『ハウス・オブ・グッチ』を観て。

ここ数日、特別な何かのために精力を注いでいるからか、その反面、心に一点に止まらず複数の穴が至る所でぽつぽつ現れて、処置に追われた。

その穴を埋めるべく趣味に没頭した。


『ハウス・オブ・グッチ』

タイトルにそぐわない程に、歴史重視ではなく人間模様を重視に描いたドラマだと噂に聞いて、劇場へ足を運んだ。

キャストはレディ・ガガを筆頭に、私が愛してやまないアル・パチーノや、アダム・ドライバーなど、豪華な面子が勢揃い。

愛だけでなく、財産や名誉、そしてGUCCIに翻弄される名門ファッションブランド一族。

そもそもお金というのは概念上のものであり、銭や紙幣としての姿形を借りて存在しているだけのこと。
お金は大事だと、この世に産み落とされてから無意識下で刷り込まれた、一種のプロパガンダに過ぎない。
にも関わらず、人間というのは不思議なもので、まんまとお金の術中にハマって沼底へと堕ちていく。

愛も同様。愛などは本来存在し得ない。姿形に見えないのがそれだ。それもまたある意味人間にとっては勝手のいい概念に過ぎない。
だが、人々はいつの時代もこの愛とやらを問うてきた。愛すること、愛されること。愛とは。

お金や愛。加えて名誉など目に見えぬものに、知らないうちに悪魔に囁かれ引き込まれて翻弄される、欲望に満ちた人間の本来の姿を、剥き出しに描いている。

この作品の終わりは、随分と呆気なく感じた。
人間が積み上げてきた財産や名誉、そして愛を失ったとき。案外終わりは呆気ないのかもしれない。


もし、自分がレディガガ演じる、GUCCI3代目社長マウリツィオ・グッチの妻、パトリツィア・レッジャーニだとしたら。

目に見える形でなくとも、全てを手に入れたいと願うだろう。
手段を選ばずとも、自分の愛する大事な人の大事なものを全て壊してでも、自身の欲を満たすために手に入れたいと思ってしまうだろう。

どんなに終わりが見えていたとしても。

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