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輪廻転生~転生サイクル②「死の知識が光明の鍵」

転生サイクルについて今一度まとめておくと、

死後2か月後からが転生可能なものの、だいたい10年から20年の間で次の人生をスタートさせる人が一般的で多数派。

但し、極稀なレアケースには、死後数時間以内での転生をした人もいますし、死後2か月(49日過ぎてから)から10年以内、ほんの数年で転生する人もいます。

そして事故や災害、世界的規模の大戦や大きな事件で亡くなった人は転生サイクルが短い傾向になりがちです。(死後数か月から数年以内)

なので(この現代、昨今において) 逆を言えば、次の転生まで20年以上の期間が空いてしまう場合、ちょっと難アリ物件といいますか、普通の状況ではない、イレギュラーケースであるとも言えるのです。(通常の場合、21周忌の時にはそろそろ"次の人生に移行している"との認識でいいかと)

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けれども、転生までの期間を決めるのは、当人の意志ではなかったりします。宇宙との予定調和と言えばそうだし、その人の魂というか、本体っていうのかな、まぁ…その人の中の神の部分とか、カルマのレッスンとか色々な都合です。(ここではかるーくゆるーく言っておく)

でもって、その人が亡くなったときに、自分が死んだことを意識できるかどうかってのが問題。ほとんどの人が、自分が死んだことを理解できず、生きてると思って、普段通りに行動してたりしますから。

先の記事に触れた、タイタニック号で亡くなった人たちの場合、自殺でなくて事故死(溺死)であるというのに…とっくに溺れ死んでいるのにも拘わらず、
いつまでも、あの海の上で、「助けて~!」って、溺れてたわけですよ。
肉体なんて、もうそこにないし、所有してないのに。ものすごい数の人たちが、海から手を伸ばして、溺死というよりは、低体温症(凍死)で息絶えていく自分の死の様相を、ずっと何年も繰り返し、再現し続けていたわけです。

そんな風に、事故や災害現場には、自分の死の瞬間に閉じ込められたかのように、"熱い" "痛い" "苦しい" "ここから出して"って言い続けている、そんな霊たちもいます。

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病気で亡くなった人の場合、亡くなった場所に居続ける人が多いかな。
病院ならそのまま入院患者やってたり、自宅ならそのまま寝てたり、体が軽くなったと普通に生活している人もいるし、会社に出かけたり、家事をしていたり、いつもの生活パターンを繰り返している人も多々。

家族に話しかけて、色んな人にスルーされて、そこに違和感を覚えて、考えられる人は幸い。自分のお葬式とか遺体を認識して、「ああ、自分は死んだのだな」と気づけるなら、それは普通だし、すぐ次の段階にいけます。

(次の段階っていうのは、とりあえず"成仏"と考えておいて頂ければ。ようするに、きちんと自分の死を自覚した後の、意識や視点が移行する状態っていうところで、その上で、人それぞれ、ケースバイケースですが、その人の人間的成長度(人格や霊的成長度)に見合った、行くべきところに行くってハナシです。その上で、今生を振り返り見直して(反省会?)、次の転生の準備に入るっていう感じ。

この時に人によっては、守護霊つーか背後霊として、身内や身近な人のところのサポートに行くこともある。次に自分が肉体を所有して生まれるまでの間、透明なヘルパーとなって、修業期間のごとく、現世で培った自分のスキルを用いて、社会のために働いたり、得意ジャンルの人たちをサポートする人もいます。※それが許されない、出来ない人もいます

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ちなみにあの世と呼ばれる次元にも、霊的な知識を教える真理の学校があり学ぶ人もいます。でも通えるのに通わない人もたくさんいます。死んだあとも人は成長する機会を与えられますが、それを選ぶ人と選ばない人に分かれますね、このあたりは自由意志の範疇なので)

現世に執着心強く、想いを捨てられない人は厄介。

葬式や法事、その宗教の弔いの言葉、念仏など、家族の自分への想いに触れて、きちんと自覚できる人ならば良いけれど、それでもなお、現世や今生への執着や未練を捨てきれないと、なかなかどうしてめんどくさいことになります。これが数年位なら良いのだけども。(家族が心配だからとかの理由で)

自然死や事故死、病死でも、自分の死を自覚できないがために、時間を止めてしまう上記のパターンがあるわけで、するってーと、自殺なんかはもっと大変です。

自死のケースについては、過去記事の
「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(上)」
「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(中)」
「自死・彷徨える魂~終わりのない旅(下)」
にあれやこれや書いていて、
その中にも転生サイクルのことは書いていたかと。

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自殺した人で、亡くなった時の波動の低い人…(霊的成長をしていない人というべきか)は、大概にして、死の瞬間を何度もやり直します。自分が死んでないと思って、何度も死のうとするんです。壊れて針のとんだレコードみたいに。(例えが古すぎますねっっ)

その状態から脱出できるタイミングは、その人の生前の性格、人格や霊性次第とも言える。あとはその人の冥福や成仏を願う家族や周囲の想い。これが伝わるか否か…とか。

そうやって自分の「死」について、客観的に捉えられるような状態になってからが、そこからスタートするので、どうしても年月がかかってしまうのです。

いわゆる悪霊とか、誰か自殺した人の霊に引きずられてとか、そういう場合は同じ自殺でも、殺人事件の被害者とほぼ同等ってことになりますが、波長が合ってしまってそそのかしに負けた原因が、その人の中に内在していた自殺願望とか悪心とか、そういうものが起因していると、その"汚染"が取れないことには、なかなか次の段階にいけないと思います。

そして殺人事件の被害者なんかの場合だと、カルマのレッスンによっての事象なのか否か、そこによって違ってくるわけです。カルマのレッスンとして起きた事なら、普通の死と同じです。そうでない場合は被害者となったのは事故と同じ。いずれにしても、殺されたことに対してどう思うか、怒りや恨みを抱くのか、納得できないと思って、この世に執着するのか否か…そこに左右されますね。

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刑死(死刑や獄死、拷問死など)の場合は、その死がカルマのレッスンか否かが大きいわけですが、ちゃんと己が罪について考えて反省して、学びを得ているのかどうか…でしょうね。困ったことに「罪」「咎」というのは、世の中が判断するのでなく、当人が「罪」と自覚して、自らの罪と…最悪感を持ち、認めないことには、だったり。ここら辺は語弊が出やすい部分なので、これ以上のことはblogでは書かないでおきます。

でも、言えることは、
何度転生しても繰り返し同じ罪、過ちを犯し、多くの人に対して不利益を与える反省なきものは、先の記事でも書いたように、強制的な介入が入り、一時的に転生を止められることになります。

そしてその間、色々と「教育的指導」が入ることになります。生まれてきてから死ぬまでの一生を、延々と何度も見させられることになったり…とか。
あと、自分が犯してきた罪、犯罪の場面だけ、ピックアップしたものを何度も何度も、とか…被害者の立場に視点を入れ替えて、何度も殺されたり拷問される追体験を、嫌というほどさせられたりとか…ちょっとした精神的拷問に近いです。

まぁ、仏教でいうところの地獄に似た状況ですね。
ここのことをスピリチュアリズムでは、反省房って呼んでます。(反省房に入れられても反省しない人は反省しません。その場合、また最終的な教育的指導…というより、最終審判のような、いったんデータ削除みたいなそうゆう強制的な執行が起こってしまいます。このあたりも何処かに書いたと思います。何処に書いたか忘れましたが、「発達障害」について書いたとこだったような、なかったようなっっ)

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ちなみに私は、死刑反対派ではなく、どちらかというと賛成派です。
もちろん、いつかは死刑という極刑が世の中からなくなって欲しいとは思いますし、冤罪を晴らす前に死刑になってしまう不幸も避けないとはいけないですし、死刑執行を行う執行人の苦悩や心の傷を考えたら、それでいいのか、という想いはあります。

でも今の時代を考えると、死刑廃止は時期尚早で、無理だなって思います。
他人の生きる権利や人としての尊厳を侵害し、踏みにじり、命を奪った罪は己が命で償うのが、妥当であると…この三次元の物質社会での償いは、それ以外に相応のものはないと、そう思うからです。

刑務所の中で自分自身と犯した罪を見つめ直して、根底から変わってくれるなら、良いのです。でも、改心して生まれ変われる人もいますが…
残念ながらそうでない人もたくさんいます。

今生で過去をやり直すチャンスをもらって、現世で生き直す環境を与えられていながらも、学びの場を生かせず、過去の過ちを繰り返している人は、再び人生を生きる機会をいったん取り上げられてあの煉獄、霊界での独房に入ってもらうしか、それしかないんだろうなって思います。

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きっとまた宗教で過ちを犯したあの人たちも、そういうところに今はいるのでしょう。

誤った閉鎖的で偏った思想を疑いもなく受け入れて、見せかけのまやかしとホンモノを見抜けずに、人として一番大切なものを見失って、悪魔に売り渡し、選民意識的な観念から、楽園を夢見た人たち。
定期的に歴史で派生する、そのサイクルの流れに沿い、何度も目を覚まし気づくチャンスを与えられても、それを逃してしまった人たち。

一人ひとりが違う房にて、永遠の孤独の中で、すべてを悟るその日まで。
今回はどのくらい、いることになるのだろう。

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てなわけで、死して次の段階、次の人生すなわち来世に早めにいくためには、「死」について、知識を持ってないといけません。人が死ぬとはどういうことか…という、生物学的、物理学的なことの意味でではなく、

死んだら終わりではなくて、
そこですべてが「無」になるというのではなく、

肉体的な「死」の後に、物理的肉体を失った次の段階へと、意識(人格)が移行するのだということを知る、という意味です。

肉体は滅びても、意識は残るのだということ、記憶はどんどん薄れていくけれど、「自分」という存在が消滅してしまうのではない、ということを何となくでいいので、そう思っていればいいのです。

つまり輪廻転生を今の段階で認めなくても、死んだときに「あーもしかして本当かも」と思うくらいには、知っておいて損のない情報程度に、耳に入れておくと後で役に立つわけです。

こういう知識があると、死んだあとに迷子にならず、自分が行くべきところを見つけることが出来て、無駄な年月を浪費しないで済むと…

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例えば、
毎日通勤電車に揺られて電車に乗りなれている人と、生まれて初めて電車に乗る人では、色々と違いがありますよね。後者の人は下手したら切符の存在も知らないかもですし。飛行機で海外に行くにしても、言葉の問題以前に、
空港に行ってそれで何をどうしたらいいの?って、事前に知識がないと、入口を間違えたり、乗り遅れたり、目的地に行き着けない可能性も出てくる。

そういうのの基礎知識と同じです。

(もちろん、すべての人が同じ体験をするわけではなく、個々の人が見る景色、体験することには差異があります。同じではなく、違いはあれども大体の大枠、流れは似たようなものであると理解ください)

※ちなみに心霊科学における肉体の「死」は、
 完全な心臓機能の停止です。脳死ではないです。
 48時間以上、動かない場合、ですが。


生物としての物理的肉体が死んだ後も、自分の人格・意識は残るんだ。そして、しばらくこの世のことを見ていられたり、人生を振り返ったり、行きたい場所に行ったり、会いたい人に会いに行く時間があるんだ。
けれど、いつまでもその状態にはなくて、次の段階(転生に至る準備)に行くことになるんだ。その時には案内(ガイド)が来たり、もしくは景色が眩しいほうに進めば間違いないんだ。トンネルと同じで、暗いほうでなく明るい景色のほうに行けばいい。

そう知ってるだけで十分です。

多くのアメリカインディアンたちは、ちゃんとこのことを知っていて、ごく自然な当たり前の知識として子孫たちに教えています。
なので彼らのうちの多くは、肉体を離れた瞬間に次の段階へと移行することができます。

「今日は死ぬのによい日」
そういって、肉体を自ら去る人たちも多いのです。

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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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