肩の上に乗っかってた「自己否定」の小人さん、さようなら
今日は、ファンタジー小説として読んでいただけたら幸いです。
私の左肩には、いつも、ピノキオのような恰好をした小人が乗っかっていました。
その小人は、いつも私の耳元でささやくのです。
「お前なんかに生きている価値や意味はない。早くみんなのためにこの世から消えてくれ」
小人がいつから私の肩に乗っかっていたのかは、覚えてません。
もしかしたら小学校に入学してから、いや、それよりも前からだったんじゃないかと思います。
この小人の存在にハッキリ気づいたのは、20代前半ごろ、大学を卒業し、都会で働いていた頃です。
たまたま知った、自称「精神科医」が開設しているホームページで、相談を受け付ける掲示板がありました。
そこで、何気なく「小人さん」についての相談を書き込みしました。
すると、お返事を頂けました。その内容をざっくりまとめると「その小人さんの声は無視一択」。
以来、私はその自称「精神科医」に従い、小人の声を一切無視することにしました。
でも、無視しようとすればするほど、その声は大きくなり、そして執拗になります。
都会での生活を続けられなくなり、帰郷して就職しても人間関係がうまくいかず、辞めては失業保険をもらって、給付が終わったら再就職してまた続かなくて辞めて……の繰り返しでした。
そのうち、小人の声はどんどん大きくなり、私が眠っている時以外はずっと耳元で叫んでいらっしゃるのです。
喉、強いのかな。
その後、仕事を辞め、通信制の大学に入りなおし、勉強を続けているうち、いくらか小人の声は小さくなってきました。
興味ある分野の勉強を楽しむ気持ちが、心をいくらか前向きに戻してくれたんだと思ってます。
でも、大学院に進んで修士課程を修了すると、次の目標が分からなくなってしまいました。
いろんなことにチャレンジしては挫折し、人とのトラブルもあちこちで引き起こしてしまい、八方ふさがりになってしまいました。
そのような中、気がつけばまた小人の声は大きくなってきたのです。
「お前なんかに生きている価値や意味はない。早くみんなのためにこの世から消えてくれ」
うん、そうできれば楽なんだけどね。
痛いのとか苦しいのとか嫌だしさ。
仕方ないから全てのことを諦めて、世間の片隅でひっそり息をひそめながら生きるしかないんだよ。
そうなだめすかしながら、小人の睨みつけてくる目を見て見ないふりをして、愛想笑いしてました。
小人は私を、本当に死へとみちびきたかったのでしょうか。
「しね」と何度も言い続けるなら、さっさと首をしめてくれたほうが楽なのにな、と思ってました。
まぁ、小人だから両手も小さいし、できなかったんだろうけど。
だったら私が寝ている間、口を開けた途端にスッと中に入って、喉元まで入り込んで息の根をとめるとか、できたんじゃないかな。
でも、それを実行するのは、小人も避けたかったんでしょう。
「痛いのとか苦しいのとか嫌」って、きっと小人も同じだったんじゃないかな。
これまで、いろんな自称「ヒーラー」の方々にもお会いしてきました。
でも、誰のアドバイスで何をしても、小人はなかなか私の肩から消えてくれなくて。
「たぶん一生、私の肩に乗って、私を否定する言葉をささやき続けるんだろう」って思ってました。
でも先日から、あるワークを始めました。
それは、坂口恭平さん著『自己否定をやめるための100日間ドリル』(アノニマ・スタジオ)をもとに始めた「自己否定をやめるためのワーク」。
まず、紙のノートに「自分を否定する言葉」を書いていき、そのあと、それに反論する言葉を細かく書いていくのです。私の場合だと「自分を否定する言葉」とは、肩の上に乗った小人の発言が中心です。
お前なんかいなくなれ。お前はいつもみんなに迷惑をかける。お前は自己中心的でワガママ。人の気持ちなど一切考えない奴だ……などなど。
ここに書いているだけで気が滅入ります(読んでくださってる方も気が滅入っていらっしゃると思います。ごめんなさい)。
毎日毎日、小人の言葉を書き出し、続いてそれに対する反論を書いていくのです。
今日までもう14日間、休まずこのワークを続けています。
次第に、肩の上に乗っかっている、小人が騒ぎ出しました。
「ええい!お前はこの世に要らない奴だって言ってるだろうが!まともに人づきあいもできないくせに。さっさとあきらめて自分で自分の人生をおわりにしろよ!邪魔者で厄介者で疫病神が!」
うるせぇな、と思いました。
そして左肩に乗っかっている小人の方へ顔を向け、私をにらみつけている目を今度は、あえてじっと見ました。
すると、なんだか、その目はどこかしら、さみしそうでした。
「かわいそうだね」
そんな言葉が、つい口からこぼれました。
すると、小人の表情からこわばりが消えました。
そして、いつの間にか、その目には涙が浮かんでいました。
「ずっと無視していてごめんね。本当はさみしかったんだよね」
右手を左肩のほうへ持って行き、小人の頭を撫でようと思ったら、小人はスッと姿を消しました。
あれ?と思ったら、私の目の前に、今度は大人と同じくらいの大きさになって現れました。
「小人さん?」
と尋ねると、目の前の人はうなずきました。
「もっとちゃんとお話すればよかったね。ごめんなさい」
頭を下げると、大きくなった小人は首を振りました。
「でも、これでお別れだよ」
そう言うと、小人は再びさびしげな顔でうなずきました。
「元気でね。今度は、自分の人生を生きるんだよ」
小人はもう一度うなずき、軽く手を振ってくれました。
私も手を振ると、小人はくるっと後ろを向いて、歩き出しました。
だんだんと遠くなっていく小人の姿は、次第に色が薄くなっていくようにも見えて、いつしか消えてしまいました。
小人のいなくなった左肩は、すっかり軽くなりました。
ずっと小人を「悪者」として扱っていたから、小人も意固地になっていたのでしょう。
もっと小人の話を聞いてあげればよかった。本当は私を否定する言葉よりも「僕は淋しいんだ。話を聞いてほしい」って言いたかったのかもしれない。
小人さん、次に行きつく場所では、いろんな人からいっぱい話を聞いてもらえたらいいね。
左肩の小人さんは旅に出たけど、私の近くにはまだどこかに、私を否定してくる別の小人さんがいらっしゃるかもしれなくて。
それは「自己否定をやめるワーク」を続けているうち、現れてくるのかもしれないです。
そのときは、またその小人さんのお話をちゃんと聞いて、その子のことを知っていきたいと思います。
本当に、私のことを否定したいだけなのかな?
言いたいことって、もっと他にあるんじゃないのかな?
小人さんの姿をした「自分を否定したい気持ち」って、もともと、私の中から生まれ出たものなんだと思います。
小人さんとの対話は、自分の分身との対話なんだと、今気づきました。
どれだけこっちを否定してきても、邪険に扱わず、本心を探っていきたいなぁ。
なんてことを考えました。難しいかもしれないけれど。
自己否定をやめるまでの道のり、まだ長そうだけど、ぼちぼち続けていけたらいいなぁ、と思います。