私はあなたの引き立て役じゃない 第3話
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3 最悪の結末
安積との曖昧な関係はしばらく続いた。
好きだとか、付き合ってと言われたわけではない。ただ、誘われて食事をし、なんとなく体を重ねるだけの関係。
思っていた以上に安積はどうしようもないクズで、他にもも女の影が何人もちらついた。
安積との関係はもちろん隠していたが、それでも目敏く感づく者がいて、噂はあっという間に社内に広まった。
当然、塔子の耳にも入っただろう。
案の定、噂が広まってすぐに給湯室に呼びだされた。
「どういうつもりよ!」
凄まじい形相で塔子がつめ寄ってくる。
この時を待っていたとばかりに、依子は口元に嘲笑を刻んだ。
「いきなり怒り出すなんて、何?」
「とぼけないで、安積さんのことよ!」
「ああ……」
依子は肩をすくめた。
「言っておくけれど、彼の方から誘ってきたのよ。文句があるなら彼に言って」
思い知るがいい。
今まで私が味わった痛みを、あんたにもわからせてあげる。
「あたしが安積さんとつき合っていることを知っていたのに?」
必死になる塔子の様子がおかしくて、吹き出してしまいそうだ。
あんな男のどこがいいというのか。
外見がいいだけの中身はクズ男。
そもそも、塔子のことだって遊びとしか思っていなかった。そんなことに気づかないとは塔子もバカな女。
「安心して。あんな男、私のタイプでも何でもないから。つきまとってくるから相手にしていただけ。塔子がそんなに彼のことが好きならもう会わないであげる。だけど、塔子も物好きね。あんな男のどこがいいの?」
唇を噛みしめ、塔子は握り締めた手を震わせている。
こんなに悔しそうな顔をする彼女を初めて見た。
塔子が私に嫉妬している。
なんて気分がいいのだろうと優越感に浸っていたところへ、手にしていたスマホが震えた。安積からの電話だった。
この男はなんて絶妙なタイミングで電話をかけてくるのだろう。
依子は意味ありげな目で、ちらりと塔子を見やり電話に出る。
「安積さん?」
安積という名に反応した塔子は、会話を聞き取ろうと息を止め、こちらの様子を窺っている。塔子に思い知らせることができたなら、もうあの男には用はない。
「今日の予定? 悪いけど、もう安積さんとは会わないわ。電話もかけてこないで。え、どうしてって? だって、あなたと一緒にいても退屈なんだもの」
と言い、依子は電話を切り、悦にいった笑みを塔子に向けた。
「これでいいんでしょう? 満足した?」
「依子、あんた!」
次の瞬間、頭の中が真っ白になった。と同時に左頬に走る痛み。
視線を戻すと、目の前で目をつり上げ、怒りで顔を真っ赤にしている塔子の姿があった。
塔子に引っぱたかれたのだと気づき、依子は肩をくつくつと震わせ笑う。
「許さない、絶対に許さないんだから!」
人目も気にせず叫ぶ塔子の金切り声に、側を通りかかる人が何事かと驚き給湯室を覗き込む。
◇・◇・◇・◇
ちょうど通勤帰りの時間帯ということもあってか、駅のホームは人混みであふれかえっていた。混雑しているホームの最前列で依子は電車待ちをしていた。
周りの男たちが、ちらちらとこちらを見ているのが気配でわかった。
時折、美人という単語が耳に入る。
ああ、なんて気分がいいのだろう。
髪を振り乱して泣き叫ぶ塔子の姿は本当に愉快だった。
思わずこぼれ落ちる笑いを懸命にこらえる。
今までの鬱々としていたものがとり除かれ、晴れ晴れとした気分だった。
嫉妬に満ちた塔子の顔を思い出すたび、胸がすく思いだ。
思えば、少し前まで自分もあんな顔で塔子を見ていたのだ。
依子は足下を見てふっと笑う。
この白いパンプスも、今の私なら履きこなせる。
塔子なんかよりも似合っている。
やがて特急電車の通過待ちを知らせるアナウンスが流れたその時、背後からざわめきが起こった。
危ない! と叫ぶ者もいる。
何が起きたのかと依子は肩越しに振り返る。
人混みを押しのけ、列の最前へと真っ直ぐに向かってくる人物がいた。
「え? なに?」
悪鬼さながらの形相でやってきたその人物が、両手を前に突き出してきた。
まさか、と依子は足を一歩引く。
黄色い点字ブロックの上を踏んだ依子は、足元の不安定さと高いヒールのせいでバランスを崩しよろめく。
「きゃっ」
体勢を立て直す間もなく、その人物によって強い力で肩を押された。
「塔子……」
自分の肩を突き飛ばした相手が塔子だとわかった時には、依子の身体は背中から倒れるようにホームの外へと投げ出された。
慌てて何かに掴まろうと手を伸ばしたが、掴んだのは隣に立っていた女性のバッグだ。
「いやあっ!」
その女性は巻き添えになるのを恐れ、あっさりと自分のバッグを手放す。
不自然な体勢で線路へと転落する依子。
特急電車が速度を落とすことなく滑り込んできた。
一瞬のできごとであった。
叫び声を上げる間もなく、依子の身体が鈍い音とともに消えた。
走り込んできた電車の下敷きになったのだ。
急ブレーキで止まる電車と、響き渡る人々の悲鳴。
駅員を、いや、救急車を呼べと叫ぶ声。
「君……」
ホームにいた一人の男が、恐る恐る塔子を見る。
両手を前に突き出した状態で、塔子は笑いながらホームの下を覗き込む。
車両の隙間から、依子の足がのぞいていた。
血に染まった赤い靴をはいた依子の足が ──。
(了)