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明るい夜へ渡る

北欧に住んでから1ヶ月が経とうとしている。
ふとした瞬間やっと寂しさを感じて、ホームシックか?と思ったけれどただこれは人恋しいだけだと思った。

サウナで地元の人と話したり、シェアフラットに住んでいるから常に他人の気配も感じている。これは日本にいても起こりうる寂しさだ。何がこの感情を掻き立てるのかは不思議で、海外にいるときの方がよく顔を出す。

一人で旅をすると孤独についての解釈が変わる。田舎で迷子になって帰れるか不安になったり、自分だけ群れに属せず透明になったように感じたり。以前それは自分にとって恐怖でしかなかったけど、なんでか今は楽しさすら感じるようになった。

ストックホルムからヘルシンキへの寝台フェリーで見た、朝日のmångata


ヘルシンキは都会で、今回は仕事が忙しくあまり孤独はやってこなかった。そして今週末、長距離バスに乗ってフィンランドで一番大きな湖に向かった。
真夜中の明るい湖でカヌーを漕いだ。サウナに入って朝の湖で泳いだり、突然の雨にずぶ濡れになったり。でも嘘みたいに晴れてきらきらした森を歩いたり。それらがすべて素晴らしくて、今やっと寂しくなれたのかもしれない。

真夜中0時のSaimaa湖
一人だけのサウナ
足のつかない湖で泳ぐのはまだ少し怖い
Lahtiで歩いた雨の森
雷鳴のあとすっきり晴れたVesi湖


フィンランドの湖は足のつかないところで浮かびながら泳ぐのが基本で、泳ぎが苦手な身としては不安もあった。
もともとあった海洋恐怖症がマルタで矯正され、今は怯えながらも仰向けに浮かぶことはできる。でも陸から離れ過ぎると不安で恐ろしくて、その境目を少しずつ拡張しているのが自分の孤独への耐性と同期しているようにも思えて面白い。

怖いと思う感覚がやがて怖くなくなっていくのは、大人になるまでに何度もくり返してきたけど。それが今、大人になってからまだ克服できるというのはとても稀有で、どうやったら怖くなくなるのか見当もつかない潜在的な恐ろしさが残ってしまっている。

怖いことがあればあるほど、生きていくことそのものが怖い。
この不安とどう付き合って生きていくのか10代の頃は途方に暮れていた。
でもその頃の自分に一つ伝えられるのは、孤独が楽しくなることすらあるんだってこと。足のつかない海や湖に浮かべるようになるんだってこと。
想像もしなかっただろう。


昔は夜が来ると不安になることばかり浮かんできたけど、それは夜が暗かったせい?海と同じで底がないように思えたから?

23時、今これを書いている窓の外は明るくて、孤独だけど不安はない。
暗い夜が恐ろしいのなら、明るい夜まで渡ってくることもできるんだ。


いつかそんな話を描けたらいい。
今はまだ描きたいという衝動は湧きだしてくれないけれど、伝えたいという気持ちはあるから。いつかこれを読み返す自分に向けて。
何かに還元して届けられますように。


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