淫らに、咲き乱れる
〜2月8日 12:30
はじめに:咲き乱れるという美徳
静寂に包まれた夜、薄闇の中でふと鏡を見たとき、自分の中に何かがくすぶっているのを感じたことはありませんか? 誰にも見せることなく、触れることもなく、心の奥底にしまい込んだ「本当の私」。あなたが知らない顔、でも確かにそこにいるもう一人の自分。
私たちは日々、社会のルールや他人の視線を気にして生きています。品行方正であるべきだ、常識的であるべきだ、誰かに迷惑をかけてはいけない――そんな「べき論」が、私たちを鎖のように縛り付ける。そして気づかぬうちに、自分の本当の感情や欲望を心の奥深くに押し殺してしまう。
でも、本当にそれでいいのでしょうか?
「咲き乱れる」という言葉には、どこか不道徳な響きがあります。それは、ルールを無視し、誰の許可も得ず、自分のままに花開く姿を指しているから。けれど私は、この言葉にこそ美徳があると信じています。
咲き乱れるとは、自分を解放すること。社会の枠や人の期待を超えて、自分という存在を惜しみなく、力強く表現すること。それがときに「淫ら」と見えるとしても、何が悪いのでしょうか? 禁じられたものの中にこそ、美しさは宿る。私はその事実を、自分自身の人生で何度も痛感してきました。
自分を縛る「普通」という鎖
私が「普通」を疑い始めたのは、ある一つの出来事がきっかけでした。20代後半、安定した仕事、穏やかな恋人、誰もが羨む「普通の生活」を手にしていた私。その頃の私は、自分の人生に満足していると思い込んでいました。けれど、夜になるとふと感じる虚しさ――それだけは、どうしても拭えませんでした。
ある日、友人から一冊の本を借りました。人間の本能や欲望に正直に向き合うことで、人生が豊かになるという内容の本でした。その本を読むうちに、あるフレーズが心に突き刺さりました。
「あなたの中にはまだ花開いていない自分がいる。それを見つけるには、他人の目を気にするのをやめることだ。」
その瞬間、頭を殴られたような衝撃を受けました。そうだ、私はこれまでずっと、他人にどう思われるかばかりを気にして生きてきた。親や友人、職場の同僚に「認められること」が全てだと思い込んでいた。その結果、私の中には、まだ咲くべき花が眠ったままになっていたのです。
禁断の夜に感じた解放
その後、私はある選択をしました。それは、自分の中の「禁じられた欲望」に向き合うこと。最初は怖かった。他人に笑われるんじゃないか、軽蔑されるんじゃないか、そんな恐れがつきまといました。けれど、一度その扉を開けると、想像以上の解放感が待っていました。
ある夜、一人で小さなバーに足を運んだときのこと。薄暗い空間に漂うジャズ、グラスの中で揺れる赤いワイン。そこにいたのは、誰にも邪魔されない「私だけの世界」でした。初めて自分の中の孤独や欲望を、否定することなく受け入れた瞬間でした。
「私は、こんな自分でもいいんだ。」
その夜、初めて私の中に眠る「本当の私」が顔を覗かせました。それは怖いくらいに正直で、どこまでも自由な存在でした。人に隠しておきたいほど淫らで、しかし同時に、それまでのどんな自分よりも美しいと感じたのです。
咲き乱れるという可能性
あなたの中にも、まだ咲き乱れていない「花」があります。それは、社会のルールや他人の期待によって、まだ顔を出せずにいるかもしれません。でも、それを見つけ、解放する瞬間は、人生にとって忘れられないものとなるでしょう。
この教科書を通じて、私はあなたに「咲き乱れる」という生き方を提案します。誰にも束縛されることなく、ただ自分の心に正直に――それが淫らだとしても、何がいけないのでしょう?あなたが本当に望むものに向き合うとき、あなたは初めて「美しい」と感じるはずです。
さあ、あなたも解放の扉を開いてみませんか?
次章では、あなたの中に眠る「抑圧」と「欲望」を掘り起こすためのヒントをお話しします。あなたの中にある隠された感情を見つけ、どう向き合えばいいのか――その具体的な方法とともに、禁断の物語を紐解いていきます。
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1月9日 12:30 〜 2月8日 12:30
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