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こんな思想を塗りこんでくる曲ある?

すでに人の心を惑わしすぎ、語り尽くされすぎ、とは思うのですが自分なりに藤井風さんの楽曲について意味わからん何じゃこりゃと思ったことを記述しておく。

何でこんな深度を持ち普遍的で懐の深い表現ができるんでしょうか?
歌詞から見ればそれは顕著ながら、その音楽性、MVの示す世界、コメンタリーが示す作り手の精神性。生きることへの姿勢。まだその齢で?とは誰でも思うがこの際そこは問題ではなさそうだ。同じ時間を過ごしても受け取る思想や気付きの幅は誰しも同量では決してないのだから。

一番衝撃だったのは「帰ろう」という曲。そのほかにも聴き倒しているものはあるけど、実際掲題のように"思想"を受けとってしまい衝撃を受けたのはこの曲だった。

この曲について"言葉"でどう書き表してもチープになる。曲を聴いてみてもらってしかこの音楽、というか作品が示している魔力を説明できない。
"魔力"じゃないな。​全てを受け入れ解放し与え、囚われず、委ね、愛し、赦す力。赦すという気持ち。与える。自由になるという意志。

この曲が一番に好きだ、という人はあまりいないのかもしれない。例えば「何なんw」や「もうええわ」などより普遍的な部分を謳った楽曲の方が目立つし、そちらもものすごく好きだ。聴くだけで力を得られる。

でもやはり自分はこの「帰ろう」が、教えてくれる、"自分自身から誰かを解放する"、いや同時に"何者かに囚われた自分を解放する"、"赦す"。それを「帰ろう」という、抽象的な(しかし確実に言いたい概念は伝わってくる)動きをなぞらえて、こうやって生きれたらいいというものを教えてくれる。そうだ、自分はこの曲を聴き終わったとき「こんな風に生きたい」と思って途方も無い気持ちになったのだ。

この作品がもし、音楽でなく言葉や絵で手渡されたとしたら絶対にこんな風に思想を塗りこんでもらえたとは思えない。(塗りこむ、は肯定的な意味で使用している)私は音楽が作れないので余計にその力を思うのかもしれない、が、旋律や、声色、リズムに跳ね返る言い様のない健全なまぶしさ。もちろん幸せだけを謳った曲では決してない。憎しみを知ってこそこの曲がある。この音の清流にさらさらと浮き流れゆく柔らかい言葉たち。絶対にこれは音楽で聴かなきゃ、耳で受け取らなきゃいけないものだと分かるしこの形で体験することができて本当によかった。いやこの人が音楽をやっている時代に自分も生きてこの曲を今、聴けてよかった。

これから生きていくのに、どれだけ濁流に呑まれようと、この曲がきっと少し先の曲がり角に小さく暖かく灯っていてくれる。
「ああ 今日からどう生きてこう」。


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