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【社会心理学】対人関係と自己投影について。

私たちは対人関係の中で、
常に自己投影をしている。

これは先日、社会心理学の授業を受けていたときに出てきたひとことだ。
多少わかりやすいように脚色してはいるのだが、概ねこのように言えるかもしれないと先生は言った。この瞬間、私のメモを取る手が止まった。

人間は何か一つでもわからないことがあると次の話が入ってこなくなるというが、これはおそらく間違いない。先生がその後何を言っていたのか、私の耳には全く届かなかった。

“常に”自己投影をしている、と言ったか。言ったな。
“常に”の一言さえなければ、私の耳は正常に働いていたというのに。

確かに心理学の効果で自己投影というものがあることは聞いたことがあった。
昔は相手に自分の影を重ねて共感するという意味しか知らなかったが、高校の現代社会の授業で逃避行動のひとつをそう呼ぶと教わって驚いた記憶がある。自分の中の認めたくない性質を相手にも適応してしまうという、酸っぱいブドウの話とか幼児退行とか、そういうやつと並べて語られるものだ、と。

前者の意味にしても後者の意味にしても、私は“常に”自分を相手に投影したりなんかしていない。そもそもそんなにずっと相手の感情を考え続けるなんて不可能に近いし、私は相手のことを勝手に決めつけないよう努力している方だと思う。

しかし、先生は間違いなく”常に“と言った。レジュメには結構違う言葉で書いてあったのに。余計に混乱した。でも先生からは、言葉選びを間違ったというような雰囲気は読み取れない。

だからこそ、真剣に理解しようとして組み直した。その言葉の意味を。
ここで先生が言う“自己投影”とは、おそらく私の知ってる意味と少し違うだろう。
少し冷静になったところで、やっと耳の修理が終わった。

先生は言った。

「これは極論かもしれないですが。
『相手が何を考えているか』というのは、
『自分がどう解釈したか』ということと同じです。」

まさに目から鱗。
パワーワードならぬパワー概念すぎて目を見開いた。
だって考えてみて欲しい。
この論をそのまま受け取るなら、
「あの子に馬鹿にされた」と思うことは、「私が『あの子に馬鹿にされた』と解釈した」ということと同義。

つまり、この世の森羅万象がなんだろうが、解釈の最終責任者は私である。

流石に先生はそこまで明言したわけではない。ただ、自分から他者に対して何かを表現することは、自分自身について理解することにつながると話していた。要は深淵を覗く時深淵もまた、というやつだ。
そう、今書いているこれもまさに私自身の解釈だ。こうして文を書くたびに、ただ私自身のことがわかっていく。
ちなみにワンチャン実際の授業とは全然違うこと言ってる可能性もある。

とはいえ、投影というキーワードは実際に先生から出た言葉だ。先生の発言意図を理解した時は、なかなかに酷なことを言うな、と思った。
TPOを違えて友人にこれを伝えようものなら、あまりもパンチラインが効きすぎて傷けてしまう自信しかない。そしてそのまま距離をおかれ、最近流行りの“そういうことじゃないんだよ展”に見事出展されてしまうこと間違いなしである。

ただひとつ面白いなと思うのは、これが“学問だから許される”ということだ。
学問の場では個人の感情にも多少分別が生まれるため、その辺のセンシティブな内容も全てまとめて“学び”として噛み砕いていくことができる。もちろん人道はなるだけ守っていきたいと私個人としては思うが、社会心理学なんかは学んでも絶対損する要素なんて無いだろうと何度も感じている。

P.S.
ここに書いた先生の言葉は基本私の朧げな記憶とノートのメモから再練成しています。
かなり私の解釈寄りに脚色されていると思うので、そこはご了承ください。

#社会心理学 #対人関係 #自己投影

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