『怨霊が棲む屋敷 呪われた旧家に嫁いだ花嫁』 第48話(完結)
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終章
2 多佳子の執着
ふと、背中のあたりにざわりとした感覚を覚え、雪子は立ち止まり孤月村を振り返る。
山々に囲まれたその村は、変わらず陰鬱とした気配を漂わせていた。
本当にいろいろなことがあった。
今まで悪い夢を見ていたのではないかと思うほど、さまざまなことが。
この村で起きたこと、特に多佳子のことを誰かに話しても、きっと笑い飛ばされるだろう。
それほど、不思議で奇怪なことだった。
だが、すべて事実。
再び視線を戻した雪子の目に、高木の姿が映った。
「もういいのか?」
真剣な顔で問いかける高木に、雪子は頷く。
高木は一言そうか、と声を落としただけ。
「荷物をかせ」
雪子の手にはこの村に来たときと同様、鞄一つだけ。ただ、あの時と違うのは、お腹に新しい命が宿っていること。
「大丈夫です。自分で持てます」
「いいから」
貸せ、と言い、高木は奪うように雪子から鞄を引き取った。
「すみません」
「何言ってんだ。あんたは大事な身体だろう。これからは無茶はするな。いいな」
「無茶か」
雪子は苦笑いを浮かべ、お腹に手をあてる。
確かに、あれだけのことがあって、無茶なことをしたはずなのに、お腹の子は何の問題もなく育ってくれている。
きっと、丈夫な赤ちゃんが生まれてくるだろう。
お腹をさする雪子に、高木は意味ありげな笑いを浮かべた。
「生まれてくる子どもは男の子だな。間違いない」
「どうして?」
「あんなことをやらかしたにもかかわらず、お腹の中で元気でいる。きっと、骨のある男子だ」
お腹のあたりに視線を落とし、雪子は笑って、そうねと答えた。
「もっとも、俺は男の子でも女の子でもどちらでもかまわないが……」
「ん?」
「いや、ところであんた、これからどうする?」
どうすると言われても、まだ先のことなど考えてもいない。まずは、丈夫な赤ちゃんを産むことが先決だ。
その先のことは、それからゆっくり考えよう。
何だってできる。
何だってしてみせる。
ふと、高木は照れたように顔を赤くし、頭に手をあてなぜかそっぽを向く。
「その、俺でよかったら……」
「はい?」
ぽつりと呟く高木の声が聞こえず、雪子は聞き返す。
高木は片手を頭にあてたまま、もごもごと口ごもる。
「だから……その……鈴子があんたに会いたがっていて……」
「私も鈴子ちゃんに会いたいわ。怪我もよくなったんでしょう? この間母から手紙をもらったの。孫ができたみたいで嬉しいって書いてあった」
「それで、いいかもしれない……」
「え?」
「鈴子はあんたに懐いているし、その……やはり鈴子にも母親が必要かなと……それに、前から、妹か弟が欲しいと言っていて、こればかりは俺ひとりではどうすることもできなくてだな。いや……俺自身、ゆ、ゆ、雪子のことを好きだから、一緒に暮らせたらいいというか、だからその……」
雪子は口元に手をあてた。
「だって、この子は」
高木にしてみれば、このお腹の子はまったく関係ない子どもだ。
「その子はあんたの子だ。俺は気にしない。それに、あんただって鈴子を可愛がってくれた。鈴子を助けてくれた」
「高木さん」
「怜弥でいい」
照れたように笑う高木を見る雪子の目に涙がにじむ。
「それに、俺ならあんたの」
高木は気恥ずかしそうに人差し指で頬をかき、続けて言う。
「雪子……の実家を手伝える。俺でよければだが……」
雪子はどういう意味ですか? と首を傾げた。
「こう見えて神官の資格を持っている」
一瞬の沈黙。
「怜弥さんが……ええっ!」
「何だ、その驚いた顔は」
「だって……」
「そう見えないって顔だな。俺が勝手にあの神社に住みついていたと思っていたのか?」
「それらしい仕事をしているところを見たことがないから」
「あんな誰も来ない寂れた神社で仕事らしい仕事なんてあるか」
「そうだったんですね……」
「だからつまりだ! 俺と一緒になってくれないか! いや、なってください!」
「私なんかでいいのですか?」
「俺は雪子が好きだ!」
「私も、怜弥さんが好きです」
怜弥の顔が耳まで真っ赤に染まった。
「大切にする。雪子も、雪子の子も」
照れを隠してぶっきらぼうに言う怜弥に、雪子はぽろぽろと涙をこぼした。
そんな雪子の細い肩に手を回し、怜弥は胸に抱き寄せる。
「行こう」
「はい」
肩を抱かれながら雪子は怜弥を見上げた。そして、もう一度だけ村を振り返る。
利蔵の家はこれからどうなるのだろうか。
隆史はいずれまた、新たな妻を迎えるのだろうか。
利蔵の跡継ぎを得るために。
だが、もう雪子にとっては関係のないこと。たぶん、いや、二度とあの村に足を踏み入れることはない。
隆史にも会うことも。
「ひっ!」
高木の車に乗ろうと扉に手をかけた雪子は目を見開く。
一瞬だけ窓ガラスに、長い髪の女が映ったのを見た気がしたからだ。
「どうした?」
「い、いいえ……」
もう一度窓ガラスを見るが、女の姿はない。
見間違いだったのか。
助手席に乗り込んだ雪子は、ぶるっと身を震わせた。
冷たい風が扉から入り込み、後部座席へと吹き抜けていったのを感じた。
「寒いか? 寒かったら……」
「ううん、少し寒気というか……」
不安そうな顔をする怜弥に、雪子は笑って首を振る。
「大丈夫。何でもない」
「気分が悪くなったら言え。もう我慢とか遠慮とかはなしだからな」
「はい」
と、頷いて雪子はそっと後部座席を振り返る。
まさかね。
そこに何もないことを確認し、ほっと息をもらした。
雪子には見えていなかった。
後部座席から伸びた手が、爪をたてるように雪子の腹を掻きむしっているのを。
まるで、お腹の子を引きずり出そうとするように――。
――利蔵さんのこ わたさない
しんじゃえ
(了)