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22世紀の民主主義 成田悠輔(2/4冊)第2章 民主主義との闘争

 21世紀になり西欧諸国の民主主義は行き詰まっているが、中国やロシアの独裁政権のように国民が監視され虐げられているよりもマシな社会であることは間違いない。ではどうすれば民主主義を立て直すことができるのか。それには3つの処方箋がある。闘争・逃走・構想だ。

 民主主義との「闘争」とは何か。
 それは民主主義の仕組みを愚直に見直して改善しようとする試みである。
 まずは西側諸国で起こった「民主主義の失われた20年」を概観してみたい。SNSの出現により各々人の正義論と無責任なヘイトスピーチの拡散が起こり、有権者の意思決定がその流れに巻き込まれてしまうようになった。
 そして政治家は選挙で勝つために、近視的な政策立案ばかりするようになった。
 21世紀になり政治は内向きで閉鎖的に変わった。
 本来、国として進めるべき「未来への投資」や「外国との貿易」という、経済のエンジンが衰えたことが失われた20年の原因である。

 日本の場合、それに加えて、国民と政治家の高齢化問題がある。「シルバー民主主義」が未来への投資を阻害している。

 いつの時代も若者と老人の価値観は異なるものである。そして歴史を塗り替えるのはいつも「若くて無名で貧乏な若者だ。」(毛沢東)
 若者は老害への怒りを胸に革命を起こすが、知らず知らずのうちにやがて自らも老害化してしまう。

「君が25歳で進歩派でないならば心に問題がある。 35歳で保守派でないならば頭に問題がある。」ウィンストン・チャーチル英国首相

「社会は葬式のたびに進歩する。」マックス・プランク独国の物理学者

 しかし、21世紀に入ったあたりから、若者の怒り絶望に、そして脱力になってしまった。日本ではいわゆる葬式がどんどん先伸ばしになり、政治が高齢者に占拠されている。

 知り合いの国会議員から「自民党の青年部の要件が『60歳』以下に変更される」というホラーを聞いたことがある。

 「シルバー民主主義」という日本独特の造語があるが、西側先進各国でも同様の高齢化が予測されている。

 老人自身が老人を優先した政治を望んでいるのかというと、そうでもないという研究もある。
 高齢者でも若者の暮らしやすい未来を望んでいない訳ではない。

 しかし、政治家が老人に忖度した制度設計をしようとする傾向がある。
 高市早苗議員が「こども庁を作るなら高齢者庁も作って欲しい」と真顔で発言したことからも明らかである。
 政治家にとって高齢者に不利になりそうな政策を提言するのはリスクはあってもメリットはない。政治家のビビりこそがシルバー民主主義を底支えしている構図がある。

政治家をいじる
 選挙の票稼ぎのための目先の選挙公約ではなく、政策領域に応じて成果報酬を与えるシステムはどうか。
 「GDPの成長」「経済格差の是正」「失業率の低下」「学力達成度」「幸福度」など、政策の結果が出るまでに数十年かかるような政策に対して、結果が出た時点で、政治家の退任後でも成果報酬年金を出すのである。

 既にシンガポールでは成果報酬制度を部分的に取り入れている。
 政治家の給与の40%まではGDP指標の達成などに応じたボーナスとして支給されている。
 大臣の基本給は国の高所得者トップ1000人の中央値から40%割り引いた額となっており、高所得者の稼ぎが政治家の給料に反映される仕組みだ。
 官僚にも同様の給料の仕組みがあり、官民連動性となっている。
 それと同時に、所得下位20%の成長率の上昇でも政治家に報酬が出される仕組みもあるので、低所得者層に対する政策も出されるようになっている。 
 それらの仕組みがあるため、民間と官庁とクロスした活発な人材交流が起きている。

 シンガポールでは企業統治(コーポレートガバナンス)を国家に持ち込もうという発想(ガバメントガバナンス)があるということだ。

 しかし、シンガポールのこれらの政策にも限界があり、現実的な時間軸での報酬でしか運用できず、本当に長期的なビジョンの実現には対応できていない。さすがに報酬が20年後に出る可能性があると云われても議員にも今の生活があるのだ。

メディアをいじる
 ガバメントガバナンスが機能するには、優れた政治家が選ばれているという前提がある。能力の低い政治家ではガバメントガバナンスを使いこなせない。
 ではどうするか。有権者の選挙行動を正すしかない。

 まず考えられるのはSNSなどでのコミュニケーションの速度規制・拡散速度の抑制である。
 有権者にこれからの社会をゆっくり考える時間を与えるのだ。

 次に考えられるのは、コミュニケーション・情報の質の担保のための課税である。
 SNSで過度に拡散されない、質の高い情報にアクセスできるように課税・課金する。
 ジャンク情報は遮断され、不必要に炎上するであろう者どうしの相互アクセスは制限される。

 これは表現の自由への介入となり得るので、情報コミュニケーション規制のアルゴリズムが公開されて批判や提案に晒されている必要がある。(どこかの当局やどこかの企業が秘密裏に情報を遮断するような状況は避けたい。)

選挙をいじる
 まずは選挙権や被選挙権の制限から。
 政治家の任期制・定年制の導入という考えがある。任期を設けることにより、老齢化を防ぐと共に任期の末期には、次期選挙に向けての有権者への忖度がなくなり、それなりに覚悟を持った長期的な政策提言が出される可能性が高くなる。
 「終わりが人を自由にする。」という格言もある。

 政治家の定年や年齢制限はいくつかの国では実現している。ブータンでは『被選挙権』は65歳以下である。

 ブラジルでは「選挙権」は70歳以下は義務で、71歳以上は任意投票となっている。これは高齢者から投票権を取り上げるのではなく、若年層にインセンティブを持たせようとする仕組みである。

 次に選挙方法の見直しである。
 現行の選挙制度は「社会選択理論」に基づいているが、多数決は票の割れに弱いという欠点も指摘されている。

 新たな選挙の仕組みとして、ある世代だけが投票できる世代別選挙区を設ける方法が考えられる。

 平均余命に応じた票の軽重
を設ける方法もある。
 それに従って従来の選挙結果をシミュレーションしたならばイギリスのEU離脱は起こらなかったという研究もある。

 現代の日本で問題なのは若者が貧乏になっていることである。貯金がなくその日暮らしの若者世帯が増えている。彼らの生活では、将来の日本とか、長期的な施策とかを考える余裕がない。

 多数決では多数派(高齢者)が勝つに決まっている。マイノリティの若者の意見を反映するにはどうすれば良いか。

 現行の「一括・間接・代議制民主主義」が問題である。
 それはつまり、一括して一人の議員が「外交安全保障」から「夫婦別姓問題」、「金融政策」まですべての政治課題を抱え込んで選挙に出ているという現在の状況を何とかしようということである。

 テクノロジーを用いれば、政治家一人に投票するのではなく、それぞれのイシューごとに個別の論点ごとに投票することが可能になる。

 有権者一人当たり100票ずつ持ち票を与え、政策に同意する分野に軽重を持たせて投票する方法も考えられる。一人の有権者が「大学の無償化」に90票と「地方創生」に10票など、別々のイシューに投票できる仕組みである。

 こうしたイシュー単位の選挙制度にも疑問の声がある。様々な論点が交錯してしまうと、有権者個人の認知能力を超えてしまい判断できなくなるという考えだ。

 しかしこれはテクノロジーで解決できる可能性がある。投票に行かなくとも普段考えていることが自然とデータとして集計される仕組みを作れば良い。(生成AIがビッグデータを学習する仕組みと同様である。)

ブラジルで実施された電子投票の成果
 文盲率が高いブラジルでは紙の選挙では死票が多かった。電子化されたことで貧困層の有効票が増え、政治家も貧困層を考慮した政策を打ち出すようになった。
 このような現行とあまり変わらない些細な選挙制度の変更でも政治が動いたことが証明されている。

ネット投票の効果
 これまでの研究ではネット投票では、投票率は上がらなかったというデータが出ている。若者の投票率が上がることが期待されたが、むしろ足腰が弱くなり投票所に行けなくなった老人の投票率が上がった。

選挙の病を選挙で治そうとする矛盾
 これまで述べられてきた選挙制度の見直しを、現行の選挙制度で選ばれた議員が考えようとしないことは当然であり、自然の理である。

 民主主義の理念には「しっかりと教育を受けた善良な市民の思考で政治家が選ばれ、政治がなされる」という前提で成り立っている。
 しかし、現代社会ではそもそもそれが怪しい。加速的に変化している世界に追いついていない旧態依然の教育内容。
 プライドだけが高くなった高学歴者が過剰に生み出される社会。
 これらの不足と過剰が民主主義を蝕んでいる。

 選挙制度を見直すというより、選挙で何かを決めなければならないという固定観念を捨てる発想が必要なのかもしれない。

 すでに機能不全を起こしてしまっている人間や社会の現状を前提として直視する必要がある。