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仕事と業務の違いを因数分解出来ているか?

福祉的な仕事、支援の仕事ってなんなんだろう、と考えさせられた話なんですが。
 
 
僕ら福祉業の仕事、の最も肝になるところというのは案外目に見えるところ、ではなくて結構コミュニケーションの中に込められるものであったり、配慮とか分析、みたいなものだったりします。
 
 
業務を通じてその中で対象者の方が何を解決したいと思っているのか、何が課題になっているのか、何にやりづらさや生きづらさを感じているのか、みたいなことをやりとりの中で分析、アセスメントしていくこと、そして適切な支援を提供するということなんじゃないかと思うんです。
 
 
業務として与えられているものを遂行する事と仕事として成さないといけないことというのは多くの場合同じではなく違う目的のものだと思うんですね。
 
 
例えば福祉的な窓口案内のような業務があったとします。
ここで遂行する業務は窓口に来られた方の応対をして、ご案内をする、ということが行為として行われていれば、業務としては遂行したことにはなると思います。
 
 
ただ、それが支援の仕事として見たらどうでしょう?
 
 
窓口に来られた方が一体何に困っていて、何を解決したいと思っていて、そのためにはどのような手段や資源が必要で、今ここにそのための情報が用意できるのかどうか、またそのお相手がどうすればその手段や資源にたどり着くことができるか、そのためにサポートは必要なのかどうかetc.
そう行った諸々をコミュニケーションの中からアセスメントしていきながら、そして説明を丁寧にしながら相手にお伝えをした上で応対していくこと、とかだったりすると思います。
 
 
間違っても表層的に「聞かれた質問には答えた」とか「聞かれたことに対してできるご案内はした」というのが支援の仕事をした、とは言えないわけです。
それって業務としての遂行をしただけであって。
 
 
作業としてやればいい、ということなんであればそれは下手をしたら人間じゃなくてもいいわけですよね。
検索ワードをタッチパネルか何かで入力し、そこから検索される情報を表示すると同時に説明文や説明の音声案内をすればいいじゃん、となりませんか?
 
 
普通の商品だったり普通のサービスだったりすればそれはそれでもいいのかもしれないと思いますが。
 
 
支援の「仕事」というのは業務を遂行すれば支援をしたことになる、というような類のものではないはずですよね。
ここですべきことは業務としてやったかどうか、ではなく、支援としてそれが成立するかどうか、ということだと思うんです。
 
 
「聞かれたことに答えましたよ、ご案内もしましたよ」というのは業務としては正しい態度かもしれませんが、支援の仕事として本来求められるのは「相手にとって必要な支援や情報を提供できて、かつそれについて相手も理解をしていて、そのアプローチによって課題が解決されたり、解決に向かって一歩進むことができた」ということまでのものです。
 
 
やっている行為や動作は同じだったとしても、その中で果たすべきことは全く違います。
 
 
時に「業務を果たすこと=支援」かのようになって支援の仕事に携わってしまっている、ということって僕の自戒も含めてですが少なくはないような気がするんです。



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