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キラキラした海を目指した後。室蘭③完

これまでのこと。↓

1人、少し遠い街まで列車と路線バスで向かった。
心のふるさとの海が、優しくキラキラしていた。


今回で完結。

現実へ、日常へ、特急すずらんに送ってもらう間の、ひとりごとと、
ぶれながら流れていく夜の窓からの
景色たち。

写真は全てiPhone。


16:30
室蘭駅発札幌駅行き
「特急すずらん8号」

乗車前。後ろに測量山も入った。
行きは785系のすずらんで、帰りは789系。カムイと同じの。かっこいい。帰るのが惜しい。また必ず来る、室蘭。また雪が溶けたら。思っているより早く来る気がする。

乗車。自分以外に1人だけいた。1人だけ。

この先の東室蘭駅からは数人乗ってくるだろうな。静かに静かに出発。
外は暗い。でも黒とか濃紺ではなくて、まだ少し青い。いい具合に光る小さな駅。


御崎駅。


母恋駅、なぜか撮ってなかった…あれ。


・・・
輪西駅。
すごく良い色。フィルムで撮って、印画紙にやかれた店長仕上げの一枚が手元に来た時の絵が、想像できる。
いつか撮ってみたい。


・・・
東室蘭駅。
このピンクの車両。東室蘭駅ではよく見かける。2023年に登場した車両737系電車。


室蘭のメイン駅が東室蘭駅。
私の車両にも数人、乗ってはきたけれど、前後左右、まだ誰も来ていない。
ドアの方で、バイバイとか、気をつけてねとか、そんなようなことを話す声が聞こえる。この線路をずーっと南に向かった先にいるばあちゃんに、なんだか会いたくなったし、懐かしい。

みんなが帰っていく、戻っていく。現実と元の居場所にお連れするためのこの列車。夜になっていく時間帯のせいもあって、切ない。でも悲しいではなくて、あったかい気がする。

東室蘭駅、出発。


続けて、貨物ターミナル。
明るい照明が線路や周辺を照らしている。線路沿いはどうしてこう、切なくさせるんだろう。

旅はまだ終わってはいないけれど、帰りの列車に乗ることができて、天候も良くて、時間通り進んでいるからもうほとんど、心配がない。海も見た。キラキラしてた。目的地にも着けた。燃え尽きたというか、満足しきったというか、達成感を得たというか、
とにかくぼーっと遠くを眺める。だんだん暗くなっていく、色もカタチも少ない景色をただぼーっと黙って眺める。

この色を見た瞬間に、流れてきたのはやっぱり「グレープフルーツ」。前にも書いたと思うけれど、この曲は、自分の中では列車と共にある音で、それはきっと、もう10年以上前、釧路の出張から帰る夜の列車の中で、ずっと繰り返し聞き続けたから。その時も、十数年後の今日の日も、この曲と夜の車窓はワンセットで、お互いに呼び合っている存在。
アコースティックの音。車両の細かな振動、揺れ。
「切なくてあったかい」が、真っ暗になる夜に溶けていく。
これでもかという程、締めつけてくる。


これを見て、切ないと思うのは、もしかしたら、小さい頃からの記憶のせいなのかもしれない。父が運転する車の後ろで、黙って外を見ているのが好きだった。夜に長距離移動をすることも多かった。
その夜の車内からは、当然何も見えない。真っ暗闇。時々見えるのは街灯か、少ない家の明かり。町に出るとコンビニやガソリンスタンドが眩しすぎて目を開けられないほど。海がすぐ側にあっても、見えない。でも道を覚えているから「見えないけれど、そこにあの海がある」というのはわかって眺めていた。あの海は勿論、さっき見てきた噴火湾のことで。

この先に見えるはずの登別や白老の海はきっと見えない。来た時は青くキラキラしていた海は暗闇。


・・・
鷲別駅。


そこに、本当は海がある。もう見えなくなる。
船の明かりがひとつだけ。

繰り返している、自分だけに流れる「グレープフルーツ」。
何も見えなくなる景色に重なるこの声もまた、今は見えない声。
何も言わずに消えた光。
切ないに切ないが重なる。
もう全部切ない。
それは好きでしかない。
訳なんて見当たらない。

・・・
幌別駅。この列車に孫でも乗ったのかな。おばあちゃん、ずっと見ている。
夜の小さな駅。
全部、あったかくて切ない。

・・・
登別駅。誰もいない。少しだけ、乗ってきた。

苫小牧駅に近づくと、だんだん街になっていく。
海はもう離れてしまった。
夜だとどうしても気がつけないものが、見えないものがたくさん。
だから日中に目を凝らして、細部までよく見て焼き付ける。
生活の匂いを感じてほしい。
家の造り、外壁、屋根から築年数を想像してみてほしい。
どれくらいそこに在るのか、少しだけ考えてみてほしい。
メイクなんてしてる場合じゃないんだよ。

頭の中に、特に何も、浮かばない。自分の声は聞こえてこない。
ただただ目を凝らして、外を見る。
窓に反射して映る黒の部分にだけ、見える街の明かりを目で追う。
遠くにある光を見つめる。
愛おしい時間。

・・・
苫小牧駅。
夜の駅が、かなり好きだってことが、よくわかった。

自分の街まで、、もう少し。。。


・・・
南千歳駅。降りる人が多かった。みんな飛行機で、どの街に帰るんだろう。
駅にはほとんど人はいなかった。本来の姿かな。

そしてここまでくると、もう「現実」。戻ってきちゃったな感。
ただ降りる駅に着くのを待つだけ。


・・・
千歳駅。

千歳を過ぎてからは「お母さんモード」になってしまった。
だからなのか、もう写真を撮る気はない。
ずっと読まれていなかったLINEは室蘭を出発する頃やっと読まれた。
晩御飯はピザを取るらしい。
荷物をまとめる。降りる準備。

到着。さよならまたねすずらん。また必ず、乗る。
帰りたくない。寒い。震える。


改札を出て、すぐ近くのKIOSKでお土産を購入。今回の旅ではお土産が売っている場所もお店もひとつもなかったから、買えなかった。室蘭土産では全くないけれど、楓には北海道の列車関係のキーホルダーとクリアファイル、シマエナガの絵のドロップス缶を。あとみんなで食べる用にじゃがポックルを。

地下鉄へ乗り換える前に、まさかの子供服のお買い物。
年一しか買わない服屋さんが近かったし、ピザをもう食べてるっていうし、まだ19時前だし、ちょこっと見ていこうと思ったら、店員さんと気が合ってしまって、
セールでお買い得で、幼稚園用の服にもイケるし、なんかやりたいことやってきて心も脳もすっきりしちゃってるし、

気持ちよく購入。明日から色々控えます。


・・・
戻ってきた。自分の街。室蘭よりやっぱり寒い。決して多くはないけれど、雪道。
室蘭駅前で見た、まだ青が残っていた空にぼんやりといた月と、当たり前の同じ月が、光ってる。


いつもの街灯。一人旅して、夜に帰ってくる時、ただいまの写真を撮ることを
定番化したい。戻ってまいりました。


最後の写真。
いつもの街灯に照らされた私は、2人いた。しかも赤と青。
1つの体なのに影が2つ。
母じゃなかった今日の私と、母の私。
偶然だけど妙に正解で面白い1枚で、旅の最後に撮った写真としてぴったりだと思う。すぐに影はひとつになった。


無事に家に着いて、一緒にピザを頂いた。
寝かしつけてから、体がやっぱり冷え切っていて寒くて、一人お風呂に入って、
ぬくぬくな布団へ入ったら一瞬で寝た。


最高の一人旅。
iPhoneの中には室蘭へ行った証がしっかりとある。
想像でも幻でも勘違いでもなく。
楽しかった。
やっぱり旅はいいな。
次はいつかな。

おわり。





長い長いクドい独り言にお付き合いさせてしまいましたが、
室蘭を旅の滞在地の候補に入れて頂けたらいいなあ、なんて思います。
もっと写真がお上手な方があの街を撮ったら、どれほど良い作品になるかを
想像するだけでわくわくします。ぜひ、写真が好きな方は行ってみてください。
運が、季節が良ければ、海霧に出会えます。昔、一度だけ、夜、街が海霧に包まれた時に滞在していたことがあります。すぐ近くのセコマがぼやーっと霞んでました。忘れられない絵です。何度行っても、興味深い街です。


ここまで読んで頂き、ありがとうございました。




最後に。出てきたもののご紹介。ほとんど何も出てきていないのですが、
この曲を貼り付けておこうと思います。

フォローさせて頂いている方から、「シャッターは愛、ゆえに残酷」という濱田英明さんの記事を教えて頂き、それを読んでから、ずっと刺さっています。とてもいい意味で、です。全く気が付きませんでした、好きなものしか撮っていないということに。いい部分しか切り取ってないということに。

音楽も同じように、残酷だなと思うようになりました。好きだから聞く。好きじゃないから聞かない。写真よりずっと残酷かもしれないです。
人それぞれ、好きの理由は違っていて当たり前。好き嫌いがバラバラで当たり前。
だから私がどんなにここで、好きな曲を貼り付けたところで、きっと聞かれることはないし、それが当たり前だと思うのです。その曲を好きだと思うことはなくて当たり前なのです。
その残酷さを、痛みを、ここで受ける必要はないのに、載せるのです。
どうしてでしょう。

家の小汚いリビングの、散らかったおもちゃを撮ってみることも、
誰にも聞かれないかもしれない音楽も、
間違いなく自分にとっては大切で、輝くものであると信じています。

見ようとする人にだけわかる光。
今は見えない光だけれど、いつかどの人にも見える光になるんだと
信じたいからです。

とても身勝手です。重くなってしまいます。どうしても。
写真と、音楽と、ひとりごと。
これらが常に混ざり合っているのが、私の日常です。

それではまた。

LOST IN TIME 「グレープフルーツ」



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