『アンナ・コムネナ』 ② 中世の光が現代を照らす
皇帝になることを希求するアンナちゃん様 (母后様がなぜか長女のアンナ様
だけちゃんづけで呼ぶのに倣ってます)。
歴史的にみれば、彼女が皇帝にはなれないのは既定路線だけれど、それに
したってすぐ下の弟ヨハネスが憎ったらしいことこの上ない。
ザ・男の子、というか、こういうやつ小学生の時にいたよね~、って感じで
事あるごとに男の正論・男の考える女像を振りかざす。
ぶっちゃけ、髪の毛 毟ってやりたい。
(まあ彼も、余裕かましてる風だけど、いちいち絡みにくるってことは、
アンナちゃん様に無関心ではいられないってことよね!)
対して、アンナちゃん様の夫となるニケフォロス・ブリュエンニオス様
(通称・ニケ太郎さん) のキャラクターが、なんというか秀逸なのだ。
天然というか大らかというか、文武両道に秀でた貴公子であることは
まちがいないのだけれど、どことなく斜め上にズレている (けど結果的
にアンナちゃん様との関係にとってはいい方向に)。
イケメンだけど、おとこおとこしていない。
アンナちゃん様は、当初彼の野心のなさに少々ご不満の様子であったが、
ニケ太郎さんは決して腑抜けというわけでもない。
いうなれば、天然の大物である。
作者のふたばさんは、中世という時代を現代風に解釈する、ということは
決してしていないし、キャラクターに自分の主張を語らせているわけでも
ない。
研究においてはいうまでもなく、たとえ創作であっても、歴史上の舞台に
現代 (=作品化された時点での現代) の視点を、差しこむことはあっても、
持ちこんではならないのである。
もう少しくわしくいうなら、現代日本とは異なる時代、異なる国・地域、
異なる宗教的・文化的背景をもつ社会を、現代日本の価値観でもって評価
することはできない、ということ。
しかし、びっくりするほど現代の私たちにのハートにも響く言葉の数々よ ✨
背景に浮ぶ 自 己 皇 帝 感 の文字がツボる 👑
(※ 上記の台詞を実際にアンナ・コムネナが発したという記録はないが、
顕著なキャラクター設定と時代背景がしっくり馴染むということ!)
世の女性がみんなアンナちゃん様のような強烈な自己肯定感や自信をもって
いれば、世界平和はかんたんに成立するにちがいない。
ただ、強い自我や自尊心とは裏腹に、アンナちゃん様の、父帝が望むところ
の “いい子” であろうとする面が、健気でもあり切なくもある。
つまりは彼女もまた、自分自身にかけた女であることの枷から逃れられずに
いるのである。
そうした (彼女自身がまだ直面しきれておらず、明確に自覚するには至って
いないにせよ) 時代の現実や心の隙間を、ひょいっと酌んで、埋めてしまう
(たぶんこっちもそれほど自覚なし) のが夫であるニケ太郎くん。
特に好きなエピソードを挙げてみた。
男とか女だとかに関わりなく、一個の人としてのアンナちゃん様の才能を
愛し、その芽を摘むまいと陰日向にフォローしてあげるニケ太郎さん、
控え目にいっても最高である。
私ニケ太郎さんと結婚したいです、マジで。
◆◇◆◇◆◇
第23話に出てくるパンヒュペルセバストス πανυπερσέβαστος という称号
について。
パン παν はパンテオン (凡神殿) のパンと同じで、「すべて (の)」、
ヒュペル ὑπέρ は 「~を越える、超越する」 (英語の hyper) の意味。
セバストス σεβᾰστός というのはラテン語のアウグストゥス Augustus に
対応する言葉。
つまり、パンヒュペルセバストスというのは、「すべてに優越するところの
尊厳者」 くらいの意味だろうか。
無理に称号っぽくしようとすると、とっても中二病っぽくなるのでやめて
おこう (笑)。
ちなみに、この時代の皇帝はバシレウス Βασιλεύς (ラテン語の rex に相当、
もとは単に 「王」 の意味) で、かつては正帝を意味したセバストスや副帝の
カイサルよりも上位の称号になっている。
こうした逆転現象はコムネノス王朝期に起きたらしい。
言葉の意味の変遷っておもしろい。
◆◇◆◇◆◇
閑話休題。
年をまたいで開催されていた以下のオンライン・セミナーのシリーズ、
初回が井上浩一先生で、ふたばさんも出席されていて、参加者はおふた方が
公式に言葉を交わす場面に居合わせるというサプライズ!
『アンナ・コムネナ』 が出る少し前だったのだけれど、井上先生、ふたば
さんが描かれた絵をスライドに使ってらっしゃったし!
本当に、好きと研究のあり方が自由になったものだと実感した次第。
井上先生のビザンツ帝国関連の著作はどれもとてもおもしろいのだけれど、
『私もできる西洋史研究 ―― 仮想大学に学ぶ』 和泉書院、2012年 も
すっごくおもしろいので、おすすめである!