楽しくなければ 意味がない!
10年くらい前には、研究とはあくまでお堅く厳格なものであるべき、
あるはず、あらねばならぬ、というイメージが、研究者たちの間でさえ
まかり通っていたと思う。
しかしここ数年、研究っていうのは好きを極めるもの、という空気が
ごく自然に浸透しているようにも感じる。
漫画の内容に焦点をあてて、至極まじめに考察する、あるいは歴史上の
人物を主人公に研究者本人が漫画を描いてしまうといったことが、特に
批判もなく受容される時代にいつのまにかなっていたのだな、としみじみ
する今日この頃である。
(私が学部生だった頃は、教授陣にも学生にも 「こうであらねばならない」
「研究とは苦しいもの」 「王道以外は邪道」 といった暗黙のルールが確かに
存在していたから)
かくいう私も、当初は 「研究者たるもの、政治とか経済に焦点をあてた
高尚なテーマ設定をするべき」 という考えに凝り固まってずいぶん悩んだ
ものだけど (男性が圧倒的に多い分野なだけに、「女だからそのテーマを
選んだ」 というふうに思われたくなかった)、ある時、同じ研究室の人から
「自分が楽しくなかったら研究する意味ないじゃないですか」 と言われた
ことで目から鱗が落ち、同時期にある2本の研究動向論文と運命的な出会い
を果たしたこともあって、よっしゃー、好きなことやったるど~!! と
振り切れて今に至る。
「ああ、女性だから (そのテーマ) ね」 と言われたら 「そうなんですぅ~!」
と言えるくらいには図太くなれたと思う ❤
縁あって大学図書館に勤めた3年間に、本来の専門からはやや横道にそれる
テーマで (メインテーマではないが、一度きちんと考察してみたかったこと
ばかり) で毎年論文を発表したことで (それはそれは自由に研究することが
できて)、研究に対するある種の心的ハードルもだいぶ低くなったと感じて
いる。
論文を書き上げることって、実はすごく大変なのだ。
好きなことをやればいいのだけれど、ただ好き勝手を書き散らしていいと
いうわけではなく、不備は必ず指摘され追及されるし、矛盾や隙を徹底的に
排除して完全形を目指さねばならないから、土台となる基礎研究と、客観性
が不可欠となる。
そのプレッシャーから、堂々巡りをしてしまう若手は少なくない。
だいたい修論を出した後に低迷してしまいがちなので、ここは指導教官らが
尻を叩いてあげるべきだと思うのである (博士課程進学は自らの意思による
職業選択でありいわゆる自己責任に基づくものとはいえ、学生であるうちは
研究室をあげてガンガンバックアップする方が、研究室ひいては大学全体の
評価のアップにつながると思う)。
私も後輩には自分の轍を踏ませたくなくていろいろ偉そうなこと言っちゃう
のだけど、きっと耳が痛くてうざいだけなんだろうなあ (笑)。
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