素敵な人はたくさんいる

ある国の旅の達人とお会いすることになり、お茶をしながらお話を伺った。メモを取りながら、まるでインタビューか雑誌編集の打ち合わせのような場になった。初対面にも関わらずとても穏やかで楽しい場になった。

「一緒にいて楽しい」とか「話しやすい」という印象が残ったとき、一旦自分の立ち居振る舞いを振り返った方がよいと思うようになった。単純にうまが合って話が弾んだ場合もあるが、居心地がいいようにそれだけ相手が気を遣ってくれているとも考えられるからだ。
今回はどうだったか振り返る。相手の感想は正直わからない。私は初対面の方ともわりとすんなり話せるのだが、共通の関心事があると余計話しやすい。楽しくなると話が止まらなくて『誰か私をくいとめて』状態になる場合もある。
接客業が長いこともあり、今回先方も接客業だったので、お互いに、老若男女誰とでも話せるモードが発動した可能性もある。

その方の知識の広さと深さ、データの蓄積、集中力、行動力にびっくりして、わかりやすく教えてくれるのでとても勉強になった。自身の経験による生きた情報を惜しみなく伝えてくれるので、なんと親切な方だろうと思った。今度おすすめ情報をまとめたマップを作ってきてくれるそうなのだ。

一人の人が持つ、興味関心があることに対する情報量、引き出しの多さ、さらにその人が出会った人々とのエピソード。
同じ人がいないように、まったく同じルートで人生を歩んで今に至っている人もいないわけで、いろんな人の話を聴く、教えてもらえることはありがたい。

また一人素敵な人が実はすぐ近くにいて、出会えてよかった。物腰や佇まいが落ち着いていて上品で美しく、一人旅と映画とお酒を愛する方で、ギャップもありそうで、同性からみても魅力的だった。
なぜかせんべろの話に脱線したことから、同じ立ち飲み屋に行っていたことが分かり、今度一緒に行くのもいいねとなった。
不思議と近年縁がある方は、お酒の席で出会った訳ではないのに酒豪が多い。思い立ったら一人でも行動するタイプなので、はっきりとした約束をしない、できない、したくない(笑)のも暗黙の了解であろう。 

そして今回この方を紹介してくれた友人からは、私より少し目上の方だったのでつい会話や文章が敬語だったのだが、「かたくるしいのはやめてタメ口にしませんか?」とストレートなメッセージをもらった。
「そやね」とここは照れずに一気に変えてみた。より気が楽に自然体になったかもしれない。

私は根が体育会系なのと、日々いろんな方と会うので、適度な距離感をあえて保ち、相手への敬意や尊重が疎かにならないように気をつけようとしている。根は人見知りで物静かでときに暗い。そんなの信じられないとと一度は笑われるのだが、人は多面的なのだよ。

敬語はやめにしようと、言いにくかったかもしれないが、あえて言葉にしてもらえてよかった。ひょんなことからお互いの年齢を正確に知ってしまったからだ。
もう数字としての年齢差は関係ないとは思っているけど、垣根を取っ払ってもらえるとありがたい。
思い返せば、利害関係なく先方はフランクに接してくれているのに、タイミングを逃してこちらのみ何年も敬語を使い続けている人は何人かいる。もはやそういうプレイなのかもしれない。(笑)
なので大人になってからの出会いで、いつの間にか敬語からタメ口になれて、ふざけた自分も出せることは私にとってはありがたい。

思っていることをストレートに伝えてもらって、初々しく清々しいなと思った。素直が一番だと最近しみじみ思う。
大人になって趣味の合う仲間ができることはうれしい。
風通しのよい関係性はさわやかである。
そして既に各地に素敵な人はたくさんいる。その事実だけでも随分と励みになる。