきってしまう人も少なくないです。

もともとそんな人では無かったのに…っていう、高尚な理想をもって、人助けのためにと、真面目で素晴らしい素養を持った、ハンドヒーラーにしても占い師にしても、いつか何処からか黒さを宿すようになってしまうのは、このような事由ありきで、職業上のリスクゆえと言うべきか・・・

この道を選ぶ以上は承知するしか無く、覚悟を決めることでしか無いものの、そうならないようにするためには、厳しく己を律し続けるしか無いんだと…罠にかすめ取られてしまった人たちを見るたびに、痛感させられます。

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易者身の上知らず(下)

この仕事をしていると、何年か毎、あるいは一定の周期で、人間に対する不信感と嫌悪感でいっぱいになり、世捨て人のように誰とも関わらずに隠遁して生きたくなる時が来る。

人々の持つ欲に毒されるというのか・・・

同業者の中には猛烈な人間嫌いに陥ってしまう人もいるし、心身ともに病んでしまう人もいる。(上)の方で書いたように、毒と同化して、心が捻じ曲がってしまう人も。

それほどまでに人間の持つ欲望(エゴイズム)は果てしない。

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占いにしてもスピリチュアルな仕事にしても、人間の剥き出しの欲望に触れ、毎日それを直視させられ、対峙し、接さざるを得ない仕事なので。

人は弱いものだし、罪深い生き物だから、それは仕方ないし、許容範囲として寛容になる視点も無いことには、この仕事を始めることも続けることも難しい。

それでも辟易して心が折れることは数限りなくある。

モンスターさんも多いしね。変態さんはさほどいないけど。メンヘラさんとボーダー(境界線人格障害)は多いかな。

私がこの仕事をするようになったのは、自身の個性というか資質のせいもあるけれど、もともと「人間」「人の運命や生き方」に興味があって、ヒューマンドラマが好きだったことが大きいと思う。

だけど、この仕事をしていると、「人間っていいもんだな」と思うよりも、
「人間って残酷で醜くて、イヤだな」っていう気持ちがあっという間に飽和状態MAXになって、しばらく離れて休んで、一度リセットしないことには、どうにも耐えがたく、自分を保てなくなってしまう。

自分自身もその醜いところをたくさん持った、愚かしい人間の一人だというのに。そこは傲慢なもので。※自らを棚上げしてるし

この仕事自体はとても好きなんだけれども、クレイジーなモンスターさんに立て続けに出会ったり、自分の力不足を実感するようなことに出くわすと、
気持ちが萎えてモチベーションは下がるし、人間が嫌いで嫌いでたまらなくなり、内にこもって誰とも関わりを持ちたくなってしまう。

だから、時おり休業して、毒を抜く必要があるのかも知れない。

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とある誌面で有名な霊能者さんが、もともとクライアントさんだった方と、アシスタント的なポジションで関わるようになったものの、なんかまあ、色々あったらしい・・・

また、別の話ではとある正統派の漫画家さんが、ちょっとオカルトっぽい作品を描いたときに、そっち方面が好きなアシスタントさんが集まったらしく、最初は詳しいので頼もしいと思ったものの、あれやこれやに巻き込まれて、振り回されて消耗し、その手のことに興味示す人とは金輪際関わらないことにした、と言う話も聞いた。

また最初は親しかったであろう霊能者さん同士の仲がおかしくなって、一方は沈黙は金也を貫いているが、もう一方は取り巻き?を巻き込んで、ネットで相手を叩いての誹謗中傷・・・というのもあったりする。

はたで見ていて、こういうトラブルが生じてしまうのも、なんか納得してしまうものがある。どうしてもそういうことが起きてしまうっていうのが、察せられるというのかなあ・・・どちらかが悪いというのでは無しに。互いにとって不幸なことだけど、そうなっちゃうんだよなって。

もちろん、普通の人間関係だって、会社だって、家族もご近所同士の付き合いも、人が複数集まると問題というのは必ず生まれるし、摩擦が起こって、壊れてしまう関係もあるから、この手の職業だけに限ったことではないのだけども。

この職業に従事しているものだからこそ、巻き込まれやすいトラブルがあったり、最初まともだった相手が途中でおかしくなってしまう、と言ったことで破たんする関係もあったりする。

(こういうのは誰もが回避したいと思っているけれど、サイキカル能力の強い人は本人が望むと望まないとに関係なく、良くも悪くも周囲の人に影響を与えてしまうので。これは相手の資質と内在する問題によるところが大きい。
相手の本質や問題を引き出してしまうというか、善心の強い人ならより強い善を、悪心の強い人ならより強い悪をって感じで・・・

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何故なら、サイキカルなパワーの強い人は、周囲にいる人のエレメンタルに力を与えてしまうから、結果的に元々持ってた資質を強化してしまうのです。別の云い方をすれば、本質を剥き出しにする、みたいな。

だから、サイキカルな能力の強い人が周囲の人に悪い影響を与えているということではなく、その人が抑制して隠していたものが表に出てくるってそんなとこ。とはいうものの、確かにサイキカルな人が、邪氣やネガティブを吸い尽くし、汚染されまくっているときは感染させちゃうけど。

中には良い資質が磨かれてくる人ももちろんいるし、一緒にいるだけでサイキカルな能力やスピリチュアリティを覚醒させる人もいますから)

お金のことで言えば、「お金のあるところに人の欲望の渦生じ、お金のあるなしは人の本性をむき出しにする」

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というように、サイキカル能力(霊能力や神通力)に関しては、それを利用しようという依存支配欲、そしてそれを崇拝する憧れを超えた盲信嫉妬等などが生じやすくなる。

例えば、小さいトラブルでは、相手が占い師と知った途端、「じゃあ、占ってよ」と手を差し出してみせる人。(すべての人が手相観ではないというのにww)「プロだからお金は貰うよ」と言うと、「友達からお金を取るの? ケチ!」と言う人。そういうのは業界アルアル

「おしゃべりしたいから、会おうよ」と誘われ、普通の世間話と思いきや、完全に悩み事の相談話で、普通の友人同士の範疇なら問題無いし、せめて食事奢るから相談に乗ってなら可愛げがあるものの、いかにもな、こちらの職業上の視点(視方)を期待した、その手の情報を引き出そうというのが見え見えな時には、うんざりを通り越して、あきれるばかりで。

そんな出来事の末に、友人知人のFOCO皆通る道。中には悪意やハラスメント的なものもある。「そういう仕事している人なら、こちらが何も言わなくても、何でもわかるんでしょう?」「ヒーラーなのに病気になるんだ」「占い師のくせに、何であの人ヘンって見抜けないの?」

「占いや透視出来るんなら、当たり馬券とかロトとか判るはずでしょ?
それが解らないなんてインチキじゃん」みたいな挑戦的な人も序の口。

差別と偏見では、「うちのお店のこと、書かないでくれる?ヘンなお客さんが増えると困るから」「そういう職業の人と関わっているっていうのがバレると、自分もそんな目で見られるから」みたいなのとか。

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後はそう・・・不用意に「視えた」ものを話してしまったときには、
「気持ち悪い」「コワイ」みたいに言われバケモノ扱いされて避けられるか…

昔の職場で、世間話していたときに不用意にも相手の実家の間取りとか、裏庭にあるモノについて言ってしまったならば、噂が広まってしまって、あれやこれやどうでもいいことを女子たちから質問責め。(私の未来のダンナさまはどんな人~みたいなくだらないこと)

仕事中だし「解らない」と断ったり、彼女たちの好奇心を満たす求めに応じず、希望通りの回答を得られないとみると、途端にそれが誹謗中傷に変わっていく。あることないこと尾ひれもついた噂話も流されて。まるで魔女狩り、異端尋問の再来だなと苦笑するしかなく。ホント、いつの時代でも何百年経っても人間は変わらない

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さて、そうですね。

先の記事で、私はマルチとか上手い話とか、自己啓発とか宗教の勧誘とか、そういうのにはアンテナが働くとは言ったものの、

「お金がなくて、生活が苦しい」「困ってます」・・・みたいな、情に訴えかけてくる「泣き落とし」にどうも弱かったりします。

一言で言うと甘いとしか言いようがないのだけど。この辺りに関しては我ながら学習能力が無いものだと、反省しかり。ボーダーに絡まれやすいのは、
私自身のガードが甘く、ボーダーが曖昧だからだろう。

学生時代、「一人でいるのが寂しい」とか何とか泣きつかれて、遊びに行った友達の家。行ってみれば一人ではなくて、彼女の父親と二人。頭の上は「?」だったが、そういうことをされそうになって、泣きながら逃げ帰った。つまりは人身御供ってやつかしら。彼氏に言ったなら、滅茶怒り狂ってなだめるのが大変だった。

バイト先で一週間だけ一緒に働いて、そのうちいなくなった同僚から、バイト先に電話で「某駅にいるんだけど、心臓が苦しくなって」と泣きながら助けを求められ・・・(今考えると救急車呼べって単純な話、笑)。
結局、この人も寄生先を求めてた人だったんだよね。詳しいことは省くけど。「お金がない、食べるものがない」との涙の訴えに、下手な同情しちゃって、援助してしまったのも第二の失敗

振り回されるだけ振り回されて、散々迷惑かけられたあげく、利用されてるだけだって目が覚めて、FOしようとすると、こういう被害者意識の強い人って、相手の逃避には敏感で、助けてもらったことに恩を感じるどころか逆恨みするんだわ。死ぬ死ぬ騒ぎは起こすし、ヒステリックに…
「なんでお金を貸してくれた~食べ物送ってくれた~宅配便で食料が届いた時には心臓が止まりそうになった最初っから放っておいてくれればよかったのに~!」と24時間切っても切っても延々とベルを鳴らして騒ぐ。

すごい消耗したww

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職業的肩書きがまだ占い師だった頃、
セミプロ(単なる趣味かな)の人と知り合ったのだけれども、知り合って一か月も経ってないのに、私が新しく転居した家が広いと聞いて、一部屋貸してくれと厚かましいことを言ってきた時点で、COするべきだった。(転勤の間だけという話で一戸建てを破格の家賃で借りた) もちろん、お断りしたんですけれど。その後、プライベートなことで散々迷惑をかけられたのです。そこはまあ、書かないでおきますけども。2chでも何年間も誹謗中傷されて、かなり粘着されましたかねー

まあ、メンヘラっていうより明らかにボーダーだったよね。こういう人には他人の心が解らないし、理屈も常識も通じない。専門医に任せるしかない人で、下手に関わると痛い目に遭うこと必須のトラブルメーカー。私の職業のジャンル外の患者さん。兆候はあったのに、狂気や危険性を見抜けずに、関わってしまったのが運のツキでありましたかね。

でも、これらのことからも十分に痛い学習をしたというのに、私ったら懲りないんですね(笑)

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「学びたいけど、お金が無くて」という人がいたので、仕事決まってからでいいよ~と言ったものの、結局払わずに音沙汰無くなっちゃった人もいた。

商売が失敗して負債抱えたというから、その在庫商品をセッション代金相当の物納でいいよ、と言ったものの、後ろ足で砂掛けられるような結果に。

セッションが終わって、ではお代を…という話になったら、「実はお金無いんです」という人もいた。若い娘さんだったけど。「そのような事情なら結構です」を期待していたのはどうみても明白だったから、払わなくていいよというのは本人の後学のためにも良くないから、しっかり後日請求はさせてもらったけれども・・・。

なんでしょうね、甘くみられやすいのね(笑)

これらお金の事もあったけど、クレーマーを通り越したモンスターさんにも悩まされました。

例えば、いつも時間超過してもだらだらと長くしゃべり続ける人がいて、こちらもついキリの良いところまでと話途中で切れず、さらに学生さんだからと延長料金も毎度請求しなかったり、下手なお節介して引越しや汚部屋掃除を手伝ったりしちゃったのも良くなかったんだなあ…まあ困ったことをいろいろとやらかしてくれまして、他のクライアントさんにもすごく迷惑かけてくれたのでお断りさせて頂いたら、酷い捨て台詞と脅し文句。粘着されて滅茶苦茶消耗しました。

これは自己愛性人格障害の一種な方だったかと。

その他にも次から次へと色々とありましたよ。細かいことまで含めて、すべて書き出したら際限ないけど。お陰様で今はクライアントさんにも生徒さんにも恵まれて、平穏無事な日々が続いています。

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ホント思うけど、同情や憐れみに訴えかけてくる人を信用というより、受け入れてはダメですね。隙あらば…と他人の親切心や同情心につけ込んで、食い物にしようという人たちはどこにでもいるので。

相手に寄り添って考えたり、人として出来ることをと思っていると、警戒心を薄れさせ、不用心になってしまう。

そして同情は直観と本能を曇らせる。自分の勘を疑って、危険シグナルを情け知らずと責め立てて、無視させる。

情に流されず、与えられた全感覚を研ぎ澄まして、疑わしきものは排除せよと、自分を守ることにもっとパワーを使ったなら、心が傷つくことも、この仕事を嫌いになるほどに、人間に対して幻滅を覚えずにも済むだろうに。

自己欺瞞と被害者意識に満ちた人ほど、差し伸べた手を焼き切るようなことをしてくる。助けてくれと縋りついてきた、そのすぐ後で、ザマーミロと舌を出し、相手の世界を破壊しようともする。

スピリチュアルな仕事をしている人間は、その職業独特の特性がゆえ、慈愛と慈悲に満ちた懐広い聖者とでも思われるのか、そうした自己犠牲心を勝手に期待されるのか、それがその仕事をする資格だろうとでも言いたいのかか…何をしても許してくれて当然とばかりに、迷惑をかけても、酷いことをいっても、一方的に甘えても、利用しても、赦される対象と勝手に認定され、すべてを犠牲にして自分に与えて尽くすのが道理とでも?

そんな風にたかってくる人はきりがない。

キリスト教の殉教者じゃあるまいし、何故そんな風に勝手に期待されて求められるんだか・・・世間では、占い師やスピリチュアルな職業に就くものを人の不幸を食い物にしている詐欺師のようなものだと、そう責める人もいる。たいがい困っている人の相談に乗るわけだから、金を取るなんぞ言語道断で、もっとボランティア的な価格にするべきだとも非難される。

スピリチュアルな職業に従事するものが、生活苦や人生が上手く行かなくて苦しんでいる人に対して、赤ひげ先生みたいな奉仕をすることが難しい要因は、命を救う仕事=肉体の問題を扱う分野なのでは無く、魂を救う仕事=心と精神の問題を扱う分野であって、無償奉仕をすることで相手の依存心や甘えを増長する危険性のほうが高いからだ。

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対価を設定して、その設定金額を払える人だけを相手にするという線引きは施療者自身が自らの心身を「たかり」からガードして、自らの心身と人生そのものを、寄生してこようとする人々から守るための方法の一つでもある。

確かに最初から、トラブルメーカーになる可能性のある人かどうかと、一人ひとり精査して、やばそうな種を持つ人を排除すれば、こうしたトラブルに巻き込まれることは格段と減るのだろう。

だけども、そもそもが人生と心身ともに問題を抱えている人を相手にする職業なので、そういう視点で、クライアントさんや関わってくる人すべてをチェックして、危険分子として避けるわけにはいかない

そういう意味で、境界線をきっちり決めて、職業上のケジメをつけるってことはものすごく大切。私の場合、関わりすぎるところ、頼まれたら断れないところ、同情から甘い対応をしてしまうところなんかが問題だ。

私生活では、お金と時間にルーズな人は、常識なく、自分に甘く、他人にも人間関係にもルーズだし、約束をまず守らない人たちというのが鉄板というところで、基本CO出来るのだけども・・・職業上やその延長線上の関係には適用が甘くなりがちなので、今更ながら、ダメだ自分・・・ここなんとかしないと、と反省猿。

スピリチュアルとお金のトコに書いても良かったんだけど、設定価格や予算っていうのは、クライアントさんを選別するライン引きにもなるのね。要するにどのくらいのお金をポイッて出せる人か、生活水準(年収や使えるお金)を計る線引き

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人間の品格が収入で決まるわけでは無いし、高収入の人が必ずしも問題を起こさない良クライアントになるって、そういう保証も無いけれど、でも、ある一定ラインの生活レベルを保てている人っていう、そのような基準を価格で線引きするのは、話の通じる相手と対等な取引をしたいっていう、その職業人が自分の領域をガードするひとつの方法でもある。

生活の苦しい人、援助の必要な人には、格安もしくは無償で与えてもあげたいけれど、払うことなく得して、さらに相手から奪おうという人も多く紛れているのが現実だから。(結果的に無償のサービスを本当に必要としている人が損してる)

適正価格って言うよりも、利用して頂きたいクライアントさんのレベルが、この料金を払ってまでサービスを得たいと望んでくれる人か否かって、そう言うことなのですよ。そこを測りたいわけです。

まあ、そんなこんなで私事ですけれども、まったくもって「易者身の上知らず」で、直観も占いの技術も知識も何も、使ってなければ意味を成さない…という人生なのでした。

追伸
で、今回のテーマ書いてて、色々振り返り反省したので、今後、優柔不断と甘い顔は辞めようってことで、今まで後が仕えてないときとか、たまにしか来ない人だからとか、常連さんだからとか、話のキリが悪くなっちゃうとかとかで、だらだらと時間過ぎてもお話し聞いていましたが、これからは時間きっちりで行きますね。

とりあえず、NOと言える自分を目指します

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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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