なぜ 日本ではインターネットによる政府の透明可視化が進まないのか。

とても大雑把な簡略された仕組みだけを子供の頃から見せられて育ってきた私たち。
何のどこの選挙なのかもよくわからないまま「投票しましょう」の言葉だけが数週間流される。
誰を選んでも一緒。誰の政策もよくわからない。わからないけどわかる努力をするという、その目的もわからない。ちょっと探ってみてもどの候補者もその場限りの有権者の耳に快い言葉しか述べない。百歩譲って、選んだ候補者は数年後にやらかして「責任を取って辞任する」と辞めていく。
一から十まで、暗闇の中で可愛くもない興味もない凶々しいナニカに投票しろとせっつかれる。
台湾の、g0vのようなコミュニティは日本には生まれないのだろうか。生まれていても育たない育てないという土壌が石炭化するほどの深さをもって日本にはあるのだろう。
政府高官をはじめとして地方の役人もこぞって不祥事を起こしては「辞めればいいんだよね。」といなくなる。または「謝ったんだからこれからは最後まで仕事するぜ。」と居直る。
呆れるわ。の大人の話をシャワーのように小さな頃から浴びて育った子供たちに、興味を持たせるやり方の一つは、「何もかもネットで見ることができて、所在所属性別年齢健常云々を問わず意見参加が出来る」コミュニティが創られる事ではないだろうか。
台湾出身の友人はそれでも「台湾は台湾でやはりいろいろ問題はある」とはいうものの、オードリー・タンに纏わる本を読んでいると、つくづく台湾の人々が羨ましく見えるのだ。

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