目を覆いたくなる現実はあれど
観たいと思っている映画、「白い牛のバラッド」。
この記事を読んで、いろいろ戦慄した。
自分が死刑制度にあまり疑問をもっていなかったこともそうだが、
映画の舞台になっている国において、レイプ被害者 (!) や同性愛者が
死刑に処せられていること、法制度に疑問をもつことが禁止されている
こと、未だに宗教儀式の一環として動物犠牲が行なわれていること (ネパ
ールなんかでまだあることは知っていたけれど) などに。
この記事で、「現代日本とは異なる時代、異なる国・地域、異なる宗教的・
文化的背景をもつ社会を、現代日本の価値観でもって評価することはでき
ない」 と書いたけれど、それは歴史的事象に関する視座に関してであって、
現代および未来に関してはその限りではない、というべきだろう。
長く続いてきたことであるからといって、それが普遍的かつ恒久的な価値を
もつという根拠にはならず、また伝統というものは常に更新されていくべき
ものなのである。
「白い牛のバラッド」 のマリヤム・モガッダムとベタシュ・サナイハ両監督に
拍手喝采したい。
面倒なことになるとわかってはいても、己の中に抱えた面倒くささから目を
逸らしては余計に面倒なことになってしまう、だからどんなに面倒ではあっ
ても、それがわかっていても、自分の心を救うためには面倒な選択をしない
わけにはいかないことがある。
私もまた何度も何度も面倒な方を選択してきた。
そうしないと、私の 「我」 とか 「個」 が死んでしまうからである。
自身の心に正直な選択をすることが 「面倒なこと」 とはならない真の自由
が地上のすべてに満たされることを、世界の片隅でひっそり祈っている。
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