創作で迷子にならないための呪文【ボカロDTMの創作論】
妥協はしても迎合はしない
音楽に限らず、何かしらの作品をつくっていると、
制作物の内容を、自分の思惑とは異なるものに変えようとする圧力に出会うことってよくある思います。
で、それがつらいなと感じることがあれば、
上のタイトルに書いた
「妥協はしても迎合はしない」
という言葉は、何かの役に立つかもしれません。
私はライターやっていたころに、編集者やディレクターとやりとりの間で不満がたまるたびに、何度もこの言葉を思い浮かべてやりすごしてきました。
妥協のヒント
考えてみると、ポップミュージックって妥協の産物ですよね。クラシックなどの芸術とは違うので。
つまり、妥協は当たり前。
アマチュアのDTMerにしても、
何かしらの様式に従って曲を作っているのでしょうし、
「こうした方が再生回数が伸びる」「構成はこうすべし」などというセオリー、メソッドはそこら中に転がっています。
とはいえ、何でもかんでも100%言いなりっていうのも、なんか違和感があるというか、
やっぱり、自分はこういう曲を作りたい、という主張はどこかにあるはずです。
そういうときに、ある程度の妥協はブラッシュアップのために必要、迎合さえしなければ問題はない、という考え方は役に立つかもしれません。
じゃあ、迎合って何なのか。
妥協と迎合のちがい
曲を作っていると、どうしても再生回数はほしくなります。そもそも聴いてもらえないと好きにも嫌いにもなってもらえないので、
聴いてもらうための工夫、はたくさん必要でしょう。特に制作がうまくいっていないときなどにはなおさら、いろいろな方法を試してみたくなります。
でも、
やりすぎると本と末が転倒してしまいます。
やりすぎって、たとえば、
あらかじめユーザーに受ける題材をリサーチしてそこからコンテンツを考えていく、ようなことです。
まあ音楽を、単純に再生回数増やして稼ぐための道具として作っているのなら、問題はないでしょうが、
少なくとも、作っている音楽そのものに何かしらの理想があるのであれば、話は変わってくると思います。
再生回数は目的でなく手段ですよね、曲を好きになってもらうための。
そこをはっきりさせておかないと、必要なものを見失ったりすると思うんです。
「そもそも何のために音楽やってるんだっけ」などと。
なので、妥協はしても迎合はしない、という考えは、クリエーターとして迷子にならないための有効な呪文なのだと、思っています。
ダラダラ書きましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
これからも、役立ちそうな呪文を見つけたらここに書いてみたいと思います。