揺らぎ
一時期、花の写真をよく撮っていて、といってもiPhoneなんだけれど、
それであるとき造花でもいいじゃん、と撮ってみたら、やっぱり生花を撮ったのと、何かが違う。
言葉では説明できない、「何か」が足りない。
たまたま藤原新也の写真展をみた。
銀塩写真といわれるもの。
銀塩の写真は、生っぽい。写真のお刺身、目に、ぷるんとした感触があってとても目が気持ちよかった。
そのとき感じたことを書いたものがあったはずだ。無性に読みたくなって探したらあった。
3年ほど前だ。
私はこう書いている。
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(前略)人間を写す時に、いわゆる「写真」、と、ポスター等のための絵的写真は別のものだということが、ひとつ気づきでした。
それは、先日自分でUPした造花の写真を「何がちがうんだろうなぁ」と思ったことのこたえのようなものだったかな、と思っています。
たとえば着物だけを川の流れに浸して動きを出して撮ったものは、それは写真としてみると静止画のように画面が止まっていて、反対に人間の肌が僅かでも着物の中に写るものは、、なんていうのかな、ぐっとくるものがありました。
着物は人が着ないと生きないし、生きないものは、そう、「揺らぎ」がないんだとわかりました。