
フィルム写真。日常。
ある窓、ある角度から数分間だけ直射日光がテーブルに射し込む。
その光が当たっているところに、偶然、たまたまこれが置いてあった。見た瞬間に、写真になった時の絵が浮かんで、急いでフィルムカメラを持ってきて、撮った。
室蘭旅のフィルムがラスト2枚残っていたからちょうどそこへ滑り込んだ。
私は前から何度もここで書いているのだけれど、
フィルム写真は自分だけで完結しているものではなくて、最後は自分では無い別な人間が関わる。機械と現像する人が最後に完成させている。
「撮影者と現像する人の仕上がりイメージがシンクロするのが理想的」
店長の言葉。
この2枚の写真は、シンクロしたんじゃないか、と思う。というか、
私の仕上がりイメージを超えてた。きっと明暗をよりはっきりさせて仕上げたのではないかと思う。わからないけれど。


この感覚と感覚の絵合わせみたいなことが楽しくて撮っている気がする。
カメラ、レンズ、フィルムとの相性。
そして、最後に現像、仕上げをする人の好みや、癖、イメージなどのさじ加減。
これらの化学反応を、撮る瞬間に予想してシャッターを切ってみる。過去、あの時あの感じはああ撮ってああなったな。じゃあ今回はこうかな。
それを1人、頭の中でイメージしている時間が楽しくて、フィルムカメラをやっている。
そんな私にとって、
シャッターはクイズを解く瞬間、
プリントした写真は答え合わせ。
解答用紙を提出して、添削されて返ってくるのを待っている。
この時間。
答え合わせを待つ日々がなかなかに愛おしかったりする。
技術のことがよくわからず、ただ感覚に頼り切るダメさを、正解を出しきれないことを楽しみたい。前も書いたけれど、この子は高校生の時に使っていたカメラだから、あの頃の自分の続き。いいカメラでもいいレンズでもないけれど、悪いカメラでも悪いレンズでもないこの子と、どこまでいけるか、どんな風に撮れるかを楽しんでみたい。

カメラはPENTAX MZ-50
レンズはTOKINA AF 28-80mm
フィルムはフジカラーsuperia premium400
現像は札幌菊水写真現像所。