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笠原良策:かさはらはくおう(りょうさく):除痘館、難病に挑んだ偉人

かさはらはくおう(りょうさく)
生没:文化6年(1809)~明治13年(1880)
幕末の医師。文化6年(1809)足羽郡深見村(現、福井市深見町)に生まれる。初め漢方医学を修め、福井城下で開業した。その後蘭方医学修得を志 して京都で学んでいた白翁は、牛痘による天然痘予防が可能であることを知り、痘苗輸入が急務であることを説いて、幕府の輸入許可を求める嘆願書を提出。
福井藩主松平春嶽の建言により、幕府の牛痘輸入許可がおりた。
嘉永2年(1849)、長崎に痘苗を入手しに行く途中の京都で痘苗を入手し、まず京都で苦心の末に種痘に成功し京都での普及を果たした。当時の種痘は、人から人へ種継ぎをしていくしか確実な方法が無く、種痘を施した幼児を連れて雪深い国境の峠を越えるという決死行によって福井城下に痘苗を運んだ。
同年、福井城下で初の種痘が実施され、庶民の理解を得ることは困難であったものの、次第に普及し、嘉永4年(1851)には公立の種痘所「除痘館」が 開設されで急速に普及した。
所在地:福井市春山(合同庁舎前歩道植栽内)
公立の種痘所「除痘館」があった。


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