Billie Holiday - Strange Fruit / 奇妙な果実 - 1939
レディ・ディことビリー・ホリディは、
本名をエレオノーラ・フェイガンという、不世出のアメリカのジャズ・シンガー。
サラ・ヴォーン、エラ・フィッツジェラルドと並ぶ、女性ジャズ三大ヴォーカリストの一人です。
ジャズを語る上で、決して忘れてはいけない人。
ちょうど公民権運動に当たる時代なわけで、彼女のアイデンティティ、歌うことのルーツ…その背景には、人種差別と貧困による苦悩があるわけです。
彼女の代表作であり、ジャズのスタンダードナンバーともなった、この「奇妙な果実」という歌も、そうしたアメリカの抱える闇から生まれたものですし…
はい、このストレンジ・フルーツとは、
ハンギングツリーに吊るされた黒人の遺体のことですから…
「Strange Fruit / 奇妙な果実」1939
南北戦争の北軍勝利により、奴隷解放宣言は成されたわけですが、だからと言って、黒人が白人と同等の権利を手に入れられたわけではなく、その後、公民権運動に至るまで苦渋の歴史を刻むことになりました。
かといって、それ以降にしても黒人差別というのは、センシティブな問題を含んで、潜在的に存在していたりします。
なおかつこの問題は、音楽や映画、エンターティメントの歴史においても、様々な影響をもたらすことになります。
基本、今の西洋音楽は、ブラック・ミュージックとホワイト・ミュージックの出合い、これらの融合により生まれることになったものがほとんどなんですけど…
カントリーはアイルランドのフォークロアと黒人音楽の融合、ゴスペルは教会の讃美歌と黒人音楽の融合、ブルースにしてもソウルにしても、ロックン・ロールもジャズも、それぞれが単独で生まれたわけではなく…
白人の楽器を用いて黒人たちが音楽を演奏し、アレンジし、
黒人たちの音楽を白人が取り入れて…またそれを…と言うように、そんなこんなで入り混じって影響を受けて、ミックスされて、あっちにいったりこっちに戻ったり等など。あれやこれや色んな音楽が誕生したと…
でもって、黒人と白人の居場所は分かれてたし、それらの音楽を流すラジオ局も別々でした。けれど白人と黒人の垣根にこだわらず、共に仲間としてお互いを受け入れて、バンド仲間となり、音楽を通じて交わる人たちもいたわけです。
けれど、同じステージに立って、共に喝采を浴びることが出来たとしても、それはステージの上でだけで、ステージをいったん降りたなら、人種差別の壁というのは逃れられなかったのです。
映画「 Green Book / グリーンブック」2019
この時代の有名な黒人ミュージシャンたちは、レコードが売れたり、いくらステージで拍手喝采を受けたとしても、ステージ以外の場面では、さっきまで拍手してた観客や会場の支配人から唾や罵声を吐きかけられ、同じバンドの仲間と同じレストランで食事も出来ず、同じ入り口を使うことも許されず…同じホテルに泊まることも出来なかった。
映画「42~世界を変えた男」2013
ビリーもそのようにして、一人だけ車の中に泊まったり、黒人女性ということで散々な扱いを受けながら、歌手活動を続けた人です。
「Blue Moon / ブルー・ムーン」
「God Bless' The Child / 神よ めぐみを」
「I Love You, Porgy」
「Fine and Mellow」
ビリーが生まれた時…父親は15歳、母親は13歳という状態。
ようするに、結婚なんて出来ませんな子供のような二人。
結局、私生児というか、母子家庭みたいなもんで。
とはいうものの、母親にしても育てられないから親戚に預けられることに。いちおうお父さんはジャズ・ギタリストであったようで、ばっくれることもなく、その後ビリーと親子の対面とかもしていたりします。
このあたりの生い立ちのことは自伝にも書かれいるし、映画にも描かれていま。
映画「Billie / ビリー」2020
私はこれ以前のダイアナ・ロス主演の方を見ました。
映画「奇妙な果実」1971
予告だけのが無かったので、まるっと本編UPの動画。
時間のある人だけ閲覧下さい。
「When You're Smiling」
ビリーの歌は何て言いますかね…あきらめと苦悩と、生きる重荷に押しつぶされそうになりながら、それでもその中に一条の光を求めているような…刹那の夢をどこかで追い求めている。そんな魂を感じさせる。何とも言えない深さ、明るい感じの声の中にも悲しみが隠れてて。でも声はふっくらしてて、包み込むような温かさも同時にあったりする。
そこが好きなところかなあ…
「Gloomy Sunday 」
「New Orleans」
サッチモとの競演です。
「All of Me」
「Don't Explain」1958
亡くなったのが1959年ですから、亡くなる一年前の映像ですね。この頃は声がそれなりにシャガれてましたねっっ
でも、そこが味があって、またいいかな。
思えば薬中だけでなく、アルコール中毒でもあったのに、よく喉を潰さずに入れたものだと思います。
アレサ・フランクリンは、晩年かなり声量が落ちていたけど、ジャンルの違いというのもあるのかもですが…ビリーの場合は年齢を重ねた大人の味わいで、衰えというそのようなものとは異なりますね。
ビリーの影響を受けたシンガーは、ジャンルを超えてたくさんいて、ジャニス・ジョプリンもまたその一人。
「Ball & Chain」1968
さてさて「奇妙な果実」の曲に関しては、様々な方面で取り上げられていて、今更過ぎるのですが…もし気になった人は色々と調べてみてください。
クークラックスクラン(KKK団)という団体は、今では人種差別や白人至上主義とは関係のない、おとなしい、すっかりお利巧さんな団体になりましたが…その歴史は劣悪で残酷なものです。
作者はユダヤ人教師のエイベル・ミーアポル(ルイス・アレン)で、新聞に掲載されていた、黒人のリンチ遺体(木に吊るされていた)を見て衝撃を受けて、「苦い果実」という詩編を書いて発表しました。
そして、その歌がビリーと出合い、彼女によって歌われるようになりました。
当時は黒人がリンチ殺人にて虐殺されるのが当たり前であったので、ビリーがこのようにそれを「告発する歌」を歌うのはとても危険なことだったのですね。
でも、彼女はレクイエムとして、ステージ終わりに必ず歌うことをした。黒人にとっての祈りの歌であり、悲しみの歌であり、理不尽な運命に対する、怒りと叫びの歌だったので。
映画「Mississippi Burning / ミシシッピー・バーニング」1988
その辺りのことは、この映画を見ると理解できるかなあ…
残念ながら、日本版の予告はなかったけど。
辛い内容の歌ですが、歌と言うのはこうして歴史(事実)を語り継いできた部分も多いのです。
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「My Favorites〜音楽のある風景」
2021/04/18 掲載記事より転載