心のふるさと②犬と散歩
①との間に、帯広へ行ったことなども書いたので、すっかりこの記事の続きが遠くへいってしまってました。。。ちゃんと頭の中にはありました、書きたい気持ち。帯広のことの鮮度を落としたくなかったのでそっちを先に書きました。
今回の「ばあちゃんちでの出来事」も忘れられない瞬間がたくさんあった面白い日々だったので、また写真と共に書いていきたいと思います。
①ではJR、特急北斗の車窓からの写真。
9月の終わり。母、私、息子(楓)の3人JR旅、函館のちょぴっと上の方、
ばあちゃんちへ3泊4日。
②では、老犬(オス・猛犬)が一人(一匹)加わります。「いつものメンバー」。この4人でのお散歩がしたくて、それが楽しみで行くのです。そのお散歩がしたいから、母は私たちを誘ったのでしょう。
撮影は全てiPhoneです。
ばあちゃんが住む町に到着。特急を降りてから乗り換え待ちがあったり、買い物したり、なんだかんだで札幌から5時間くらいかな。楽しい時間だった。天気も良かったし、気温もあったかくて、全員ご機嫌だし。
お迎えに来てくれた車に乗って、お家に到着。16時頃。
ふう、着いた着いた。
子供用の衣装ケースをそのまま持ってきたみたいな重たいスーツケースを置く。子連れ旅行の洋服問題、難しい。暑いとか寒いとか、寝る時の寝巻きの厚地、薄地、室温。汗をかいたとき、汚れた時の取り替え分などなど、心配性だからどうしても多くなる。だから容量的に、自分の服はびっくりする程削減。結果いつも足りない現象が起きる。でも今回は洗濯もさせてもらえるし、大丈夫。
入ると楓は真っ先にサンルームへ。全面ガラスの網戸つきだから、日差しも風も気持ちがいい。そこに小さなソファが置いてあって、ごろんもできる。洗濯物の下で。私もお気に入りのゾーン。そしてそこからは、
外にいる犬が見える。
外で飼われている柴犬。色々あって、色々、色々あって、どうしようもなく外で暮らしている。。。(いろんなご意見あるかと思いますが、優しく温かい気持ちでお読み下さい…)
名前は「ぽち」。ということにする。ぽち、オス14歳。年で目もあんまり見えてなくて、耳も遠くなっているらしい。見た目は無の、仏のようなおとなしさ。(いいのか悪いのか)バイクが通りかかろうが、どんな犬が通り過ぎようが、ほとんど吠えることがない、「ワン」と吠えているのを、見たことも聞いたこともない。
誰かに尻尾を振って喜びを表現しているのも。何を考えているのかわからないくらい、昔からスンとしている。
私がよく行く柴犬がいる紅茶屋さんのご主人は柴犬のプロだけれど「柴はねぇほんと変わってる子いるからねぇぇぇ笑」って言ってたことに、ものすごく共感したのは、ぽちでなんとなくわかっていたから。
小さな町の、静かな住宅地に、響き渡る大きな声で「おーい!ぽちー!」と呼ぶ。とにかくこの子は声が大きい。
ぽち、きたよー!後でお散歩いくよー!!また4人で行こうね!と私も話しかける。聞こえてなくてもいいし、見えてなくてもいい。ただぼんやり、誰か、いつもいない人が今来ていて、やたらとかまってくる、やたらとおかしをくれるあの子が、あの時の人たちかなって、なんとなく思い出してくれたらいいなぁと思って、何かは伝わっているんじゃないかなと思って、とりあえず勝手に、いっぱい話しかける。かまいたい。
「おやつ、あげていい?!」
ばあちゃんに許可を取ってから横にあるケースの中に入っている、骨の形の小さいクッキーを半分にぽきっとおって、網戸をあけて、ぎりぎりまで近寄り、ぽいっと投げる。下に落ちるとびっくりして噛み付くかもしれないから、落ちないようにね!手を近くに出しすぎないように!と毎回、毎回、ばあちゃんから釘をさされる。
ポチは猛犬。犬小屋の近くには、猛犬がいます!のステッカーが貼ってある。
本当に猛犬なのか、正直私はわからない。猛犬の姿も、瞬間も、見たことがない。数年前までは猛犬だったことは間違いはない。でも現在の姿を、目を見ると、本当にあらゆる人を噛みまくったとは思えなくて。
勿論、ここには住んでないし、飼ってないから見たことがなくて当たり前なんだけれど。
家族、親戚、子供、通りすがりの人。あらゆる存在に噛み付いた。何度も何度も。とにかく悲しい話ばかり聞いた。遠くに住む私にはどうにも出来ず、どうにもならず、その恐怖や悲しみに寄り添うことすら大して出来ないまま、結果、時が流れて今の状態になって。
ここ数年は噛んだ噛まれたの話は聞いていない。
猛犬真っ盛りな時でも、唯一、噛まれなかったのは、母と、私。滞在すると必ず朝と、夕方のお散歩に出かけた。なぜ噛まれないのかはわからない。特に母は私以上にお散歩に連れて行っているけれど、危なかった瞬間もないらしい。
不思議。そして楓が2歳の時に初めて対面させて、そこからお散歩を4人でするようになったけれど、今のところ楓も大丈夫。横にいても、前を歩いても。なぜか。不思議。
私が産まれた頃に、ばあちゃんが飼っていた白い雑種犬がいた。20年以上前に亡くなったじいちゃんが大の動物好きで、母が子供の時からハムスター、鳥、猫、犬、様々飼っていたようだ。昭和や平成初期なんかは大概犬は外で飼われていて、私はばあちゃんちにくると、ちょこちょこ外へ行ってはその白い犬を隣に呼んで、撫でながら話しかけていた。黙ってじっと隣でお座りして聞いてくれるのが嬉しかった。言葉は通じてはいないけど、たくさん話を聞いてもらった。当時小学生だからきっと学校とか、友達の話とかしてたのかな。
だから今も、話しかける。
きっとこちらの「好きだよ」って気持ちは伝わるはずだと思って。
今回はJRで来たんだよとか、もう夕方だねとか、お散歩の時、列車また見に行こうねとか、きっと聞こえてないけど、話しかける。撫でたい。自分で手を出して噛まれるのはもう仕方がない。でもそうなると、絶対に叔父、叔母さん、ばあちゃんはぽちを叱り、私に何度も謝り、悲しみしか生まれないことがわかっているから、飼い主の忠告は守るべきだし、従うべきで。だから、撫でられない分、話かける。私たちにはそれしか出来ない。
でもなんとなく私たちは感じている。
多分、気が合う。犬と人間にも相性があると思う。普段表には出さないけれど、ぽちはお散歩をしている時、口角が上がっている気がする。お散歩の写真を見ると、いい笑顔をしているから。ちゃんと心がある顔をしているから。
夕方のお散歩の前。暑さが少しやわらいだ頃。
母と楓は敷地の端で育っているラベンダーを刈り取っていた。
もうだいぶ、落ちてきている夕陽がちょうど反射して二人に差しかかってた。網戸越しから撮りたいと思った。自分が見たままを撮りたい。なんとなく反射する網戸の細かい目も、その質感も、全部ひっくるめて美しいなぁと思った。
いつかこの子は、こんな風に、母と並んではくれなくなる、かもしれない。それどころか、私と母と3人でJRなんて乗ってくれないかもしれない。もし乗ってここまで来たとしても、ラベンダーを摘むことよりも、ゲームをずっとやっているかもしれない。
もし、ばあちゃんが居なくなったら、ここでこんな風に、夕方にサンルームに寝転んで外を眺めることなんてできなくなるだろうな。
ばあちゃんがいるから、ここへ来られるのであって、滞在できるのであって。居なければここは叔父、叔母の家になる。そして私は叔父からしたら姪っ子なのであって、この家に滞在する優先順位は一番下だ。自分の娘や孫たちが優先だ。彼女たちからしたら、ここが実家なのだから。勿論、叔父も叔母も、私がここへ来ることは歓迎はしてはくれる、優しい人たちだ。でもやっぱり気を遣う。ばあちゃんが居る今も気を遣うのだから。母はどうするのだろう。ここは母にとっては実家でもある。元々この家があった場所は、母の実家で、じいちゃんが亡くなった後、それを二世帯に立て替えた。
また来年とか、今度、とか、もうそれはやってこないかもしれない。間違いなくいつか必ず終わる。。
人の生活の、土や草木の匂いのする、近くにはコンビニもない、日常しかない場所で、静けさの中、綺麗な夕暮れや星空、朝焼けを見ることができるこの場所は、小さい頃から大好きで、大切だけれど、
いつでも来れる場所ではなくなる。
終わりが来てしまった後、近所の土地でも買ってプレハブでもいいから建てたい。テントでもいい。なんて。
今日のこの時間が間違いなく宝物で、絶対忘れたくない瞬間であることだけは
確かで。だからどの写真よりも、「ラベンダーを摘む二人」が一番好きだ。
陽が完全に落ちてしまう前に、そろそろ行こうか。
前回の滞在時に一度だけリードを楓が持ってみた。危ないんじゃないかなぁ、でも大丈夫そうかな、という気持ちと、少し葛藤しながら少しだけ持たせてみた。
引っ張られて転んだりもせず、猛犬モードにもなってなかった。楓はリードを絶対に誰にも渡さないぞとばかりに、私の補助の手も振り払ってくる程、嬉しかったみたいで。
今回も僕がリード持つんだ!とても楽しみにしていたこともあって、また持たせた。前よりも体も少し大きくなっているし、早く走れるようにもなったから、やりやすくなったかな。
散歩の時も、はしゃぐことなく落ち着いて歩くぽちだけど、今回は走る足が弾んでいた。おお。おじいちゃんでも跳ね上がって走るのか!こんなぽち、初めてみたな!なんかこっちも嬉しいよ。
ぽちは時々振り向いて、ちゃんと楓にペースを合わせてくれている。
決して引っ張ったり、無理に動いたりしない。気のせいかもしれないけど、
そういう様子からも楓への優しさを感じる。
お気に入りの場所へ。4人でいつもここへ来る。ぽちも列車を見るのが好きらしい、昔から。気が合ってよかったよ。
ここで列車を見るのが定番だけれど、来て驚いた。
ほとんど草が生えていないほど綺麗な空き地だったのが、すすきや名前がわからない草や花だらけになっていた。
でもそれと同時に、そのたくさん揺れるすすきが夕陽に照らされて、すごくきれいで、それにも驚いた。
この場所が手入れされていないことへの心配や不安、夕陽が綺麗だという感動、列車が迫っている踏切の音、4人が生き生きとしている感じ、色々な感情が渋滞して
なんだかふわふわしてしまった。
今日の夕陽はギフトだね、参りました。
こちら側も見逃せない良い瞬間があって撮るのが忙しい。
そもそも、こんな風に近寄ることすら危ないと前は注意されていたんだけれど、私も母も多分今のぽちは大丈夫でしょうと、地雷を踏むような状況でもないし、空気的に信頼できる。(そう思っても本人がNGなことが多いから危険なのだが)
「手であげてごらん、こうやって」と私も1つぽちに食べさせて教える。
できた。
またカンカン鳴ってる。
おお!北斗きた!ここは貨物も特急も普通も快速も通る。
北斗のシルバーの車体も夕陽色。
それにしても、本当にいい瞬間だった。もうこれが見れたなら、この後は何もいらないよ。
まさかこんな景色になっているとは。感情が全部混じってなんて言ったらいいかわからない。ただただこの偶然の美しさと、目の前のこの3人が好きで、感動して胸がいっぱいになってしまった。
この後少し周辺を遠回りして帰宅。ただいま。さあお水飲んでね、ご飯も食べなよ。楽しかったね、また明日の朝、行くよ。
そんな感じのことを声かけた。楽しかったね。君のいい写真も、撮れたよ。最高。
ああ、今日はこれはいい星空が見えそうだ。
この日は(まだ出発していない)叔母さんが作ってくれていたご飯で満腹になり、疲れて溶けそうな楓を高速でお風呂に入れて、寝かしつけると同時に私も即寝した、20時。
そしてそうやって早く寝すぎてしまった夜は決まって、夜中の1時頃に目がカーンと覚めてしまう。よく寝たなーと思って時計を見たらまだ1時だった時の衝撃。その衝撃波でさらにピカーンと目が覚めて、眠れない。あるある。その後、頑張って寝たけれど。。。
すぐ側に立っていた街灯が、やたらと眩しくて、思っていたほど星は見えなかったのが残念。まあいいでしょう!
おはようございます、2日目。
翌朝。6時にリビング集合。さあ朝の散歩へ。昨日とは違う方へ行ってみようか。冒険だ。
今日もぽちは時々後ろを振り向いて、楓のことを見ながら歩いていた。
いいね。
だいぶ太陽が上がってきた。
こんな風に、住宅や畑しかないようなところをのんびり手ぶらで散歩ができるのは
やっぱり家がそこにあって、そこに泊まれるからであって、本当にありがたい。
私はこの町で生まれたわけではない。住んだとこもない。(出産直後に数ヶ月いただけ)でも小さい頃から何度も何度もここへきて過ごした。春休み、夏休み、冬休み。大人になっても。一人でも。家族でも。
この町は生まれ故郷とは言えないけれど、心の故郷。心のふるさと。
もうすぐであんまり来れなくなるかも知れないからこそ、気がついたこと。
時間は何もしなくても何かあっても、過ぎては重なっていく。
それにしても本当に気持ちがよかった。早朝ってなんでこんなにいいんだろう。
朝の匂い。静けさ。新しさ。
この町にくると一旦気持ちがゼロになって、瞬間的に100になる気がする。蛇口から出る水道水もとてもおいしくて、飲むと体が蘇る気もするし、風の匂いも透き通っている。
いい風が吹くってことは、良き土があって、良き水がある。
イコール心と体に良き。
ただいま。
帰ってきて、新鮮なお水をぽちのお皿にあげようとしている。ばあちゃんがやり方を教えている。この二人の後ろ姿、しっかり撮っておかなくては。
朝の散歩が終わったら、朝食を食べて、洗濯をさせてもらった。
全日程ノープラン。ばあちゃんに会えれば、ということと、とにかくどこにも行かなくてもいいから、周辺を散歩できたらもうそれだけで十分だと思っていたから。
でも母のリクエストで道の駅に、ばあちゃんも含め4人で行くことに。
続きます。
ちなみに・・・
今年の3月に来た時はこうだったから、全く何も生えてなかったから、
本当にびっくりした。