お気持ちツイートまとめ①

こんにちは。
ひさしぶりに書く上、noteでの魅せ方など1ミリも知らないりおんです。

最近のお気持ちツイートを整理するお時間がやってまいりました。
とぅーるるっとぅるるとぅーry(某子の部屋)(おこられろ)


さて、Twitter、いろんな人の考えが流れてきます。いろんな人の生活が流れてきます。常に人といるような感覚、それも1対1ではない。
目も脳も心も休まらなそう、と思いつつ、Twitterに居続けるのです。
Twitterを開くだけならそこまで労力かかりませんからね(当社比)


そんなこんなで本日の本題、「社不」という言葉。

いわゆる「社会不適合者」の略語ですね。
私は言葉としてはあまりすきではないです。ひらがなで書いたらかわいいなと思うくらいにとどめています。しゃふ。


えっと、続き、読みますか?
引き返すなら、ここ、ですよ。


私、言いましたからね。







社会に適合できないということは、何らかの理由で社会にある規範を遵守できない状態だということだと認識しています。そのような実感を得ることはその人たちにとって多かれ少なかれ苦痛を与えるものだと私は思います。一方で、それはその人たちが悪いわけではないのです。



ああ、そうか。
もしかしたら、 しゃふ という言葉自体がすきではないというよりも、 しゃふ という言葉もしくはそれを指す人(たち)がさも悪者のように流れてくるのがあまりすきではないのかもしれません。


たまには学校が来いってよく言うじゃないですか。
え、言わない?…言うってことにしてください。
極論を言ってしまえばそれと同じで、社会がこちら側に適合しろよと言いたくなります。

実際、「当たり前」や「普通」は人によってはもちろん、時代によっても変わるのです。今ある「社会規範」は、偶然、「今の規範」になっているにすぎないのではないでしょうか。


だからこそ、社会に、自分の周りに、こういうものが必要なんじゃないか とか、こういうものが欲しいな とか提案・提起していくことが重要なのだと思います。いわゆるソーシャルアクションってやつですね。




実際に助けを求めている人たちの中には自分で声をあげることが難しい人たちもいます。そこで登場するのがソーシャルワーカーです。


ソーシャルワークとか福祉とか、対人が注目されがちですよね。しかし、制度、政策、施設、設備、、、そういった環境や社会へのアプローチも重要な役割なんですよ!と先生が言ってました。



少し脱線したので話を戻しますが、

そんなこと言ったって、今生きているのだから、今適合できていないと感じることで、生きづらさや苦しさを抱えているのだと思います。
ただ、それは、決して本人たちが悪いというわけではないこと、思いの外頑張らなくても良いんだということ、人に思いを話しても良いんだということ、社不だからと前置きして言わなくても良いんだということ、そして、これら全部をしてもしなくても自由で良いんだということ、頭の片隅に置いておきませんか。

というご提案をしたいなと思う私です。



ここはこう思う、ここは優しくない、等々、ここまで読んでくださったあなたの感想を、よかったらお聞かせくださいな。



またね。
ばいちゃ。

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