通りかかりの島
島を離れて、ちょうど5年と半。
初めて島を訪れてから、14年と半。
村上春樹が、ノルウェイの森を書き上げたギリシアの寂れた島を、24年ぶりに再訪する紀行文を読んで、なんだかすごく、染み入るものがあった。
もちろん、内容はあっけらかん、文体も淡々として、けれど、それが「島」であることが、わかりすぎるほどわかるというか、そういう感覚が、表現の部分部分からも、しびれるように伝わってきて、
全体として、とてもしびれた。
その、「出会い」とか、「第一印象」とか、そういうのはとても個人的なもので、
それを24年ぶりに、再現しようとはおもわなくても、あれ?と思ったり、なぁんだ、と拍子抜けしたり、
もしくは、その頃の自分が、有り有りと蘇ってきたり、24年という、時間の存在を、感じるわけです。
長く生きていて、おもしろいと思うのは、そういうことが、できるという。
そういう体験。
時間旅行。
自分も、そのうちできるだろうか。
島が島として、私とは別の時間を送るようになったら、そうなれるのかもしれない。
けれど今は、インターネットの発達などで、島の様子がわかってしまうことが、そういうのをじゃましている。
時間旅行を。
知らなくて、いいんだな。
それくらい、遠い方がいい。
無我夢中で、今を、この場所で、生きよう、
なんて、思った。