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ベートーヴェンの遺髪とDNA解析の進歩

1827年3月26日 ベートーヴェンは長年病んでいた肝硬変により生涯を閉じました。葬儀は29日に盛大に行われ、参列者は約2万人、大混乱を防ぐために軍隊が出動し、近郊の学校は臨時休業になったという記録が残っています。偉大なる音楽家の死をウィーン市民は惜しんだようです。
今回、米科学誌カレント・バイオロジー(Current Biology)に掲載された論文の研究で、研究チームはベートーヴェンの健康状態について調べるため、アメリカやヨーロッパに現存する「ベートーヴェンの毛髪」とされる8束のサンプルを調査しました。
その結果、ドイツの作曲家であるフェルディナント・ヒラーが死後間もないベートーヴェンから切り取ったとされる毛髪など、少なくとも2束の毛髪がベートーヴェンのものではないことが判明ヒラーが所持していた毛髪は、「ベートーヴェンは鉛中毒だった」と結論付けた過去の研究で分析されたものでしたが、これはアシュケナジム系ユダヤ人の女性の毛髪だったとのこと。
19世紀ドイツのユダヤ人作曲家フェルディナンド・ヒラーは、敬愛していたベートーヴェンの死の直後、髪の毛の束をいくつか切り取り、ロケットに入れて持ち帰ったといわれている。1833年、フェルディナンドの息子がそれを受け継ぎ、1911年に、そのロケットを修理に出した後、長い間その毛髪の在りかはわからなくなっていたが、1943年、デンマーク人医師ケイ・フレミングが、ナチス占領下のデンマークで、ユダヤ人の亡命を手伝った謝礼としてその毛髪を入手。その後、遺髪はロンドンに渡り、1994年、ベートーヴェン研究家アイラ・ブリリアント氏と会社経営者Dr.アルフレッド・ゲヴァラによって、サザビーズ(ロンドンにある美術品競売会社)のオークションで、$7,300(約74万円)で落札される。そして、落札した毛髪をサンノゼ州立大学ベートーヴェン研究所に寄贈した。巡り巡って遺骨と遺髪が一つの場所にそろい、このDNA鑑定が可能となったのが過去の報告でした。
ヒラーの髪束(2束)とシュトゥンプフの髪束(5束)、今回の分析では、8つの髪束のうちシュトゥンプフの髪束、5つは1人のヨーロッパ人男性のものであり、これらの髪束がベートーヴェンのものであると特定されました。研究チームのメンバーであるサンノゼ州立大学のWilliam Meredith氏は、ヒラーの髪束はベートーヴェンではなく女性に由来するものであると判明したため、この髪束だけに基づいた以前の分析はベートーヴェンに当てはまりません。鉛や鎮静剤、水銀をテストするための今後の研究は、ベートーヴェンのものだと認証されたサンプルに基づく必要がありますと述べました。ベートーヴェンは20代から聴力低下や腹痛、下痢に悩まされ、50代に入ると肝臓病の兆候の黄疸(おうだん)も出て56歳で死去した。
近年発展した古代人のDNA分析の手法を応用して解読。肝臓病に関連する変異を見つけた。晩年には「毎日、昼食時にワインを1リットル以上飲んでいた」との証言もあるため、同様の体質に大量飲酒が重なった場合のリスクを英国の医療データベースで調べると、肝硬変が一般の40倍にもなることが分かった。最近、ドイツなどの国際研究チームが、作曲家ベートーヴェン(1770~1827年)の髪の毛からDNAを抽出し、ゲノム(全遺伝情報)を解読したと発表した。カレント・バイオロジーに掲載された論文の共著者で、独ボン大学病院(University Hospital of Bonn)人類遺伝学研究所のマルクス・ノーテン氏によると、肝臓病のリスクを高める遺伝子変異(遺伝性ヘモクロマトーシスやB型肝炎ウイルス感染の形跡を発見。大量飲酒の言い伝えもあり、これらが肝硬変での死亡につながったと推定した。これらは遺伝的な体質と慢性的な飲酒、B型肝炎感染などの相互作用で引き起こされたと考えられるという。紫曜。

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