原因

こんにちは。りおんです。

今日は自分が意見すること、という行為そのものについてふと思ったことを書きます。


私は自分の意見を言うことが大の苦手だと自負しています。noteやTwitterなどにこぼすことはできますが、発言するのが自分だと他の人が分かっている時、つまり匿名ではないときは黙り込んでしまいます。特に対面で何かを発するとき、「この意見は相手の意志にそぐわないのではないか」とか「これは間違えているのではないか」とか、そういう考えが先行してしまい、なかなか発言できません。

これが効いてくるシチュエーションで最も分かりやすいのはやはりグループワークをしているときでしょうか。ディスカッションが必要なワークの場合、意見を自分から言うことはもちろん、たとえ話を振られたとしても自分自身の考えを言うことは滅多にありません。大抵の場合、前に出た意見に同調します。


中学生の時までは特に気にしていませんでした。一番荒波を立てずに無難に生活する手段として最適だと思うからです。今もその考えは変わりませんが、高校に通うようになってからなぜ自分がこうなったのか少し考えるようになりました。


それが最近一つの結論に至りました。簡単に言えば家の環境です。


思っていることを言う➜問い詰められる➜言ったことに自信がなくなる

ここから私の対処法が2つに分かれます。

1つ目は「そのまま押し通す」です。しかし問い詰められたことによって心の中では自信がないことが態度に出ます。少し口ごもったりしてしまうのです。すると親はそれが気に食わないのか嫌な顔をしてから怒ります。

2つ目は「自分の考えを訂正する」です。やっぱりなんでもない、とか親の言ったことのほうが正しいね、とか親の顔色を窺います。すると私の親はやはり怒りました。なぜかは分かりません。怖くて聞けなかった過去の私です。


この2つからどう足掻いても自分の意見を言うと怒られるのだと感じました。怒られるというのは怒られた側も怒る側もあまり良い気持ちはしませんし、雰囲気も悪くなります。多分この経験が、私が自分の意見を言うときに怖いと感じるようになった一つの大きな原因かもしれない、と気づきました。


最初の段階で、なぜ問い詰められただけで自信がなくなってしまうのか聞かれても分からないとしか言いようがありません。どうしても「本当にそうか、、?」と思ってしまいます。




今日書いてきたこれって多分私だけじゃなくて、他にも同じ経験をした人がたくさんいると思うんです。同じ経験をした人でも今自分が意見を言うことに対して抵抗がない人もいると思います。

一番初めの記事でも書きましたがこれは私が頭の中を整理しつつ自分が何をして生きていたのか記そうと思って始めたものなので、もしそういう方が居てもお気を悪くされないでください。別に自分の過去を悲劇だと思って書いているわけではないのです。もしこれが悲劇なら、世界中悲劇のヒロインだらけです。このnoteは、ありふれたそこら辺にいる人間のうちの1人のお話です。



最後トピックがずれるのは毎回恒例ですかね。長くなりましたがここまで読んでくださった方ありがとうございました。ではまたそのうち、どこかで。

ばいちゃ。


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