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福祉事業所ができることはもっとあるはず

福祉事業所の所長としてのつぶやきなわけではなく、いち福祉人としての思いや考えです。

 

【障がい福祉の事業所だから障がい者の直接支援しかしない、でいいのか。】

 
 
僕が勝手に持っている「問い」です。
 
 
就労というものを通じて当事者が社会に出て生きていく様子を見ていく中で、必ずしも就職することが自立とは思えなくて、そうなるとそもそも「自立」というものが一体何を以って定義されているのか分からなくなることがあります。
事実的な自立、制度などによって見なして定義されている自立、当事者が感じる自立、家族が感じる自立・・・。
それぞれ同じ言葉なのに示している状態はおそらくそれぞれ違っているんだけど、ひとまず制度がみなして定義している自立を目掛けて福祉事業所は支援をしています、多分。
 
 
就労したからって彼らの生きづらさが全て解消するわけじゃないし、むしろ社会の中でこれから身に付けなきゃならないことも増えてきます。ライフステージの変化や、生活の質的な問題になってくると本人だけの問題ではないことも見えてきます。


「障がいがある」ことで与えられない機会
「障がいがある」ということを本人や家族が引け目に思わないといけない空気感
「障がいがある」ことが社会に出ても生きづらさが厳然とあること
 
 
 
ぼんやりとしていますが、いわゆる健常者だと当たり前のことが「障がいがある」ってだけでどれだけ当たり前にできないか、というのを事あるごとに感じます。
 
 
せっかく就労して社会に飛び出していったのに、自分の望む生活を送る選択肢すらなかったり、助けすら得られなくて色んな事を諦めたり我慢しなきゃいけないことが少なからずあることを、僕らは気づいていてもそのままにしていないかなぁ、と。
 
 
僕らは本当はもっとしなきゃいけない支援や出来る支援の術を持っているような気がするんです。
ただそこに立ちはだかるのは、「制度で保障されていない」ということだったり、「体系だったノウハウがない」ということだったり、単純に「前例がない」「割りに合わない」「キリがない」とかそういうものなのかも知れません。
 
 
たしかにそうだと思います。
ただ、どうしてもそれが福祉人として「やらない理由」になっちゃダメな気がするんです。
これだけ社会参加を謳い、地域移行を謳い、当事者が社会の中で生きることに国の指針を打ち出しているけれど、制度の範囲から外れたら急に手が出せなくなっても、困るのは当事者さんで僕らはそれを「仕方ない」で済ましていいとはあまり思えないんです。
 
 
地域にはそういった制度保障もないところに「何とかしなきゃ」と感じてインフォーマルな支援を行っている資源もあります。しかも僕ら制度事業者のように報酬保障もない中で支援を止めないように踏ん張っています。
だったら福祉事業者として、僕らがもっと出来ることって工夫次第でやり方次第であるはずじゃないのかなぁと思います。
 
 
性分かもしれませんが、見えている課題を見て見ぬ振りはちょっとしんどいし、そもそもそんな課題に気づかなかったら支援者としての自分にもちょっとがっかりしてしまいそうなので、できるだけアンテナを張って、「仕方ない」にできるだけせずにどうにかやり方がないか考えたいな、と思います。
 
 
最近そこそこ色んな事に手をかけるようにしているので、正直それがどこまできちんとしたものにできるのかは分かりませんが、「福祉事業所ができることって他にあるんじゃないか」ただ制度上の位置づけの役割だけするんじゃなくて、積極的に社会課題に向き合ってみる、というのを可能性探しのためにもやらなきゃなぁ、と改めて思います。

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