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僕らは「枠」にはめるような支援をしてないだろうか

利用者さんの支援については、その人その人で当然変わります。
若年層の利用者さんは、そもそも社会経験も少なく、知らないことや概念がまだ育っていないものもあるので、支援の側面と育成とか教育的な側面とが支援プロセスの中で生まれます。


もちろんそれはその人に見合って必要な支援のあり方と考えて行うわけで、僕ら支援者の利用者さんへの影響力は必然的に大きくなりますが、ならざるを得ないところもあります。



反面、社会経験もあって、ある程度自己を持たれている方の支援も僕らは同時並行して行うわけなんですが、これは僕らが切り替えきれていないのか、という反省感もあるんですが、無意識に良かれと思って情報提供や促しをしていることが、当事者にとって想定以上の影響力を及ぼしてしまっていることがあります。



当たり前のことなんですが、僕ら支援者も「ある特定の価値観や経験値、思考や意思を持つ」人間なので、それって知らず知らず利用者さんとのコミュニケーションの中に出てしまいます。


僕ら個々人はもちろん基本的には自分の意思で生きているはずなので(違うこともあるかもしれませんが)、一応それに納得をしながら過ごしてるんですが、それを支援者として利用者さんに向けてしまうと、もしかしたら利用者さんにそれをひとつの「枠組み」として捉えさせてしまっているのかもしれません。
つまり、「やらなきゃいけない」ものとして伝わってしまうかも知れない、という事です。



小難しく僕が考えすぎなのかも知れませんが、相談対応であれ教育的な側面のある支援であれ、絶対やっちゃいけないと思うのが「支援者が枠にはめてしまう」事だと思うんです。
僕ら支援者が持つ「ある特定の価値観や経験値、思考や意思」が、本人にどのような影響力を持つのか、ということには多分敏感になった方が良くて、自身の主観を徹底して客観化することがどれだけ重要なのか、ということを考えないと、図らずも恣意的になってしまっていることは少なくないんです。


僕らがしなきゃならないのは、本人が自分で決めて選択する事への支援だし、それが行えるように整理したり、問題を分解したり、情報を提供したり、あくまで「考え方」の参考をお渡ししたり、がまずありきなのかな、と思うんです。
「自分で」進む、ということを支援者自身が妨げになっちゃいけないな、と。
キレイごとかも知れませんが。
 
  



この仕事をそこそこ長くやっていても、「あの投げかけ方は僕の主観が出ていなかったかな」「もっとこう伝えたほうが客観的に伝わるかなぁ」なんて反省をほぼ毎日するんですが、毎回「思考」錯誤の連続です。


人によってどこまで踏み込みながら、コミュニケーションを交わしていけばいいのか、難しいところだなぁ、とは思うんですが、せめて、僕ら自身が無意識に、無自覚に「枠」にはめるような支援にならないよう、逆に踏み込まなさ過ぎて腫れ物にさわるような支援にならないよう、考え続けないといけないよなぁ、と思います。


今日はそんな事を考えさせられる1日でした。

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