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岩手県:原敬

1921年(大正10)年11月4日の午後7時20分頃、原敬首相は京都で開かれる政友会の京都支部大会へと向かうべく、東京駅へ到着します。
一等待合室でしばしの間休憩した後、電車の発車時刻が迫ってきたために
東京駅長の案内で見送りに来た各大臣とともに待合室を出て、中橋徳五郎
文部大臣と談笑しつつ改札口へと進んだ頃、突然、群衆の中から飛び出した絣の着物に鳥打帽をかぶった24〜5歳と見える書生風の男性が、刃渡り
約15センチの短刀を原首相の右胸に深々と突き刺しました。
原首相は一言も発することもないまま、どうとその場に倒れ込みます。
見送りに来ていた各大臣はもちろん、東京駅長、その場にいた駅員ともに
突然の出来事に狼狽するばかり。
一方、原首相を急襲した暗殺犯は、悠々と少しも騒ぐことなくその場に
立っていましたが、駅内警戒の任に当たっていた越野某警手が駆けつけ、
同じく警備の任に着いていた警手5名との協力の下に捕縛。日比谷警察署
に連れていかれました。
越野某警手への事件直後のインタビューが残っています。
私は例の通り雑踏する人々を警戒しておりました。するうちに、ふと見ると首相が変な男に襲われて倒れたのですぐ馳せつけましたが、そのとき首相は何事も仰っしゃりませんでした。私はすぐに気が付いて、凶漢の逮捕に立ち向かいましたが凶漢は大言壮語しつつ非常にものすごい形相をしておりました。その際、警手のひとりがやにわに凶器をもぎ取ろうとしたところが、
凶器に手を触れ手をだいぶ怪我しました。この動作に驚いて凶漢も凶器を
取り落しましたが、なおも恐ろしい形相をしてしかも以前堂々としておりました。凶漢は警官の手に渡されました。私は凶漢を警官に渡して他の警戒の任に当たりましたが、この凶漢の仕業は実に電光石火でその早いことは言うこともできません。
とにかくこういう大事件の起こったことは甚だ相すまぬことで私もびっくりしてこれ以上言うことはできません(「東京朝日新聞」1921年11月5日号)
深手を負った原首相はすぐに現場にいた救急隊員によって駅長室に担ぎ込まれます。駆けつけた鉄道省付の竹中某医師を中心とした医療チームによって懸命の処置を受けますが、傷は右肺部から心臓に達しており、数分後に絶命しました。享年65。遺体はその日の午後8時20分に霊柩車に載せられ、当時芝公園にあった私邸に移されています。
現在の事件現場
この原首相暗殺事件の現場をより詳しく説明すると、東京駅構内の手荷物
受取所の前面にある三等切符売場15番の前でした。
この場所は現在、誰でも行くことができ、誰でもその場所を確認できるようになっています。
現在は東京駅の丸の内南口の切符売り場(北東面左端)となっている事件
現場には、原首相が斃れた場所には、近くの壁に事件の概要を記したプレートが、床には円の内部に6角形という形をあしらったマークが埋め込まれています。
 

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