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生きづらさの背景に横たわっているもの

今日はずいぶんとダラダラ長く喋ってしまいました…。
 
利用者さんの支援をしている中でよく起きる、当事者と「健常者」と呼ばれる方との間でよく起きる認識のこじれや不理解、というのがあるんですが、その背景には「人は知らないものをなかなか受け入れにくい」という心理の働きがあると思います。
 
 
世の中に知らないものがあるなんて当たり前のことなんですが、どうしても人は自分が知り得ているものの中から世の中を理解しようとする「クセ」みたいなものがあるようで、ちょっと言葉は悪いけれど「自分が理解しやすい形で理解したつもりになる」ために実態との齟齬が生じて、それが不理解につながる、という話です。
 
 
そしてもうひとつ、これは僕の主観も大いにあると自覚はしているんですが、特に家族間であったりすごく近しい関係性の中で起こりやすいものだと思うんですが、「体裁とか見栄」みたいなものによって自分の身近な人の生きづらさを受容しにくい、という事もあるんじゃないかと思うんです。
 
 
多分それもある種の人の思い方や考え方のクセみたいなもので、体裁とか見栄と表現してしまうとアレなんですが、詰まるところそれも人の心の防衛反応のひとつなんだと思うんですね。
家族に障害があることがちょっと後ろめたいようなものに捉えられてしまう、とか、少し昔の概念で言うと、離婚して出戻ってきた娘を一族の恥、みたいに思うような価値観というか。
 
 
そういう背景が横たわっているんじゃないか、というだけの話です。
じゃあそういう背景があったとして僕らは何をしなきゃいけないんだろうか、ということが問題なんですが、まだまだ僕自身それに対してクリティカルな解決策を持って要るわけじゃありません。
 
 
時代の流れと共に価値観自体は多様化してきて、いろんな在り方が受け入れられるようにはなってきました。
でも、まだまだ「知らない」ということから起こる問題もあれば、ある種固定概念的な「常識」みたいなものにとらわれてしまう事によって起こる不理解も多い。
 
 
地味な結論ですが、僕自身は結局コツコツと「知る」ということを届けていくことを丁寧に続けていくしかないんだろうな、というところまでしか持ち合わせていません。
 
 
そんな話です。




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