『うるうの朝顔』: 浄化あるいは昇華のものがたり
今日たまたまチャンネルを合わせた 「王様のブランチ」 で紹介されていた
水庭れん 『うるうの朝顔』。
気になったので Amazon で電子版を試し読みして、
好きな文体だったので即買いし、先ほど読了。
親や同僚との関係や、子育て、恋愛や性指向、仲間内の同調圧力、
男らしさ、女の子らしさ、差別、生き死に。
人がそれぞれ抱えている、あるいは自覚できていない何かを
淡々と浮き彫りにして、
しかしすっきり解決することもなければ、
きれいさっぱり癒されるでもなく、
明確な救いが訪れるわけでもない。
ただ、自分の孤独の意味や輪郭が少しだけ明らかになり、
区切りはあっても都合よくめでたしめでたしとはいくわけもなく
この先も続いていくであろう人生を、
ひとまず自分で受け止めようかな、
そんな気持ちへと導く一冊。
心の機微を精妙に描き出す筆致は、
知らずに読んだら女性作家の手になるものだと思ったかもしれない、
というのはある種の偏見だろうか。
エピローグのラスト、語り手の最後の言葉に、
透徹した諦観の境地がぎゅっと凝縮されていて、
読み手が零すとしたら、それは全編を通して濾過された心だろう。
たとえまた濁り澱んでしまうとしても、何度でも濾せばいい。
熱く力強いエールでなくても、慈愛に満ちた赦しでなくても、
ひとりひとりの生きる力を揺り動かすことはできる、
エンパワーメントの物語にも、多様性の波は確実に届いているようだ。