私が胸を打たれた書籍。
私がA◯女優になる少し前の話も交えて。
私は、デビューから今に至るまで、本が好きなことは公言しています。
先日noteでお話した映画と同じくらい本は好きで、休日を彩ってくれる一つの嗜好です。
有料公開にはなりますが、note第一弾である、なぜ、普通の女の子がA◯女優になったのか。でも、本への愛を語っております。
とくに変わり映えのしない休日に、ふらっと入った本屋さんで一目見て心を奪われた書籍があります。
『魯肉飯(ロバプン)のさえずり』
その書籍の帯に書かれてる言葉にあった、
「母は、わたしの恥部だった」
まさしく私自身を語る上でなくてはならないものでした。
小学生で日本に来て以来、私も苦労しましたが、一番苦労した人を知っています。
それは台湾人である、自分の母です。
父の転勤を機に、長年にわたって住み慣れた場所と寄り添った家族から離れ、ひとり、海を渡って異国の地で生活をすることを強いられるのは、なかなかの大きな壁があったはずです。
ですが、そんなことを知る由もないまだ自我の芽生えもままならなかった私は、とにかく母が恥部でした。
日本語も上手く話せない、お世辞にも料理はうまいものだと言えない、そんな母に憤りさえ感じていました。
日本でできた友達に「お母さん、名前なんて言うの?」と聞かれては、言葉を濁した。その時の心境は複雑なもので、母のことを話したくないと思いつつも子供ながらに母への罪悪感は否めなかったです。
私は黙って書籍をそっと手に取ると、お会計を済ませ、近くにあった喫茶店に入って、本のページを一枚一枚めぐり始めました。
読んでる最中、私と母を重ねて見ていたのでしょうか。涙は重力に逆らうことなく落ちていきました。
私よりも遥かに辛い思いをしたはずの、母の気持ちを汲み取ってあげることができていただろうか。
母は一度決めたら最後まで意見を曲げることはなかった。
日本へ来たのは、娘である私を思っての決断だったのだと知るのは、まさしく私が大人になってからでした。
デビュー当時はよく、「本当に台湾人なのか」「ハーフというのは営業だろう」と言われました。
この世界はファンタジーであり、虚像であるからこそ、嘘が当たり前の世界だという概念で見られても致し方ないです。
憶測で物事を話すのも、本来人間が生きるための術であったことの名残であることも知っていますから、別に良いのです。
ただ、母がくれた贈り物である、台湾と日本を繋いだ愛。その愛を与えられてきた私を、私が好きなだけですから。
それはそうと早く、台湾の家族に、はやく会いたいな。
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