Monochrome Diary 2024.4.1~2024.4.7
2024.4.1
寝る前、布団の中。今夜はここ最近ではあまり感じることのなかった、モヤモヤとした不安が付きまとっている。なにに怯えているのか分からず、言葉に表しづらい、捉えようのない気持ち。ソワソワする。なぜか過去のことを思い返しては感傷に浸る。毎日がせわしなく過ぎていったけれどとても幸せだった日々。もうあの頃のようには笑えない気がしている。スープのように、温かければとても心が満たされるけれど、冷えきっていたらこれ以上に寂しいものは無い。昔はとても温かく満たされていたのに、今は本質は変わらないはずなのに、なにもかもが違って見える。今日も一日が過ぎた。明日もどうにかやっていくしかない。そんな日々を繰り返していった先で僕はどうなっているんだろう。布団の中でグラグラと思考を揺れ動かしているうちに、ゆっくりと布団が人肌に温められる。冷たくなってきた心までゆったりと包み込んで眠り、明日の朝少しでも満たされた気分で起きられますように。
2024.4.2
久しぶりに鷹木信悟ちゃんねるが更新された。鷹木信悟と天龍源一郎の対談だった。大先輩を前に、珍しく緊張する姿を見せる鷹木を見ると、レスラーにとって天龍がどれだけ偉大な人物かが分かる。天龍節の連続に、普段のリング上での打たれ強い鷹木が少し弱腰にまで見える。リングの中では意地とプライドを、引くに引けないものを賭けて戦い、その様をお客様に見せ一体になる。お客様にプロレスの試合を印象付けるには、どこの会場だろうと手抜きはしない、それが積み重なって初めて、名前が大きくなっていく。
試合はインパクトを残してなんぼ、お客様を驚かすことがプロレス。
相手の技をもろに受けてこそ、相手の力量がわかり、自分にも自信がつく。相手の技を逃げずに自分の刻み込んで、それを凌駕していくのがプロレス。自分のプロレスを見て、いいものを見れた、こんなのが見れたらチケット代は安かったと思える試合を考えられてからが一流。
ざっと、この対談での転流の発言を見返してみても、一つ一つが、いかにプロレスラーとしてプライドを持って戦ってきたかが窺える。
日々レスラーがどんな心持ちでリングに立っているかがわかる対談だった。
2024.4.3
「アウトレイジ」3作品をみる。抗争の火種がジリジリと燃えていく中、それぞれが描く策略が絡み合う。大友(ビートたけし)は、その策略の図の中で振り回されていくが、いわゆる勧善懲悪のように、大友が最後に美味しいところを持っていくわけではない。思ったよりも、大友が出てこないんだなとは思ったが、1作目の水野、2作目の木村、3作目の市川と大友の右腕となる存在と大友の中にある任侠で動いていく流れを見ていくとその動向に注目せざるを得ない。大友がしばらく出てこなくても、ここからどう絡んでくるんだろうと考えてしまう。
印象的なのは、あまりみない場所や方法で痛めつけたり、殺したりすることだ。意見をコロコロ変える池元に「お前は何枚下があるんだ!2枚や3枚じゃすまねぇだろ」と煽り、「下は一枚に決まってるだろ」と反論する池本に、「じゃあ舌を出して見せてみろ」とさらにまくし立て、舌を出したところで顎を掌底して噛み切らせた後にピストルで打つシーンやサウナで和んでいる村瀬のところに押しかけるシーンなど、印象に残る場面が多い。特にも、大友が歯医者で治療中の村瀬のところに押しかけ、「俺が治療してやるよ。口開けろ!」と器具を押し付け血だらけにするシーンは身の毛がよだち、強烈なインパクトを残す。
有名な、「野球やろっか」からの、ピッチングマシーンを使ってボールを当て続ける拷問が出た時、声をあげてしまった。加瀬亮演じる石原が、1作目はじめから強烈に目についていて、「こういう奴が一番怖いんだよなぁ」と思っていたら案の定だった。それが、「野球やろっか」のシーンでやられるとは… 勝手に点が繋がって興奮した。
3作品ともヤクザ映画らしい、後味は決して良くない終わり方だが、一連の大友の動きを見ると、最初から最後まで、北野武の「これが派手で怖くて少しおかしいヤクザ映画ってものだ」と見せつけられた気持ちになった。
2024.4.4
「その男、凶暴につき」を見る。アウトレイジ3作品を見たあとだし、若い頃のビートたけしの怖さも相まって、警察役に合うのかと思ったが、導入から納得させられた。少し古い映画でその時代らしいシーンが多いものの、ホームレスに暴行していた少年の家に押し入って暴行し警察に来るよう、ほとんど恫喝をするなど、手のつけられない人というのが一発で頭に入る。北野武の映画は1シーンづつがすごく印象に残る。北野武は映画を四コマ漫画から次第に作っていくと語っているが、シーン一つ一つが漫画のコマ割りで見ているようで、どこを切り取っても、「あぁこのシーンはこんな味があるな」と思わせる。特に、「その男、凶暴につき」は無音で顔のアップが長く入ると思った。一瞬、映像が止まってしまったかと思わせるほどの長めの顔のアップのシーンが数箇所ある。これで絵が持つ俳優陣もすごいし、そのシーンが入ることでグッと緊張感が増す。見入ってしまうシーンが多い。
見終わった後に頭を整理しつつ、解説を探す。自分では気づけなかった魅力を見つけていく。細かく注目しながら解説されている動画を見つけ、見てみるとそんなにこだわりが見えてくるのかとまた1段階、映画が面白くなった。
2024.4.5
「ソナチネ」を見る。ここ数日の北野映画の中で、一番笑いと緊張が織り交ぜられた作品だと思った。麻雀屋の店主が数分沈められたの生きている場面、 強面の男がバスの中で「腹が痛くて飲み物が飲めない」という場面、砂場でのトントン相撲など、 緊張感があるものの「笑い」までいかないくすぐりが各所にある。ヤクザ映画らしいじんわりと嫌な雰囲気は残しつつ、人里離れた場所での童心にかえり遊ぶ陽気な場面が続く中盤。こちらがニヤニヤとし始めた頃、魔が刺したように悪事が起こる。全体としてゆったりと続いていく作品だが、じっくりと見ていられるのは、こういった環境が緩急が効いているからだと思った。死生観が垣間見えると多くの解説にあった。確かに、生きることを捨てきれず、かといって死に急ぐわけでもない。徐々に迫られていくような、じんわりとした嫌な空気。そういえば、「アウトレイジ」も、「その男、凶暴につき」も最後に主人公が死を選ぶ。まぁ、アウトレイジにしろ、ソナチネにしろ、窮地に迫られたヤクザの話なので、蹴りをつけた後に死ぬというのは、作品上仕方ないようにも思える。以前、「熱のあとに」の感想を書いた時(2024.3.12)、「物語上で死は全てを解き放ってしまう。問題の帰結としてはとてもわかりやすい方法だけど、積み上げた物語を投げ捨ててしまう可能性があるので、ラストに死の描写を持ち出すのは余程でない限り好ましくない。」というのを書いたが、この場合はどうなんだろう?北野武なりの「主人公は死んじゃいました。この話はここでおしまい!」というような終わらせ方のようにも思えた。
2024.4.6
IWGP世界ヘビー級選手権試合、現王者内藤哲也対チャレンジャー辻陽太の試合が行われた。リアルタイムでは観れなかったから、情報を遮断して帰宅後直ぐにこの大会を観る。Los Ingobernables de Japónを応援してる自分にとっては、ロスインゴを日本に持ってきて1時代を気づきあげた内藤と、そのロスインゴに新しく加わり次の時代の幕開けを狙う辻の一騎打ちは特別に楽しみな試合だった。ニュージャパンカップを5連勝で優勝した辻の方が、勢いとコンディションが内藤を上回る。だが、内藤はその相手の勢いさえも、今の内藤の空気感でおおってしまう。辻が勢いのまま新時代の旗手となるか、内藤がふてぶてしく壁となるか。
試合開始からずっと、辻の猛攻だった。ように見えたが、思い返してみれば始めから内藤の手のひらの上だったかもしれない。辻の猛攻に内藤が耐え忍んでいる、のではなく辻が出せるだけの技を出したころから内藤が反撃を始める。つまり、辻陽太というプロレスラーをとことん引き出している、プロレスの美学のような流れだった。途中、トペ・スイシーダにいくように見せかけ、すかして寝そべりポーズを決めるいつもの内藤のムーブを辻が割って入り決めさせなかった場面があった。そのポーズを決めたら内藤の流れになるのを辻がさせなかったのはもちろんだが、実はずっと前から内藤のペースだったのかもしれない。そう見れば、内藤の空気感にさせないように動いた辻が少し焦ってしまったように見える。中盤まで来た時、思い出す。内藤哲也はじっくりと相手と渡り合うプロレスが好きなのだと。
以前、オカダ・カズチカが内藤の試合の解説に入った時、「内藤さんの独特のバックエルボー、あれが出てき始めてから、内藤さんのスイッチが入り始める。」というようなことを言っていた。この辻との試合、辻の猛攻を受け続けた内藤が、切り返しのスイング式DDTを決めたあと、このバックエルボーの連続、ここでスイッチが入ったとわかった。
最後は両者膝をついてのエルボーのやり合い。だが序盤から仕掛けていた辻はダメージもあってギリギリの状態だった。一方、内藤は辻がふらふらなのをみると、手を広げて、打ってこいとジェスチャーする。この時点で、ここまで流れを作り上げた内藤が、まだ辻には超えさせないのだと感じた。辻はフィニッシュ技ジーンブラスターをきってしまっている。一歩で、内藤はまだデスティーノを出していない。辻もなんとか粘るが、掟破りの内藤のジーンブラスターを返すのでせいいっぱい。最後は、旋回式のデスティーノで内藤が勝ち、高い壁として立ちはだかった。最後に旋回式を選んだのは、そこまで正調のデスティーノを堪えられたからこその切り返しなのか、まだまだ正調で倒してやらないという内藤の意地なのか想像するだけでワクワクする。
内藤、辻の物語としても、Los Ingobernables de Japónの物語としても、また新しい展開が見えてきて、とても面白かった。なにより、内藤哲也というプロレスラーの強さをまた改めて感じた。
2024.4.7
「座頭市」を見る。ここ数日、北野武映画を観て、「その設定世界をギリギリで崩さず、笑いや芸術などの色を絶妙に差し込む」という共通の軸があるのでは、と思った。座頭市もその通り。
刀を抜いたら隣のやつをきってしまう場面や、剣術の稽古といきがるが一斉にかかってこられる場面はまさにコントの1場面をのぞかせる。くわで畑を耕す時や家を建てる時の作業音がリズムになってBGMに合わさるのは音楽的な面白さを感じる。「浅草キッド」にもあるように、北野武自身にタップダンスのバックボーンがあって、座頭市の最後にはカーテンコールのようにタップダンスで終わっていく。北野武自身の中にある芸術性が一つにまとまっているような作品だと思った。
ストーリーとしては、「用心棒」のように「街を取り仕切るヤクザ者が突然現れた凄腕の者に成敗される」ストレートな話だが、細かい描写がストーリーの厚みを増す。冒頭で、あっという間に抜刀し、2人を切りつけ、襲いかかられても背面から相手を刺す刀さばきを見せる。賭場に来た時、サイコロの目が音でわかる所から、視覚以外は人並外れた感覚を持っている。目が見えないからこそ、敏感に世の中を感じ取る市が、悪者を成敗し、なおかつそれを奢らない姿がとても魅力的に映る。ラストに「いくら目ん玉ひん剥いても見えねぇもんは見えねぇんだけどなぁ。」と残すが、「座頭市」全体を考える上で1番語られるところなのだろう。最後に根幹を揺るがしかねない考察の余地を残し、観た人をうーんと考えさせるのは自分としてはとても好きだ。
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