『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第40話
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第5章 雪子の決意
2 背後にいる
妊娠してからの雪子の様子は、誰の目から見てもあきらかなほど心身ともに弱っていた。
あれほど部屋でじっとすることを嫌がっていたはずなのに、妊娠が分かってからずっと部屋にこもりっぱなしで、いつも思いつめた顔で過ごし外へはおろか、部屋からも一歩も出ようとしなかった。
食事が運ばれても、ほとんど手をつけることもなく、さすがの世津子も慌てたようで、何度も部屋にやってきてはなだめすかしたり、きつい口調で叱ったりとしたがそれでも雪子の心はどこか遠くへといっていた。
ひどいときには、夜になっても灯りをつけずにぼんやりと座り、様子を見に来た世津子を驚かせたほどであった。
最初は子どもができたと喜んでくれた隆史も、ここ最近は腫れ物にさわるかのように雪子を避けるようになり、毎夜のごとく村の青年団仲間と飲み歩いては雪子が床についた頃に帰ってきて、朝早くには部屋から出て行ってしまうということが続きすれ違いの状態だった。
「私はこの家にとってなんなのだろう」
ぼんやりと縁側に座り、庭を見ていた雪子はぽつりと呟く。
さっと風が吹き抜け、落ち葉が乾いた音をたてて地面の上を流れて行く。
陽も落ちかけ、辺りに薄闇色が迫り始めようとしていた。
吹く風も冷たい。
ぶるっと身を震わせ、雪子はのろりとした動作で立ち上がり、部屋と庭を仕切る扉を閉める。そして、振り返った雪子はその場で立ち尽くす。
部屋の中はどす黒い闇が凝り、立っているのかそうでないのか曖昧な感覚に襲われた。
ふっと、濃く漂う腐臭に吐き気を覚え口元を押さえる。
それでも、指の隙間から入り込む強烈な臭いに耐えきれず、雪子はその場で嘔吐する。
助けを呼ぼうとしても声がでない。
苦しさに、とうとうその場に座り込んだ雪子の肩に、何かがずしりとのしかかってきた感覚。
誰か別の、何者かの息づかいが背後から聞こえてきた。
腐った魚のような生臭い息が耳元にかかり鼻腔をつく。
胸元を見ると、自分のものではない長い黒髪が垂れ落ちていた。その黒髪は血でしっとりと濡れている。
何かが背後にいる。
誰?
いいえ、振り返ってはいけない。
見てはいけない。
決して振り向かないよう雪子は膝の上に置いた手元に視線を固定する。
『おまえはこのいえに ひつようとされていない。
おまえは利蔵さんに あいされていない』
「……っ」
耳のそばでその声が聞こえてきたと同時に、下腹部のあたりに突き刺す痛みが走り、雪子はうずくまった。
『おまえがはらんだこは 呪われた こ。
うまれてこないよう 呪ってやった。
おまえだって、そんなこ いらない。
そうおもってる』
「痛い。助けて……」
お腹のあたりに違和感を覚えた。
まるで月のものが子宮から剥がれ落ちるように、脚の間からどろりとした生暖かいものが排出され、雪子は青ざめる。
慌ててスカートをめくると、真っ赤な鮮血が畳を濡らしていた。
「いや……だめ! 私の赤ちゃん!」
雪子の悲鳴と重なるように、広がる血の海に奇形な姿をした赤子がぼとりと落ちる。
歪んで潰れた顔の赤子が泣き声もあげず、異様なまでに飛び出た大きな目でじいっと雪子を見つめていた。
まるで、怨みつらみをたたえたかのような目で。
『おまえのあかちゃん みにくい。
こんなみにくい子
あとつぎにはふさわしくない
殺される。
それとも 殺されたほうが せいせいする?』
「やめて……!」
『こんなみにくい あかちゃん。
うまれてこなければいい おもってた』
醜い姿をした赤子が血の海をさまようようにもがいている。
「違う! そんなこと思ってない!」
『うそ』
「嘘じゃない!」
『おまえがいけない。
おまえが このむらにきたから。
わたしから利蔵さん うばった。
おまえのせい。
おまえも 死んじゃえ』
「やめ……やめて!」
自分の叫ぶ声に目が覚め、雪子は布団から飛び起きた。
荒い息を吐き、何が起きたのかというように部屋を見渡す。視線を外に向けると、まだ夜が明けたばかりの薄暗さ。
「夢……」
隣の床を見ると、やはりすでに隆史の姿はなかった。そっと手を伸ばして布団に手をあてると、とうに温もりは消えひやりと冷たかった。
おそらく、まだ暗いうちに起きて部屋から出ていったようだ。
恐ろしい夢を見たせいで身体中に奇妙な倦怠感が濃くまとわりついている。
全身汗でびっしょりと濡れ、夜着が肌にはりついて気持ちが悪い。
しんと冷えた空気が一気に身体の熱を奪い、雪子は寒さにぶるっと肩を震わせた。
そこで雪子ははっとなって掛け布団をめくった。
夢で見た血の海がなかったことにほっと息をもらす。次にお腹に手をあてる。
異常はない。
すべては悪い夢だったことに、雪子はもう一度深く息を吐く。
しばらくぼんやりと惚けたように布団の上に正座していた雪子の目がある一点、部屋の隅の棚に向けられた。
――こっち おいで。
のろりとした動作で立ち上がり、乱れた夜着の裾を引きずり、引き寄せられるように棚に近寄っていく。
棚の中には猟銃がおさめられていた。
どこか虚ろな目でその猟銃を見つめていた雪子は、そろりと腕を持ち上げ把手に手をかける。
呆気なく扉が開いた。
隆史本人以外、誰も猟銃を持ち出す者はいないという安心からか、不用心にも棚に鍵はかけられていなかった。
雪子の手が猟銃へと伸びる。
手にしたそれは、ずしりと重たかった。
その場に正座した雪子は、猟銃を逆手に持ち、仰け反らした喉元に銃口をあてた。
引き金にひとさし指をかける。
かんたんだから。
らくに なれる。
指に力を入れ引き金を引く。
かちりと乾いた音がなり、そこで雪子ははっと我に返った。
第41話に続く ー