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【内省の記録】人に近づきすぎないようにするにはどうしたらいいんだろう?
私には親友がいない、とよくnoteには書いている。
理由は、距離が近くなると、必ずその人との友情が終わってしまう呪いにかかっているからだ。
おそらく近づきすぎて相手との境界線があいまいになってしまい、相手に対する要求が上がってしまっていたり、近すぎて逆に自分の気持ちを伝えられず不満がたまり、気持ちの制御が効かなくなって爆発する、など色々原因はあると思う。
だったら、人に近づきすぎないようにするべきなのか。
私の場合、ほとんど会えないけどメッセージのやり取りや電話をたまにするくらいの方が関係が続いている。
だけど、仲がいい人と距離が近くなるのは当然であって、相手が好意を示してくれているのに「私は親友を持たない主義なのでこれ以上はあなたに近づけません」なんてさみしすぎる。
仲が良いほど相手のことを知りたくなるし、相手のことを支えたくなる。
相手の人生の喜びは自分の喜びになるし、相手が悲しいのであればできるだけその悲しみを取り除いて、一緒に笑いたい。
そう思うのはおかしなことだろうか。
また、心理的な距離を空けようとすればするほど、相手にもまた微妙な思いをさせてしまう。
「私はあの子を知りたいと思っているのに、どうにも心を開いてくれない。」
そんな風に思わせているうちに、二人の距離はどんどん遠ざかってしまうような気がする。
「距離が近い」の感覚が異なっている場合がある。
相手の悲しみに寄り添いたかったけど、相手はほっといてほしい場合などだ。
そういう微妙な価値観の違いというのは対処が難しい。
こちらは100%善意だからだ。
私に必要な力は、「ある程度放っておく」ということができるようになるということかもしれない。
どれだけ仲が良くても、所詮は他人。
例えば相手が人生の絶望の淵に立って、自らの命を絶ってしまおうとしているとか、そういう危機的状況を除いて、こちらは何もしない。
ある意味ドライになるということだ。
だけど、それが一番、相手との不要な衝突を避けられるような気がする。
相手を心配する気持ちを持つことが間違いだとは思いたくない。
ただ、私は少し相手に期待しすぎている。
相手に幸せでいてほしいという期待や、その気持ちを分かってほしいという期待。
そんな、相手に対する期待をすべて捨てることが、ある意味「近づきすぎない」につながるような気がする。
結局、いつも同じ結論になるのだが、最終的には私は私の人生に注力していればいいのだ。
相手の人生については、テレビの中のドラマを見つめているように、手の届かないものとして見る。
でも、アドバイザーとして、彼らの人生のドラマをよりよくするために私のアドバイスがいるのなら喜んで提供する。
ドラマの制作がうまくいかないときは話を聞く。
そして、彼らのドラマが大成功をおさめたら、一緒に喜ぶ。
それくらいの気持ちでいいんじゃないか。
そして、私自身の人生のドラマの成功を喜んでくれる人がいる限り、私は自分自身の人生を諦めないように生きていきたい。
そのためには、他人に近づくのではなく、まず自分自身に一番近づき、寄り添うべきだ。
自分自身に対して近づきすぎ、なんてことはありえないのだから。