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もう与えられないと思った日のこと。
踏んだり蹴ったり。
39歳でもガチ泣きです。年に2回くらい、あります。
頭の中のことを、書き出した。
母親は「与える」側になることだと、何かで読んだ。確かにそうかもしれないと思った時から、与えるのってなかなか辛くて、私は苦手だなと思ってはいた。常に与え続ける。日々、与えろ、与えてくれ、与えたまえと、1秒ごとに言われている感覚。よくインプット、アウトプットという表現を見聞きするけれど、これで言うなら、いつだって、アウトプットし続けるのが「母」なのかもしれない。例え、空っぽになって、一つも与えられるものがなくなっても。もう何の味も出ない紅茶のティーバック、味のしなくなったガム。きっとそうなってしまったんだろうと思う。楓が割と大変な状況の病気にかかった後、必ず私はこうなる。きっと看病中に全て与えていて、全てを出し切っているんだろう。数週間後、元気になったと確認できると一気にやる気が無くなって、空っぽになる。沸点が低くなる。与えられるものは何もない。負の感情ばかりがわきあがる。家族に悪影響。
だからまず一人で、このもう何も出てこない心と体を、日常から抜け出させなくては、と数日必死で耐え、夫に、日曜日は一人でどこかへ行かせて欲しいとお願いして、どこかで何かして、何かをインプット、取り込もうと思っていた。ご機嫌を直してこようと思っていた。
けど、結局それはできなかった。色んな悪いことが重なって、最悪な状況になってしまった。そんな状況では、楽しくるんるん一人でお出かけなんてできない。
夫もその色々にやられて落ち込んでいる。なら、、もうしょうがないから、、みんなでびっくりドンキーでも行って大忘年会でもしようか!と私は言った。1人になれないなら、やってはないけないようなことをやって、やったぞと、思い切れば同じかもしれないと思った。
けれど、結局それも、その後色々話すうちにまた色々上手く行かなくて、
断念した。
色んな言葉、色んな意見、色んな感情が家族間でドロドロしだした。
もうダメなところへ落っこちた。自分でもわかった。
思考回路が停止して何も決断できなくなった。
時刻は14時少し前。お昼は食べていなかった、みんな空腹だった。
夫は優しいので私のことを優先にしてくれるからこそ、たくさん聞いてくる。ご飯どうしたい?コンビニ行って買ってくる?何食べる?でもその優しさの全てに答えられなかった。何も決められない。車を降りるのか降りないのかすら。久々に本気で泣いた。ああ、自分またやったなと思った。もう完全に何も与えられないと思った。何も聞かないでくれと思った。
人が怒ったり、悲しんだり、ネガティブな感情を持った時、必ず理由があってそうなるけれど、そこで答えられる理由は多分本当の理由ではないと、最近は思う。
実はそのもう一つ奥に、本当のネガティブになる理由がある。そこにたどり着くことが自分でできたら、きっともう少し、楽に生きられると思うけれど、それにはある程度訓練が必要だと思う。
子育てしていると、たくさんの子供のネガティブに遭遇する。処理しなければならない。どうして悲しいのか、どうして泣くのか、どうして怒っているのか。
そこで自分(親)がその感情の理由がわからなかったり、対応の仕方がわからないと、こちらが混乱して、結果、こちらが怒ったり、誤魔化したりと、向き合わなくなる。
大人側が処理できないから、いつまでも子供も感情の処理ができないまま。それは子が大人になっても続いていく。
例えば、この前。
幼稚園帰りに、お友達と遊びたかったけど、お友達は習い事だから遊べないとわかってすぐにバイバイもせずに怒って走って楓は帰ってしまった。そして本気で私を殴ってきた泣きながら。(よくある)
遊びたかったから、が怒る理由かと思ったけれど、冷静になって少しづつ聞き出していったら、意外な答えが少しづつ見えてきた。
「幼稚園で、遊びたいお友達と遊べなかった。遊びたいおもちゃがあったけど、他の子が遊んでた」「お友達がしつこかった」などなど、幼稚園のことをしんみり話をしてきた。(ああ……と大人なら察しがつく。)
思うようにならない現実、が奥にある理由だった。
目の前の怒りのもう一つ奥に、その怒りの原因がある。悲しみも同じ。
その感情のもう一つ奥に辿り着くまで、考えて、言葉にする。
そうすれば、心って落ち着くのではと思ったのはこのことがあってから。
実際楓は、あの後、怒りは落ち着いたし、私もなんで殴ってくるのかを怒ることもやめた。(もちろん悲しいし注意はするけれど)怒る前に、もう一つ奥の「なぜ」を考えることに集中することにしている、それ以来。
そしてそれは、
大人も同じ。
今日、私が、こうやって泣いているのは、なぜなんだろうと、絶望しながら鍵をかけたトイレで電気もつけずに考えた。本当の理由に全然辿り着けなかった。
お腹を減らして限界の二人を放置して一体どうすればいいかわからないけれど、とりあえず夫は私が失踪したかと思っているかもしれないから、トイレから出て、
まずお昼ご飯をどうするかを話すことにした。コンビニで買ってくるから、何食べたい?なんでもいい?と聞かれたけど、全然答えられないし、何話しても涙が出る。きっとこうして泣くと、また1人で泣いて、悲しいのは私ですとアピってくる、本当に悲しいのは俺だからね、と言われてしまうようなことをやってしまったんだろうな私最悪だな、とか色んなことをティッシュで目を拭きながら隠しながら、おいおい、うーうーと話してた。(否定せずに相槌を打ってくれている)
そして
最後、自分が言っていたのは
「やりたいと思ったことがやりたい」だった。
この二週間くらいずっと楓は体調が悪く、心配や気掛かりが続いた。全く気が付かなかった、むしろうまくやれていると思っていたけど、本当はその間、やりたいことも、やりたかったことも、何もかも削って、諦めてばかりだったんだなと、気がついた。多分小さいこと。気が付かないくらい小さな諦めたち。
生活のために、やりたいことを諦めて、そしてそれが「えらいね」と褒められてしまう。完璧を求めなくて正解。それで自分も良かったのだけれどその日々が蓄積していくと、やりたいことができたというインプットが一つもないままだと、ただひたすら与えて、与えて、与えて。
空っぽになりすぎて、消えた。
一人になりたい。
この悲しみと苦しみの奥にあるその本当は、
「やりたいと思ったことをやれるためには一人にならないと出来ないから1人になりたい」
だったんだ。
……
夫は「じゃあ、ドンキー食べに行く?そんな状態でご飯食べに行っても、無理じゃない?」と言ってたけれど
「やりたいと思ったことがやりたいから行きたいです」とぐちゃぐちゃな顔で言い切って「わかった、行こう」と。
運転は私はもうできそうにないから
夫にしてもらった(運転嫌いだからほぼしない人)。
「食べたいと思ったもの、注文したいと思ったものは値段を気にせず注文しよう、食べよう」と思った。
夫も同じことを言った。夫も悲しくて心折れただろうし、最悪な状況が最悪だろうし、そもそも仕事のストレスもあるだろうし、お腹も空いたしで、日頃から、自分の心を癒すのは肉なんだと笑ってるから思い切り食べて、今のぐちゃった心を立て直したかっただろう。(ほんとごめん)
コーンスープ、ハンバーグディッシュ、パフェを一人で食べた。
ポテトL、いかの箱舟は夫と分け合った。
普段ならディッシュだけで満腹なのに、この全てがあっさりと入って
すぐに消化されていった。
ドンキーについた頃にはすっかりネガティブは消えてた。単純だけれど、本当の奥の奥の理由にたどり着けたからだろう。
結局ネガティブの原因は、本当の理由にたどり着けない苦しさが作っているのかもしれない。今日はダメな日だと思うのも、今日はなんだかモヤモヤするな、も結局、もう一つ奥の本当の理由にたどり着けなくて、言葉にできないままだから、かもしれない。
やっと、久々に、やりたいと思うことがやれた。この実績一つで、何かが全部飛んで消えて行った。泣いたから目はずっと重たかったけど、なんで自分が一人になりたいとずっと思って苦しかったかがわかったし、すっきりした。
家族も家も好きじゃないから一人になりたいと思っているのか、自分はひどい母だなと自分を責めていた日々はきつかった。
解放された。
家族でやったら楽しいかもね、と前から欲しいと思っていたゲームソフトを中古で、買って帰った。そこでも他のおもちゃがほしいだのあれだので、店内で楓大泣きの一悶着あったけれど(さっき違う店で買ったじゃないか)大したことじゃない、というか、このパターン何度もやっているから知ってる。母親の演技力で、チュッパチャプスめっちゃ色んな味あるね!!!!!こっちなら2個買えるね!!!!車で食べれるね!!!!!盛り上げてのせてキラキラ光らせて、採用してもらった。ごめんよ。
(この手のネガティブにはもう何度も同じ理由で向き合っているから不必要と判断)
初めてテレビゲームをやってみた。
ゲームをやらせたら、全てが変わってしまう気がしてずっと遠慮したかったけど、思い切ってやらせてみた。マリオカート。2人がやっているのを見て楽しかった。3人で楽しめていた。悪くなかった。全然。3人でいる時だけ、やることにした。これも、
やりたいと思ってたことがやれたこと。
めちゃくちゃな1日だった。
絶望したけど、最悪な母だったけれど、二人は見捨てずにいてくれた。
思考停止して危なかったけど、なんとか戻ってこれた。
「もっと楽に、手を抜いていいんだよ」
この言葉で子育ては楽になれる。大正解。でもそれは人によっては、時に、
「もっと諦めなさい」
とも言い換えれる気がする。それに気がついてしまった。きっと、楓が成長して少しずつ私もできることが増えてきたから、考え方も、行動も変化しているからだろう。母はいつだって、変化し、進化していく。
私はどちらかというと、やりたいと思うことがやれた喜びの方が大切で、優しくいられる為に必要なものなんだろう。
勿論、ケースバイケースで、適切に判断するけれど。
常に100%でやりがち。50%が定位置に、というのもわかっているし、それを心がけてはいる。(というか、100%でやりがちな人は、50%でやったつもりでも、おそらく標準の85%くらいなんだと思う)
でもその諦めて削った分の50%を溜め込みすぎると結局大爆発する。
100%でやれる喜び、達成感と、50%で加減して許すこと。
このバランスはいつだって難しいけど、なんとかキープしたいけど、
できないんだよな、私。きっと。不器用。100か0か、黒か白か、しかできないタイプ。
でも削った分の50%は、やりたいことをやることで、補修してあげたら大丈夫なんだとわかったから、次は大丈夫だと思う。
思いたい。
そんなんでも、好きでいてくれてありがとう、ごめん。
私はお返しちゃんとできているのだろうか。
自信ないけど。。
相変わらず、
全くいい顔できない。いい母できない。空っぽでも与えられるような母になりたい。本当は。
こんなんでほんと、いつもごめんほんと。
最後はいつも、もう何回も、これ、私は。
ありがとう。
夜遅く。チャイを作った。教わったように、茶葉とスパイスを買った。
あの柴犬がいる紅茶屋さんと同じメーカーの茶葉を買ってみた。
丁寧に作り方通りに火にかけて作る。自分を整えているみたいなこの作業が、その時間が好きで、毎日飲んでいる気がする。勿論味も最高。
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翌朝、雪が少し積もった。
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すっきりとした朝を迎えて、また動き出す。今日から冬休み。
みんな心も体も平和な年末年始になりますように!!
温泉行きたい。