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【内省の記録】対等な立場になるにはどうすればよいか

相手のいいところだけを見るべし?

昔、人間関係に悩んでいた時、「相手のいいところだけを見るとよい」とアドバイスをもらった。
全くその通りだと思う。

だけどそれは、相手と自分が対等な関係に立てていて、相手もこちらを対等な目でみてくれているときしか効果を発揮しない。

完璧な人間などいないので、お互いに不満を抱いたりすることは普通だが、対等だと感じていれば自然と相手のいいところだけをくみ取って、不満なところは流すことができる。


対等な立場でないとそんなことできない

私は過去、露骨に「下に見られている」と感じたこともあれば、相手にそんなつもりは一切ないのだろうが、なんとなく相手の方が生物として上だと思われていそうな感覚を抱いたこともある。

そんなとき、相手のいいところだけを見る、なんて私にはできなかった。
私は下に見られて悔しいし、それを見逃していたらもっと都合のいい存在になってしまう。

じゃあ最初のアドバイスをいかにすれば、最大限生かすことができるのか。

対等な人間関係をいつでも結べるように、自分が成長するしかない。


敵意がないことを示す間違った方法

敵意がないことを示すため、私はいつもへらへらとしてしまう。

「下に見られている」などと書いたが、実際は自分自身が引き起こしている部分もある。
「私ポンコツだからさ笑」と自ら発言して、自分を下げて保険をかけ、相手に気持ちよくなってもらおうとしている。

こんな風に文字に書いてみて思ったのだが、すごく間違った方法だったと思う。


間違っている理由1つめ

私が自ら自分を下げるような発言をすると、いい人は困ってしまう。
そんなことないよ、というしかない。
私は相手に気持ちよくなってもらおうとしているのに、実際は困っているし、言葉の選択の自由を結果的に奪っている。

間違っている理由2つめ

数としてはそれほど多くはないが、「下に見ているな」とこちらが感じるほどに態度に出す人に自ら「どうぞ私を下に見てください」と言ってしまうのはあまりにリスクが高すぎる。
上司や後輩など、そういった立場はあれど、人間としてはみな平等なはずだ。


意識したいこと

まずは自分という人間を認識することが必要だ。

自分にも意見はあり、意思もある。
時々誤っていることもあるが、だからといって他の人間より下ということではない。
自ら自分を下げるようなことをしても意味がない。

そしてそれはこの世で生きている人全員に当てはまることであることも意識したい。


そして、他人を穿った目で見るのもやめるべきだ。

「どうせ下に見ているんだろう」と思った時点で自己卑下がはじまり、不機嫌になってさらに自らの価値を下げることになりかねない。

相手のことをシンプルにとらえることで、こちらの気持ちが乱されることもなくなる。


そして、一番大切なのは、

自分が相手を下に見たりしていないかを意識して日々生活することだ。

他人は自分の鏡であり、自分もまた誰かにとっての鏡だ。

周りを変えたいならまず自分から、というように、自分から行動を起こさないと環境は変わらない。

他人を下に見ず、自分も誰の下でもないと堂々として日々を過ごす。
相手をシンプルにとらえる。


こんな風に意識しながら日々を生きて、最終的には、私の周りでは誰もが平等に扱われていると感じられるように、自分自身が良い鏡となれるようにしていきたい。

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