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台湾で日本語教師になるまで☆

これから、台湾で日本語教師をしていたときのことを書いていこうかなと思います。
だんだん忘れてしまいそうなので、少しずつ書いていって、海外で日本語を教えたい方の参考になればいいなと思います☆
ただ、私が台湾へ行ったのは、もう6年半も前になるので、情報が古いこともあると思いますが、ご了承ください。

今日は、就職先を探してから、渡航までの過程を書きたいと思います♪

私は日本語教師の求人情報をネットで探していました。
「日本語教師の集い」や、「日本村」などのサイトを主に見ていました。
私は台湾で働くことを決めていて、養成講座が終わってすぐに行きたいと思っていました。
なので、ちょこちょこ求人は見つつ、修了予定の3か月ぐらい前から本格的に探し始めました。
台湾では、塾は「補習班」と言います。
高校や大学で働くには、大学での日本語専攻が必要だったりするので、420時間の講座修了の方は、補修班で働くことが多いのではと思います。

その頃ちょうど台湾へ旅行の予定があったので、そのとき求人の出ていた一つの塾へ見学に行きました。
そこは台湾にいくつか教室を出していて、個人の塾としては大手なのかなという感じでした。
その日はオーナーの日本人の方は不在で、台湾人の事務の方にご対応してもらい、いろいろ説明を聞きました。
帰国後、履歴書を送ったところ、ご縁はありませんでしたが、なんとなく自分には合わない気もしたので、そんなに落ち込みませんでした。

その後、別の塾に連絡をして履歴書を送り、Skypeでの面接がありました。先輩教師の方が面接官で、「日本語教師になろうと思ったきっかけ」「なぜ台湾で働きたいか」「どうしてここを選んだか」などの質問があり、それに答えていきました。
逆に、「台湾で働くにあたっての心配事項」などもいろいろ聞いてくれました。
そこで私は、一番気になっていたこと「台湾で日本の炊飯器は使えますか?」との質問をしました。
今思うと、よく採用してくれたなって思います。(^^;
この塾ではSkypeでの面接時には、模擬授業はありませんでした。

それから採用の連絡が来て、日本で取得していかなければならない書類などの準備をしました。
無犯罪証明書を取得するために、県警へ行って指紋をとったりなど、ドキドキした覚えがあります。
それから、就労ビザだったかの申請のために大阪まで行ったのに、書類が足りないと言われてしまい、台湾に行ってから改めて申請したりしました。
同じ時期に関東から来ていた先生は同じ書類で取得できていたので、何が問題だったのかはよくわかりませんでしたが、何とかなりました。
そんなこんなでいろいろ準備しつつ、養成講座の最後の実技実習もこなし、バタバタと出国しました。

台湾へ着いたら、「本当に来てしまった、どうしよう!!!!」という感じでした。
目標だったのですごく楽しみにしていたし、実現できてうれしかったのに、いざ着いたらめちゃビビりました。
入国をして、先輩教師とオーナーが空港まで迎えに来てくれて、アパートまで行きました。
そのアパートは、そこで働く日本人教師がみんな住んでいて、そのとき空いていたいくつかの部屋から選び、即入居しました。
冷蔵庫、ベッド、タンスと机、それからテレビもありました。
シーツはもらえて、生活用品の買い出しに連れてってもらい、その日からそこで生活を開始しました。

旅行ではない初めての台湾、ワクワクとドキドキ、不安と楽しみが入り乱れまくっていました。

次は、給料や生活費のことを書いてみようかと思います。
ご興味のある方は、ぜひのぞいてみてください☆


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