見出し画像

紐なしバンジージャンプに挑もうとするわたしの背中を押してくれたことば

去年の年末、12年勤めてきた大好きな会社を辞めた。

画像1

会社にはまったく不満はなかったし、一緒に働いている人たちも大好きだった。
ありがたいことに2回の産育休からも復帰できたし、子育て中でも昇格させてもらえたし、会社の目指すビジョンにも賛同していた。
一部上場企業で、知名度もそこそこある。
素晴らしい会社だ。

そんな贅沢な境遇を捨ててまで、得たかったもの。

それは「いまをいきる」こと。

今のところ身体は健康そのもの。
食べ物の好き嫌いはないし、煙草も吸わない。
お酒は好きだけど、肝臓はきれい。
太り過ぎでも痩せぎすでもない。

でも、40才を目前にしてを意識するようになってきた。

この世にさよならを告げるその時に、わたしには心残りはないだろうか…?

そんな思いが頭の片隅で、膝を抱えて座りながらちらちら物言いたげにわたしを見ていた。

色々考えた末に残ったのは、私の人生にはまだまだ失敗が足りないという思い。
と言っても、別にこれまで順風満帆だった訳でもない。
ニートだったこともあるし、反社ぎりぎりの会社に就職しそうになったこともあるし、失恋の痛手で餓死しようとしたこともあった。(なんで餓死やねん)

一つの成功の陰には、千の失敗がある。
でもわたし、最近そんなに失敗してる?
効率的なやり方とか、成功確率を上げるには?とか、自分以外の誰かの経験則に乗っかって、分かったような気になってない?
本当にそれがやりたいの?

何者かになりたい、何かを成し遂げたい、という気持ちとは裏腹に、一歩を踏み出すのが怖い
もし失敗したら…?
もし拒否されたら…?
もし誰にも賛同してもらえなかったら…?

気付いたら、あたまでぐるぐる考えるだけで、何も行動に移せなくなっていた。

それでも、考えているだけでチャンスを引き寄せるらしい。

たくさんのめぐり合わせがあり、色々あって起業することを決意した。
(ここの過程を端折りすぎたけど、まだ言葉に紡げるほど自分を客観視できないので仕方ない)

私のやりたいこととできることと人に喜ばれることの3つが重なる領域。
それは犬猫の健康寿命を伸ばす手助けだ。
まだ挑戦は始まったばかりで、毎日が不安の連続。
だけど、少なくとも「覚悟を持ってやろうかやるまいか」と迷っていた時よりは前進している。

迷いの森の中でさまよっていたわたしの背中を押してくれたのは、冒頭で記した会社の同僚、Oさんの言葉だった。
Oさんはいつも朗らかな人で私と同じく笑い声が大きい。
笑いの沸点が低い。センスが良い。器用。周りの人に愛されている。
彼女は、企業内新規事業の1つを任されていて、産みの苦しみを知っている。

ある夜、会社からの帰り道、彼女と偶然会った。
駅までの道すがら、わたしは溢れる不安を抑えきれずに彼女に漏らした。

わたし「会社を辞めて、自己資本つっこんで、その挙げ句数年後に、自分の決断が失敗だったって思うのが怖い」
Oさん「ん〜、確かにそうだね。でもさあ、人生で一番取り返しがつくのってお金だよね」

こうして書いてみると、なんとも無責任な言葉だ。
いや、それわたしのお金だし❗とツッコみたくもなるが、本質を突いている。

彼女のこの言葉を聞いて気付いた。
わたしがなにより大切にしていたのは、時間だったと。
時間と命は取り返しがつかない。

わたしはかならずいつか死ぬ

だったら、今のうちに本当にやりたいことをやろう。

1日の終わりに(今日もやりきった…)と自分を褒めたり、ひとに喜んでもらったり、その喜びをもらってわたしの心が震えたり…。
そんな時間を最後の日までにどれだけ作れるかな。

今日も一進一退だけど、わたしは大丈夫。

今日も生きている。ありがとう❗

いいなと思ったら応援しよう!