「批判」は必ず自分に還ってくる
ちょっとニュアンスばかりでぼんやりした話し方しか出来なかったんだけど、「批判」にまつわる話。
一般的な話なのかどうか分からないけど、僕も含めて時々周りを見ると、他者のエラーがひどく批判される場面、ってのをよく見ますが、しばしば批判してる側もそのエラーが起こる可能性も当然あるし、場合によったら小さなレベルで似たようなエラーを冒してることすらあります。
穿った見方だけど、それって自分を棚上げしてたり、他者を批判する事で自分の正当化にしてるだけにしかならない気がします。
それどころか、他者を批判する事が何かのカタチで自分にリスクとして還ってくる事の方が多くない?という話です。
かつて僕の地域ではとある大きな福祉事業体が不正受給、というかルールの網目をかいくぐってだいぶグレーな運営で展開していたんですが、結局法整備によってそれが明るみになって、というかそのタイミングで計画的に、なのか分かりませんが撤退して大騒ぎになった事があるんです。
その時に多くの他の事業所さんがその事業者を批判していました。
「そのやり方はダメだろ!」と。
しかしその後法整備によって明るみになったのはおそらくそうやって叩いていた事業者達も決して健全な運営をしていたわけじゃなく、なんなら事業所としては回っていないような状況の所が大半だった、という事実でした。
言葉は悪いですが、50歩100歩的なところはあった、という事です。
もちろん不正や違法は良くはないですしそれ自体は正すべきことだとは思うんですが、そこで起こった批判に対して感じたのは「棚上げ感」です。
他者を批判するのはいいですが、だからといって自分達の正当性が証明されるわけじゃないし、当然どちらが悪い、みたいな土俵の話じゃない気がします。
批判した先がいなくなった途端目の前に現れるのは厳然とした自分達の問題であり、場合によったら自分達が次に批判される側に立ち得る、というリスクです。
なんかそういう歪んだ感情のスパイラルが綿々と生まれていくのには僕はどうしても気持ち悪さを拭えなくて、もちろん自分自身もそこに無自覚に加担してしまっている事もあるかもしれない、という自戒も込めて、ですが、他者への批判というのは、特に感情的な批判というのは、結局巡り巡って自分の元に還ってくるからあまりむやみにしない方がいいんだろうな、という事を感じます。
何事も用法用量をよく守って、って事ですね。
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